沢木耕太郎『キャパの十字架』
沢木耕太郎『キャパの十字架』(文藝春秋、2013年)
まだ無名だった一人の青年がスペイン内戦で撮影したといわれる一枚の写真──「崩れ落ちる兵士」。あまたのカメラマンが戦場へと入り、不条理な惨状を様々に伝えてきたが、人がまさに死ぬ瞬間をこれほどヴィヴィッドにつかみ取った写真は皆無であった。
ファシズムの台頭が世界中に不安感をみなぎらせていた時代、フランコ将軍率いる反乱軍によって追い詰められていた共和国政府への同情から、この写真はピカソの「ゲルニカ」と共に反ファシズムのシンボルとなった。そして、撮影した青年、ロバート・キャパは新進の戦場カメラマンとして一躍脚光を浴びることになる。
だが、この写真はあまりにもできすぎていないか? そもそも、どのような経緯から撮影されたのか分かっておらず、キャパ自身も黙して多くを語らないまま、1954年、ヴェトナムで地雷を踏んでこの世を去った。この写真の真偽をめぐっては昔から議論があった。しかしながら、「伝説のカメラマン」として多くのファンを引き付けてきた彼のそもそもの出発点を暴き立てることにはどうしても自己規制が働いてしまう。
著者自身も若き日からキャパの写真に魅了されてきた一人だが、敢えてそうしたタブーに踏み込んだ。写真そのものに隠れていた細かな矛盾点を手がかりに問題の核心へと切り込み、スペインの現地に赴いて取材を進めながら、少しずつ「真実」があぶり出されていくプロセスは実にスリリングだ。
謎解きの詳細は本書をじかに手に取って堪能してもらいたい。結論を先取りすると、「崩れ落ちる兵士」で撃たれてのけぞっているかのように見える兵士は、実際には撃たれていなかった。それは、演習中に撮影されたものであった。ただし、意図的にポーズを取ったわけではない。斜面を駆け下りていく途中に足を滑らせた瞬間を偶然にファインダーが捉えたのである。
さらに衝撃的な事実が推論される。撮影者はキャパではない──実際に撮ったのは、彼とチームを組んで行動を共にしていた恋人、ゲルダ・タローだったのではあるまいか。
「崩れ落ちる兵士」は『ライフ』誌に掲載されるやいなや世界中で大きな反響を巻き起こしたが、タローがそのことを知ることはなかった。1937年、戦車に押しつぶされて彼女はすでにこの世を去っていたのである。この写真は反ファシズムのシンボルとして評価が定着し、もはや取り消しはきかなくなっていく。
キャパの「伝説」はただの虚構に過ぎなかったのか? 華々しくデビューした写真が戦場で撮ったものではなく、しかも死んだ恋人からの盗作であったという負い目の意識は、彼のその後の人生を決定付けた。つまり、「崩れ落ちる兵士」以上の写真を撮らねばならない宿命に直面したと言える。彼は命を賭けて正真正銘の戦場へと赴く。ノルマンディー上陸作戦では銃弾の降り注ぐオマハ・ビーチで「波の中の兵士」を撮り、そしてインドシナ戦争で地雷を踏んで落命した。彼は「十字架」を背負わねばならなかったからこそ、「伝説」を自らの手で本物にするしかなかったのである。
「崩れ落ちる兵士」にまつわる謎を解き進めながらも、それを単なるスキャンダルには終わらせない。むしろ、だからこそ見えてくる彼の人間性を描き出していく筆致は、やはり沢木さんらしくて胸を打つ。
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