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2013年1月19日 (土)

バルトークと江文也

 19世紀以降、とりわけナショナリズムが中小民族の間にも行き渡り始めたのに伴い、自分たちの属するナショナリティーとはそもそも何なのか?という探究が活発となった。今まで顧みることのなかったすぐ足元で見出された豊穣な文化的財宝は、学問や芸術といった分野に新鮮な驚きをもたらす。同時に、他の文明によって汚されていない「本来あった純粋な」姿を確定しようという情熱も駆り立てられ、そうした本質主義的な「伝統文化」観は、その文化に帰属する者/帰属しない者とを排他的に峻別する政治的リゴリズムにもつながりかねない危うさをはらんでいた。帝国の解体プロセスの中、民族自決の原則によって国境線が新たに引き直されたが、本質主義的な文化観・民族観も絡まり合い、紛争の火種が随所に埋め込まれることになる。大きな政治史的イベントが起こるたびにそこから次々と火を噴出して、20世紀に数多の悲劇を現出したことは周知の通りであろう。

 民族的伝統の探究はロマン主義的な文学や芸術と共鳴しあっただけでなく、言語学や民俗学といった学問をも刺激した。そうした動向の一つとして民謡採集も挙げられる。

 とりわけ有名なのがバルトークである。彼の場合、民謡採集に取り組んだ動機は何だったのか。

 バルトークは母国ハンガリーを中心に東欧の各地で民俗音楽調査にたびたび従事しただけでなく、その足跡はトルコや北アフリカなどにも及び、脱国境的な関心がうかがわれる。彼の民俗音楽観については前回のこちらで触れておいたが、彼は東欧の多民族性に注目しており、異文化が相互に触れ合う中でより豊かな音楽が生れてきたのだと考えている。また、農村での調査を重視していたが、都市文化=西欧文化が農村まで浸透し、音楽的な多様性が画一化されかねないことを懸念していた。そして、集めた民謡から見出した五音音階を根拠に、ハンガリー文化の源流をアジアに求めているところを見ると、西欧とは異なる民族性を意識していたようにも思われる。

 彼の民謡採集の場合、その動機は音楽表現の新たな可能性を切り開こうとするところにあった。民謡採集を通してナショナリティーの純化を求めるような発想には異議を唱えており、政治的な意味でのナショナリズムとは位相が異なる。また、民謡の珍しい題材を飾りつけに利用するようなエキゾティシズムでもない。

 彼はモチーフとしての民謡そのものよりも、自ら農村に入り込んで農民たちと密な接触を持ち、彼らを通して民俗音楽の本質を体感的につかむことを重視していた。そうして体得された音楽語法を通して自分自身の音楽を表現することを目指していた。つまり、「大地から突きあげてくる民俗音楽の力によって、新しい音楽精神を誕生させようということが問題になっているのです。」(バルトーク「東欧における民謡研究」『バルトーク音楽論集』御茶の水書房、1992年、151ページ)

 江文也はアレクサンドル・チェレプニンの示唆によってバルトークを知ったと思われる。チェレプニンは来日中に出会った若手作曲家たちにバルトークに関心を持つよう推奨していた。彼自身、バルトークとは面識があり、日本へも来るよう勧めていたそうだ。

 新交響楽団(現在のNHK交響楽団)が出していた音楽雑誌『フィルハーモニー』第8巻第12号に江文也は「ベラ・バルトック」という文章を寄稿している(文末には筆を擱いた日付として1935年11月17日夜と記されている)。そこで彼がバルトークを「偶像破壊者」と捉えているのが目を引く。

「音楽はその性質上非常に自由なものである。そして自由を欲する音楽家は、誰でも自分の耳でものを聴き、彼自身の世界を表現する慾望に駆られる。彼自身の世界を表現するに不向きな手法や理論は結局借りものでしかない。借りものでしかない手法や理論は、創作としてどの程度まで価値あるものが出来るか? 模倣は結局他人の技巧を誇る以上に出ないではないか!」「私はバルトックの作品を通じて、これ等の叱言を黙って受けなければならない一人である。」(11ページ)

「南画や日本画、更に支那の陶器等に吾々はその無技巧の技巧に慣れて居るから別に奇異には感じないが、五線楽譜に於いて、私はバルトックにその極端を見た。」(15ページ)

 無技巧の技巧、とバルトークを評しているのが面白い。技巧を意識して頭を使って曲を構成するのではなく、自分の感覚にフィットする方法で胸の奥底から湧き起こってくる想念をそのまま音楽として表現したい。そうした江文也の抱えていた葛藤がここに反映されているのだろう。西欧近代を基軸とした日本の楽壇が下す評価が自分の感覚とかみ合わないことへの反発、それを西欧音楽の既存のあり方へ反旗を翻したバルトークに重ね合わせているものと考えられる。

 ところで、バルトークは民謡採集をした音楽家として日本でも知られていたが、江文也は次のように指摘しているのが興味深い。

「一般にはバルトックを意識的に、国民的思想や民族的イディオムの基に作曲する種族の作曲家にして仕舞つて居るが、私は、寧ろ彼は本質的にハンガリー産の野生的な芸術家と見た方が妥当に思はれる。」(16ページ)

「彼は何よりも先づ野生的な芸術家である。彼の厖大な作品の内でその最も表現的な美しい部分は、常にこの猛獣性を思ふ存分に発揮して私に噛みつく場合か、或は象のやうにゆったりと地響きを立てゝ這ひ出して来る場合かである。」(15ページ)

「バルトックの音楽が持つ野性は、感覚上のノスタルヂヤ或は何か理論上のかけひきからではなくて、その心性が、あまりに純粋で直截で、本能的であるからである。それは超文明、越洗練等から出発した粗野性とは種類が違ふ。
 この強烈な野人的本能と原始的に鋭敏な直観を持つ上に薄気味悪いまで透徹した冷たい理智の閃きを私は見逃すことが出来ない。
 だから、恐ろしいのである。」(16ページ)

「第一、彼が音楽芸術に対して抱いて居る理想は、そんな狭い世界ではない。彼は、ハンガリーのことを語り、それを世界の楽壇に報告するだけではなくて、世界の楽壇に、ハンガリーからも、何かを、貢献しやうといふ態度で居る。」(16ページ)

 江文也はバルトークの本質を「ハンガリー産の野生的な芸術家」と見ていた。江文也が強調する野人的本能とは、例えばバルトークが「大地から突きあげてくる民俗音楽の力によって、新しい音楽精神を誕生」させようとした発想と共通する地平にあったように思われる。

 若き日のバルトークが作曲した交響詩「コシューシコ」はハンガリー民族主義的なテーマであったにもかかわらず、その音楽語法はドイツ・ロマン派そのものであったという矛盾はバルトーク自身、自覚していた。江文也も同様に、例えばベルリン・オリンピックで選外入選となって一躍有名となった「台湾舞曲」など、作曲家としてスタートしたばかりの頃の作品からは台湾的な要素が聴こえてこないという指摘がある。こうしたあたり、バルトークの出発点とどこか似通っている。その後、二人ともドイツ音楽が中心となった既存の楽壇に反発していくという軌跡でも共通する。

 おそらくバルトークとは感覚や問題意識では微妙な相違もあったかもしれないが、江文也もまた民謡採集に関心を持っていた。彼が求めていたのはどんなことか。西欧由来の観念で音楽を構築するのではなく、もっと感覚の奥底から噴出してくるような強烈なインスピレーションの源泉を体感的・皮膚感覚的な何かに求めたい、そうしたもがきが民謡や古代的な表象への関心と結びついていたように思われる。民謡や古代文化を探究しながら、そうした努力を通して感得した何かを自身の音楽語法で表現してみる。民俗や古代をバネとして「近代」を超えていく。そうした感性を持っていた彼が台湾や中国で民謡採集や古代文化に関心を持ったのは「野人的本能」を触発してくれるきっかけを求めていたからだ。それを政治的帰属意識の観点から捉えようとすると根本的なところで彼のパーソナリティーを理解し損ねてしまうだろう。

 バルトークの「大地から突きあげてくる民俗音楽の力によって、新しい音楽精神を誕生させる」という表現が、江文也の志向性を考える上でも参考になるのではないか。『北京銘』『大同石佛頌』といった彼が北京で書き上げた詩集には、中国の雄大さに圧倒された感激と言葉にならないもどかしさとが溢れている。大地の確かな広がりと文明の悠久さを、自分自身の感受性を響かせることで表現していく。そこに自らの音楽的方向性を求めようとしたのが彼の中国体験の意義だったと考えることができる。

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コメント

 
遅ればせながら…


謹賀新年


いよいよですか。

江文也と言われても、私にはバルトークと重ねてぼんやり想像してしまうだけなのですが。


バルトークと同時代人で、アメリカ南部のアフリカン・アメリカンの共同体にどっぷり浸かってミュージカル…ポギーとベス…を創作したジョージ・ガーシュインの存在も戦争と革命の政体の中に重ねて聴いてみたくもなります。


昨年は路上から亜細亜に耳を傾けて来られた小沢昭一さんが亡くなったこともあり、トゥルバドゥールさんの江文也の亜細亜が、路上に鏤められた声とどんな交錯が、距離があるのだろうと…。

これからのトゥルバドゥールさんの探偵物語を楽しみにしているところです。(“たたき台”から“バルトークと江文也”が書かれたところで、きたーって思いましたわ。)

藍川由美さんも雑誌「アルテス」で谷川雁に関する連載をされてますし。


そのうち、亜細亜の音の美に偏執する者として江文也とともに。

そして、“たたき台”で提起されたことを一味同心する美の偏執者たちと亜細亜へ向かわれる企てを期待しております。


しかし、辻潤を“やる”ような作業になるんだろうなぁ。

投稿: 山猫 | 2013年1月20日 (日) 04時24分

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
山猫さんの「先読み」の方が深くて、私の方がついていけないかもしれません(苦笑)

言われてみれば確かにガーシュインも同時代で、彼の音楽にアメリカでの色々なコンテクストが読み取れるのも興味が引かれますね。

小沢昭一は、ちゃんと読むきっかけがないままでした。放浪芸や語りものでは、桃中軒雲右衛門と宮崎滔天のつながりなども気になっていたのですが、色々なレベルでアジアを「聴く」切り口があるものだなあ、とつくづく思います。そう考え始めると、藍川由美さんはどうしても外せませんね。『アルテス』の連載には気づいていませんでした。ご教示、感謝です。

辻潤は取りとめのないところが難しく、だからこそ気持ちが引かれているのですが…。
それにしても、山猫さんは私の関心の勘所をズバッと言い当てられるので、恐いくらいです(笑)

投稿: トゥルバドゥール | 2013年1月21日 (月) 11時31分

「先読み」、「深読み」より(それも怪しいですが)、

企画書なみの
『都市を活き治すための、音楽の読み直し…亜細亜の河岸から』
なんて返すのが理想なんですが。

残念ながら、毎度のblog汚しで申し訳ありません。


江文也から発信しながら、トゥルバドゥールさんの“たたき台”で書評セッションの企画、なんてのも読んでみたいですねぇ。
乗ってくる“手練”はいるでしょうに。

アメリカの音楽、エンタテイメントからの政治思想史を展開できる方と、トゥルバドゥールさんの亜細亜というのは是非読んでみたいです。

勝手な投げっ放しですが。

まぁ、いつも通り、ということで(笑)


ここからは、勝手な疑問。
ハヤカワミステリーなどアメリカのハードボイルド・ミステリーが描く「アメリカ」から読み込めることは、各時代を踏まえつつ、かなり豊饒なものがあります。
ただ、昔から不思議に思うこと。これ、本国ではどういう読書層を形成してるんだろうか、ということなのです。
まぁ、州ごとに置かれた立場ごとに“物語”の読み捨てられ方は違うでしょうが。

いらないことですが、ご存知でしたら。

亜細亜でしたら、ダンテ・ラムの「密告者」って誰がどんな風に観てんだろう、って漠然とした呟きと同じようなものですが。


長々と失礼しました。

投稿: 山猫 | 2013年1月22日 (火) 13時08分

いつも思わぬ方向から問題意識を投げかけていただけるので、刺戟になります。
私自身の知識不足で、うまく反応できないのがもどかしいところですが…。
「アメリカ」からの読み、というテーマは面白そうですが、ハードボイルド・ミステリーに詳しくないので、ちょっと私には分かりません。
ダンテ・ラム「密告・者」のことは、すっかり忘れていました。
グイ・ルンメイのファンなのに観ていない…
…すみません、関係ないですね(苦笑)

投稿: トゥルバドゥール | 2013年1月23日 (水) 00時49分

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