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2012年10月7日 - 2012年10月13日

2012年10月10日 (水)

田野大輔『愛と欲望のナチズム』

田野大輔『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ、2012年)

 ヌード写真の掲載された雑誌が流通し、全裸の女性のアトラクションも催される。婚前交渉や不倫も容認され、銃後の女性や若者たちは性戯にふけり、兵隊や捕虜にまで売春宿が設置されていた。ドイツ第三帝国で日常生活に広まっていた「性」のあけっぴろげな放埓さ──。上意下達の総力戦体制は倫理面でもリゴリスティックな抑圧を行き渡らせていたと思われがちだが、本書は一次資料に依拠しながら強面のナチズム体制にまつわるそうした通念を崩していく。単に建前と偽善という当たり前な話ではなく、性的欲望の解放もまたナチズムを支える駆動力となり得ていたカラクリを論証していく手際が本書の面白いところだ(この点で、フロイトの精神分析学を踏まえて性的抑圧がファシズムを生み出したと考えたヴィルヘルム・ライヒ『ファシズムの大衆心理』とは正反対の結論となる)。

 ナチスもまた神なき近代の申し子である。従来の保守的なキリスト教倫理や偽善的な市民道徳に対する反発が、革新勢力たるナチスの思想的モチーフの一つとなっていた。キリスト教道徳が説く彼岸での救済は説得力を失い、此岸において精神的空白に陥った人々にとって、ナチスが説く「生の肯定」は大きな力を持った。その具体的な表われは、例えば「性」の領域に見出される。健康な肉体の美しさ、男女の結合の喜び──これらを覆い隠してきた保守的な市民道徳の偽善的な禁欲主義は、健全な人間の本能的な力を挫くものと批判された。生殖行為としてのセックスは「生めよ殖やせよ」という国策に合致するにせよ、性愛の喜びそのものが肯定されていたことは注目される。

 いびつな道徳的抑圧から性的タブーを撤廃していくという考え方は、現代社会で主張されればリベラルと受け止められるだろう。また、ナチズム体制において子供が幼少期にトラウマを抱えてしまわないよう生育環境としての幸福な家庭生活が推奨されたり、同性愛者の扱いにも環境要因から「更生」の可能性に配慮する施策もあった(ただしこれを裏返すと、更生不可能→抹殺の対象という非人間的側面も露わとなった)。部分的にはリベラルで進歩的にも思われる考え方が、人種至上主義的なイデオロギーと共存していたことには興味が引かれる。

 市民道徳の偽善性への批判として性的知識の啓蒙が推進されたが、それは見方を変えれば、「性」というプライヴェートな領域にまで公的権力が介入する契機ともなった。また、性愛の喜びが容認されたとき、セックスを生殖とは切り離して単なる消費的享楽に陥るのではないかという保守派の懸念は残る。健康な肉体美を猥褻とみなすこと自体が市民道徳の偽善性として告発されたが、他方で欲望を持った眼差しで見るならば性的興奮が刺激されることに変わりはないだろう。猥褻/非猥褻の線引きはどこに求めたらいいのか、基準は明示されない。国民からすれば、性的欲望が解放され、扇動される一方で、社会的秩序維持の観点から否定されるというダブルバインドに直面する。まさに道徳と不道徳の区別が曖昧であること自体が、権力の立場からは人々の欲望を誘導し、操作する政治的道具となり得た。言わば、「性政治」的なボナパルティスム(著者はこういう表現を用いないが)という感じだろうか。

 権力は単に人々を強圧的に服従させるだけでは維持されない。人々自身からの主体的・自発的な支持を獲得することで強力なエネルギーを得ていくのであって、そこをどのように煽動していくかがカギとなる。性愛という身体的直接性がナチズムの体制内で複雑な矛盾をはらみつつ大衆動員のメカニズムに組み込まれていたことはそうした一つの工夫であったと言えよう。そもそもヒトラーの演説に人々が聞き惚れたことも、演説の内容を理解したからではなく、陶酔感の中で総統と一体化する直接性によって大衆動員を可能にする政治技術であった。ナチズムが内在的に持っていた不可思議な吸引力は一体何であったのか、そこを先入観なしに解析していく作業として著者の前著『魅惑する帝国──政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会、2007年→こちら)も併せて読むと面白いだろう。

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2012年10月 9日 (火)

【映画】「ロスト・イン・北京」「私の少女時代」

 新宿のK's cinemaで開催された「中国映画の全貌2012」のオープニング作品、「ロスト・イン・北京」(原題:苹果、李玉監督、2007年)と「私の少女時代」(原題:我的少女时代、馮振志監督、2011年)を観に行った。

 「ロスト・イン・北京」。北京オリンピックを間近に控えた時期で、建設ラッシュの街並がたびたび映し出される。マッサージ店で働く苹果(范冰冰)は、高層ビルの窓拭きをしている夫と暮らしていたが、勤め先の社長(梁家輝)にレイプされて妊娠した。妻の不貞をなじっていた夫だが、ふと「これはチャンスだ」とつぶやく。社長には子供がいない。生まれてくる子供の血液型を調べ、もし社長の子供だったら大金と引き換えで養子とする契約を結んだ。傲慢な成り上がり者の社長に対して、地方出身で貧しい夫もしたたかに立ち向かったように見える。しかし、金銭的契約で割り切ったはずなのに、二組の夫婦それぞれが疑心暗鬼に陥って関係が崩れていく、という話。蛇足ながら、范冰冰の激しい濡れ場で話題になったらしい。

 「私の少女時代」は文化大革命末期を背景に、下放された下半身不随の少女が医学を志す話である。張海迪という人の自伝的な作品『車椅子の上の夢』を自ら脚色した映画らしい。苦難の中でも笑顔で耐え抜くポジティヴ・シンキングはまさに文部省推薦映画という感じの健康健全な明るさだ。演出は分かりやすいがコンベンショナルで古くさく、画質も少々粗いので昔の映画かと思ったら2011年製作ということで驚いた。

 二つの作品を続けて観ると、(企画主催者の意図は知らないが)明るい未来を信じられた時代への懐旧と、現実社会の矛盾点をリアルに捉えようとした現代性という対比として印象付けられた。いくつか気づいた点を挙げると…
(「私の少女時代」/「ロスト・イン・北京」の順番)
・都会から下放されてきた少女は村で教師・医師として活躍(耳の聞こえない難病の少年が彼女の鍼で聞こえるようになるのは「啓蒙活動」の成果のシンボル?)し、帰るときは村人から笑顔で見送られる/主人公の若い夫婦は地方出身の農民工で、都会生活の中で苦労し、最後、苹果は子供だけ連れて一人で故郷に帰る(娼婦になって殺される友人も出てくる)
・努力すれば何とかなる/厳然たる貧富の格差の中で挽回するのは困難
・善意の村人たち/都会生活の中で夫婦間ですら互いの悪意を疑う
・少女は無償で医療活動→善意で成り立つ人間関係/若い夫婦は社長夫婦に子供を渡す金銭的契約、社長夫婦の間では「もし夫が浮気したら財産の半分を妻に渡す」という契約→夫婦や家族の間ですら金銭上の問題として捉える発想

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2012年10月 8日 (月)

【映画】「アイアン・スカイ」「ディクテーター 身元不明でニューヨーク」

 先日、新宿の武蔵野館で観た映画を二本。最初のお目当ては、予告編で気になっていた「アイアン・スカイ」。これがフィンランド映画というのは意外だった。月の裏側(ダークサイド)に「第四帝国」を築いていたナチスが地球に襲来する、という話。まあ、つまらなくはなかったけど、期待していたほどでもなかった。予告編で威勢の良かったナチスの女性士官が指揮官として攻めてくるのかと思っていたら、実際には平和志向であてが外れた。ナチスの妖しい「美学」(制服とか敬礼とか軍隊行進とか)がもうちょっとはじけていたら面白かったのだが、パロディや風刺の要素の方が強くて中途半端な感じもした。風刺というのは、例えば、ちょうどアメリカ大統領選挙の最中で、現職の女性大統領がナチス襲来を目の当たりにして「一期目に戦争をした大統領は必ず再選してるのよ。しかもナチスだなんて、もう最高!あたしったらルーズベルトの気分!」とか。

 二本目はサシャ・バロン・コーエンの「ディクテーター 身元不明でニューヨーク」。北アフリカ某国の独裁者アラディン将軍が国連総会出席のためニューヨークに来たら、側近の陰謀で替え玉とすり替えられ、本人はニューヨークの街中に放り出されるという設定のパロディ映画。毒がかなりきつい。冒頭、「われらの首領様金正日総書記を偲んで」の字幕で場内大爆笑。

 チャップリンの「独裁者」は独裁者もの映画の古典だが、上記二本ともこれを意識している。「ディクテーター」の終盤、アラディン将軍が替え玉を追い出して民主主義批判の演説をするシーンは、チャップリン「独裁者」でヒンケル総統とすり代わったユダヤ人の床屋が平和を求める演説をするラストの本歌取り。「アイアン・スカイ」では、月面ナチスの女性士官が子供たちにプロパガンダ教育をする際、ヒンケル総統が地球を模した気球と戯れる有名なシーンだけ切り取られた「独裁者」を10分の短編映画として紹介。ところが、ニューヨーク潜伏中に映画館で本物のチャップリン「独裁者」を観たところ、「総統閣下がコケにされてる…」と落ち込むシーンがあった。一緒に観に行った黒人男性は「125分なんてなげーよ、編集が必要だな」と文句を言う。

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