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2013年1月18日 (金)

『バルトーク音楽論集』

岩城肇編訳『バルトーク音楽論集』(新装版、御茶の水書房、1992年)

・ハンガリーを代表する作曲家・ピアニストの一人で、とりわけ民俗音楽調査で知られたバルトーク・べーラ(1881~1945)による音楽論が集められている。初版は『バルトークの世界──自伝・民俗音楽・現代音楽論』(講談社、1976年)。以下、私自身の関心に従って抜書きしながらコメント。

・バルトークは「民俗音楽」をどのように考えていたのか? ここでは、民謡の郷土性と西欧音楽による影響とを峻別しようとしている点に注意。

「広義の意味における民俗音楽ですが、これは、農民たちの持っている音楽的本能のいわば自発的な表現として農民階層の中に伝播普及していったもので、その伝播普及の過程において、過去に生命をもっていたか、あるいは、現在いまだに生命をもっているような曲を指します。また、狭義の意味における民俗音楽とは、同様にそれが農民階層の生活の一部をなしており、その上なお、音楽様式上のある種の統一性を示しているような曲を指します。」(「ハンガリーの民俗音楽」95~96ページ)

「ところで、人々は、真の民謡と民衆的な通俗歌とを、しばしば混同します。民衆的な通俗歌の作曲家たちは、一般に、都会で身につけたある種の音楽的教養をもっており、その大部分がディレッタント音楽家です。事実、彼らの作曲した曲の中に、民衆的な通俗音楽に特有な郷土性と、西欧音楽のありふれた要素とがまざり合っているのも、まさに、そうしたことからきているのです。また、彼らの曲の中に、民俗音楽の郷土調といったものの痕跡がたとえ見いだされたとしても、まさに西欧音楽から借用したありふれた要素のために、曲が平凡なものになってしまって、その曲の価値を失ってしまっているのです。これに対して、真の民謡の中には、完璧なまでの様式上の純粋さが見いだされます。」(「ハンガリーの民俗音楽」97ページ)

・民謡研究に取り組もうとした動機や、それを基に新たな音楽芸術を模索する動向が現われた理由を、様々な民族文化が入り混じった東欧における多民族性に求めている。以前にこちらで、コーカサスの多民族状況に注目していたユーラシア主義のトルベツコイやコーカサス滞在体験から大きな音楽的示唆を受けたチェレプニンに触れたが、多民族混淆地帯における文化的豊穣さの意義を強調している点で、東欧の多民族性に注目したバルトークと共通している。

「民謡研究、並びに民謡から生み出された高度な音楽芸術が、ほかならぬここハンガリーにおいて今日見られるように目ざましい形で花を咲かせたことは、決して偶然のことではありません。ハンガリーは地理的にみて、いわば東欧の中心にあたり、第一次世界大戦前にはハンガリー内の多くの民族によって、東欧における民族の多様さの真の縮図となっていました。そして、各民族の絶えまない接触の結果、この民族の多様さが、民俗音楽の最も多種な、かつ最も変化に富んだ形態の成立へと導いたのです。東欧の民俗音楽が、さまざまな民謡のタイプの点で驚くほど豊かであることも、まさに以上のことから説明できるのです。」(「東欧における民謡研究」150ページ)

自国の民俗音楽しか問題にしない態度→「このような閉鎖性は長所ではなく、むしろ罪といわなくてはなりません。様式の統一性という観点から見ても、このような閉鎖性には何らの肯定的な意義もありませんし、また、作曲家が自国に対していだいている愛国心といったものと、この閉鎖性との間には、何のつながりもありません。真の創造者としての作曲家にあっては、たとえ種々さまざまな民族の民俗音楽から創作の霊感をえても、なお完全に統一のある作品が作り出せるほどに自己の個性が強くなければならないのです。一方、最も頻繁に耳にする機会のある民俗音楽、つまり自国の農民音楽こそが、個々の作曲家の創造に最も影響を及ぼすものであることは、容易に理解できることです。そして、まさにこうした個々の作曲家がおかれている地理的環境の違いから、それぞれの作曲家の様式の間に見られるいわゆる風土的特徴とでもいうべきものが少なくとも作品の外面に現われてくるのです。」(「芸術家の創造に及ぼす民俗音楽の影響について」88~89ページ)

「ところで、それぞれに性質の異なった音楽相互の接触は、ただ単に曲の異種交配をもたらしただけではなく、それにもましていっそう重要なことですが、新しい音楽様式の誕生を促進しました。もちろん、同時に、それまでの古い様式も生き続け、こうして、それらが音楽の豊かな富をもたらしたのです。」(「音楽における種の純潔性」298ページ)
→「こうした“種の不純性”は、決定的な恵みをもたらすものであるわけです。」(「音楽における種の純潔性」300ページ)

「もしも私たちに、民俗音楽の将来を希望することが許されるとすれば(この民俗音楽の将来は、今日、世界の最も遠くかけ離れた地域にまでも、高度な文化が早い速度で浸透していきつつあることを考えますと、かなり疑わしく思われます)、中国の万里の長城の建設や、一民族の他民族からの隔離などは、民俗音楽の発展にとって、むしろ障害となるものです。異質な要素から完全に自己を締め出すことは、停滞をもたらすものにすぎず、その影響を十分に同化しつくすことによってのみ、自身の芸術を富ますことが可能となるのです。」(「音楽における種の純潔性」300~301ページ)

・五音音階への愛着という点で、ハンガリー文化の源流をアジアに求める認識を示している。実際には、一言で五音音階と言っても民族によって旋律構造にだいぶ相違が認められるらしいのだが、西欧的な七音音階と対比する意図は少なくとも確認できる。こうしたあたり、「西欧」とは異なるアイデンティティーをアジアとのつながりに求めようとしたユーラシア主義に近い発想と言える(→こちら)。

「…比較検討の結果、古いハンガリーの農民音楽が隣接民族の農民音楽から由来したものではないことが明らかになりました。私には、それは原初的なアジア音楽文化の遺産であろうと想像されます。その音楽に見られる五音音階への愛着が、なによりも私のこの仮定の正しさを立証しています(さらには、私たちがよく知っているチェレミス人、キルギス人、タタール人の音楽が、この仮定を正当づけています)。
 また、古いハンガリー農民音楽の曲は、西欧音楽の影響というものを全然受けていませんし、一方、ハンガリーと隣接している各スラヴ民族の農民音楽に影響を及ぼしたこともありませんでした。」(「ハンガリーの農民音楽」135ページ)

・都市文化、すなわち近代化=西欧文化による均質化が拡大するにつれて、農村において多様に散在していた民謡が失われつつあるという認識。それによって、民俗文化の多様性が失われるばかりでなく、土着の音楽が本来的に持っていた生命力が枯渇していってしまうことへの危機感が示されている。

「さて、この新しい様式の曲は、もっぱら若い世代によって支持されました。彼らは歌を歌うことを渇望しています。そして、これらの曲を真底から熱烈に愛しているのです。そして今日では、若い世代の農民たちは、古い曲をごくまれにしか覚えませんし、また、仮りに覚えたとしても歌うことはありません。こうして古い様式の曲は、明らかに滅亡に瀕しています。新しい様式の曲が、きちっとしたリズムをもっているために、舞踏音楽にも適用できるということも、その普及化を大いに促進しています。だいたい古い様式の曲と違って、新しい様式の曲の中には、舞踏のためだけに生み出されたといえるような曲がないのです。また、生活上の慣習的な儀式の際に歌われていたような曲も、もはや必要ではなくなってしまいました。つまり、婚儀の習慣などが保たれていた昔の時代はもう過ぎ去ってしまったのです。活気に溢れたリズムをもち、精気に充ちて明朗な新しい曲こそが、古風な色彩に色どられ、あるいはメランコリックな、あるいはまた独特な性格をもっている古来の曲よりも、いっそう、時代の精神にふさわしいのでしょう。」(「ハンガリーの農民音楽」146ページ)

「ところで、新しい様式の曲には、それぞれの変化形というものが全然ありません。一つの新しい曲がどこかで生れるやいなや、それらは全国いたるところに、またたく間に広がり、山岳や川も、そして地理的距離も、それらをさえぎることはできないのです。新しい曲がこのようにいち早く広がっていったのは、兵役義務制度と鉄道交通の発達によるものであることは疑いありません。」(「ハンガリーの農民音楽」147ページ)

「アラブ人の音楽生活に、特に今日、いくつかの好ましくない側面のあることはもちろんです。ヨーロッパのいわゆる“娯楽音楽”からの破壊的な影響が、ここでも次第に強く感じられるようになってきています。」…「都会のアラブ音楽は、私の感じでは、新鮮な生命力と独自性の点で、アラブの村の音楽とは全く比較にならないものです(今から十九年前、私がアルジェリアに研究旅行をした時、すでに私はこのことを感じました)。都会のアラブ音楽は、大部分がかなりひからびた、わざとらしい作為的なものですが、一方、村の音楽は、それがもっているいっさいの原始性とともに、はるかに自然で生きいきとした印象を与えます。」(「カイロ音楽会議について」303ページ)

「農民音楽の特性の一つは、その音楽の中に、感傷性、つまり過度な感情の表現というものが、全然見当たらないということです。そして、このことが、農民音楽にある種の単純明快さや、がっちりした逞しさ、感情の率直さというものを与えているのであり、さらには偉大さをも付与しているのです。」(「ハンガリー音楽」335ページ)

・民謡から得た音楽的素材を散りばめるだけでは、単にエキゾチシズムを誇張するだけの代物に終ってしまう。そうではなく、こうした土着の音楽が本来的に備えている「大地から湧き起こってくる音楽の力」を音楽家自身が体得した上で、自らの音楽を表現できるかどうか。バルトークにとって民謡採集とは、単に素材集めだけを意味しているのではなく、自ら農民たちの生活世界に分け入り、彼らと密に触れ合う中で、音楽家自身が土着の音楽の本質的な何かを感じ取らなければならないという切実な動機に駆られたものであった。
・下記の引用でもう1点注目されるのは、東欧で多民族が混淆している中、農民たちは平和の中で共存してきたとバルトークが考えていることである。もちろん、それが歴史的事実かどうかは分からない。ただ、以前にこちらで指摘したように、コーカサスの複雑な民族状況に多民族共生というイメージを見出したユーラシア主義のトルベツコイと同様の発想が認められる。

「ここハンガリーで問題になっていることは、いわば“フォルクローリスト作曲家”たちが、民俗音楽の断片を異質の音楽材料につぎはぎするというようなことではなく、もっと本格的な、はるかに多くのことが問題になっているからなのです。つまり、大地から突きあげてくる民俗音楽の力によって、新しい音楽精神を誕生させようということが問題になっているのです。
 また、このような、大地から湧き起こってくる音楽の力をそれぞれ実際の場所で研究する仕事、つまり日常語でいうところの民謡収集という仕事は、何か途方もなく人を疲れさせるような、そして克己と自己犠牲を伴う仕事であると信じている人々も、同様に間違っています。私自身についていいますと、そのような仕事で過ごした時間は生涯の最も美しい時ですし、したがって、その仕事を、他のどんなものとも引き換えにはしないでしょう。ここで私は、最も美しいという表現を使いましたが、それは言葉の最も気高い意味においてなのです。というのも、民謡収集という仕事を通して、私は、すでに姿を消しつつあるとはいえいまだに統一を保っている一つの社会の、いわば芸術的自己表明といったものの直接的な目撃者になることができたからです。そこで耳にし、目にすることのすべては、なんと美しいものでしょう。衣服から日常生活に用いる道具にいたるまでのほとんどすべてが自家製であって、靴のひな型のようなガラクタ品でさえ、工場製のものは何も見当たらず、またさらには、地域ごとに、いな、しばしば村ごとに、そういった使用品の形や種類が変わっているようなところがヨーロッパにいまだに存在しているということを、おそらく西欧では想像することもできないでしょう。そこでは、音楽の上での限りない多様性を耳にすることができ、そのため私たちは、民俗音楽の種類の豊富さといったものに感謝を捧げるのですが、それだけではなく、そこにあるさまざまな変化は、同時に、私たちの目をも楽しませてくれるのです。それらは忘れることのできない体験ですし、まさに苦痛にみちて忘れがたいものです。というのも、村々のこのような姿が次第に消えていく運命にあることを、私たちは知っているからです。そして、たとえ一度でも滅亡してしまえば、二度と再び復活することはありませんし、またそれが、他の同じようなもので埋め合わされることもないでしょう。滅亡のあとにはやがて空虚さだけが残り、村々は、誤って受けとられた都市文化と偽文化の廃物のたまり場と化してしまうでしょう。
 さらにここで、農民たちの生活について、つまりさまざまな民族の出の農民たちである彼らが、お互い同志の関係をどのように保っているかということを、私の体験を通して語っておきましょう。今、これらの各民族出身の農民たちに、お互い同志殺し合うよう至上命令が下されたとしても、それは、いってみれば一杯のさじの水の中で互いを溺死させようというようなもので、全く不可能なことです。もう数十年来私たちが耳にすることであり、今ここでそれに触れておくことはまさに時機をえたことと思われるのですが、農民たちの間には、他民族に対する烈しい憎しみの一片も見いだせませんし、また、これまでにおいてもそうでした。彼らはお互い同志、実に平和に生活しており、各自が母国語で話し、それぞれ自分たちの習慣にしたがって生きています。そして、自分とは異なった民族の出の隣人もまたそのように生活していることを、全く自然なことと考えているのです。
 こういったことを決定的に立証するものは、農民たちの魂と精神の反映である多くの叙情詩調の民謡歌詞です。それらの中には、他民族をからかうような歌詞が出てきたとしても、その量は、たとえば自分たちの神父や牧師の、あるいは自分たち自身の無能をからかって楽しんでいるような民謡の量に比べても決して多くはありません。農民たちを支配しているものは、まさに平和です。他民族に対する憎しみを広めているのは、ほかでもなく上層階級の人々だけなのです。」(「東欧における民謡研究」151~153ページ)

「今日の記譜体系では、たとえば些細なイントネーションやリズム上の不安定さといった、民俗音楽のもつ味わいを再現することが不可能であるということです。せいぜい、民俗音楽の堅固な骨組がとらえられるぐらいで、生きいきと血のかよっている音の震動について概念を与えることはできません。民俗音楽を、それが実際に生きている状況の中で、農民たちの演奏や歌唱を通して聞く機会のなかった人々は、その音楽を正当な姿で想像することができません。まさにこうした理由から、民俗音楽を十分に知りつくす上での唯一の正しい方法は、農民たちの伝統的なしきたりとのつながりの中で、彼らの自然な演奏を通して聴くことなのです。この生きた体験を通してこそ、初めて民俗音楽が芸術家の創造にとって真の促進剤になるのです。」(「芸術家の創造に及ぼす民俗音楽の影響について」86~87ページ)

「ところで、ハンガリーの唯一の音楽的伝統である古いハンガリー農民音楽が、どのようにして新しいハンガリー音楽創造の土台になりえたのでしょう。一つの曲や一つの旋律といったものを、異質な様式による音楽作品や国際的な性格の様式による作品に移植するといったような、人工的な方法によるものでないことだけは確かです。ですが、作曲家が農村の古い音楽の言語を学びつくし、それによって自身の音楽思想を、ちょうど詩人が母国語で考え表現するのと同じように表現することができるようになることは、ありうることです。
 作曲家の心の中に、農民音楽に対して全身全霊で自己を捧げるほどの強い愛情が生きていて、その愛情から、彼が農民音楽の音楽語法の影響を無条件で受け入れる時、しかも、その作曲家に自身の芸術思想があり、その表現に必要な技法を完璧に身につけているのであれば、彼は自身の冒険的な試みに成功するに違いありません。その時には、彼の作品は、和声付けられた民謡のつぎはぎ細工や、民謡を主題とした変奏曲のようなものではなく、民俗音楽の内部に秘められている本質を表現するものとなるのです。」(「ハンガリー音楽」347ページ)

「ここで強調しておかなくてはなりませんが、私たちの場合には、ただ単に、個々の曲を手に入れ、それをそっくりそのままか、あるいはその一部分を私たちの作品にとり入れながら伝統的な取り扱い方で処理する、といったことだけが問題だったのではありません。もしそうだとすれば、それは職人の仕事になりさがってしまい、新しい統一ある芸術様式の創造へと私たちを導いてはくれなかったでしょう。そうではなくて、私たちのこれまで全く未知であった農民音楽の魂を深く会得し、この音楽の言葉では表現しえないその魂から出発しながら音楽の様式を創り出すこと、これが私たちの仕事であるのです。そしてその魂を正しく理解するためにこそ、農民音楽が現実に生きている農村で、しかもそれを私たち自身によって収集することが、何よりも大切であるのです。」(「ハンガリー民俗音楽と現代ハンガリー音楽─自身の和声法について」355ページ)

「民謡を自身の作品のところどころに使ったり、あるいはそうした古い民謡を模倣したりすることで満足している作曲家は、正しく民俗音楽を取り扱っているとはいえません。また、民謡の素材を主題的に用いながら、全く異質な、あるいは民族性を欠いた、いわば無国籍的な傾向の作品に勝手気ままに押し込むような取り扱い方も、全く正しくありません。こうした取り扱い方ではなくて、ちょうど、一つの言語のもっている表現上の最も味わい深い微妙なニュアンスといったものを自身のものにするのと同じように、民俗音楽の中に隠されている音楽的表現法を完全に自分のものにするよう努めなくてはなりません。そして、作曲家は、このようにして獲得した音楽語を、いわばそれが自身の音楽思想の表現にとって最も自然な言葉使いであるように、完璧に駆使しなければなりません。」(「1941年のアメリカでのインタビュー」429ページ)

・バルトークは「自伝」で、1903年に交響詩「コシュート」を作曲した若き日のことを回想している。当時、盛り上がりを見せていたハンガリー民族主義の風潮に刺激され、この曲では民族主義的テーマを打ち出しながらも、その音楽語法はドイツ・ロマン派的なものであったという矛盾。こうしたギャップを自覚した彼は、その後、民俗音楽へ関心を寄せるようになる。ところで、民謡採集に際しての彼の動機は、政治的な民族主義というよりも、「大地から突きあげてくる民俗音楽の力によって、新しい音楽精神を誕生させよう」という点にあったことは前述の通りである。ロマン派に体現された西欧近代の音楽語法とは異なった方向へと模索を始めた音楽家はバルトーク一人に限らない。コダーイの示唆でバルトークはドビュッシーの作品を知った。ドビュッシーの旋律にもハンガリー民謡と同様に五音音階的な音進行が大きな役割を果たしていることを知って驚く。また、ドビュッシーと似かよった試みはストラヴィンスキーの作品にも認められるともバルトークは指摘している(「自伝」19ページ)。

「私見によりますと、今日のあらゆる現代音楽には、共通な二つの特徴が見いだされます。そしてそれらは、こういってもよいと思うのですが、いわば原因と結果が互いに緊密に関係づけられています。一つの特徴は昨日の音楽、特にロマン派音楽から徹底的に遠ざかろうとすることであり、今一つの特徴は、より古い時代の音楽がもっている様式に近づこうという熱望です。つまり、まず初めに、ロマン派音楽の作品に対して極度な不快感を感じ始め、その結果、ロマン派音楽の表現法とはできるだけ違った形で創作するための新しい出発点を見いだそうと試みました。こうした作曲家たちは、ロマン派音楽の表現法とは著しく対照的な古い時代の音楽様式へと、なかば意識的に、なかば本能的に立ち返りました。」(「ハンガリー民俗音楽と現代ハンガリー音楽─自身の和声法について」351~352ページ)

「《春の祭典》は、民俗音楽の要素でみちあふれている芸術の生きいきとした例です。」(「芸術家の創造に及ぼす民俗音楽の影響について」87ページ)

「ドビュッシーの旋律の中に、東欧の民俗的な音楽からの影響が見られ、古いハンガリー民謡、なかでも主としてエルデーイのセーケイ民謡の中に見いだされるような五音音階的旋律形態が観察できるということは、特に私たちハンガリー人の興味をひく問題です。」(「ドビュッシーについて」365ページ)

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