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2012年9月16日 - 2012年9月22日

2012年9月19日 (水)

ラナ・ミッター『五四運動の残響──20世紀中国と近代世界』

ラナ・ミッター(吉澤誠一郎訳)『五四運動の残響──20世紀中国と近代世界』(岩波書店、2012年)

 反日デモの激しさを目の当たりにして、中国とは良好な関係を維持したいと考える一人としては当惑を禁じえない。領土問題や愛国主義の是非についてここで語るつもりはない。ただ、「愛国」という一つの正統的言説が打ち出されたとき、それを中国国内で相対化する言論上の力学が働きづらいのはなぜなのか、やはり気になるところである。表面的に言えば体制の不安定化を恐れる現政権の言論統制によるということになるのだろうが、そこに至るまでの歴史的背景から捉え返せば、より明確な見通しが得られるかもしれない。

 1919年5月4日、ヴェルサイユ条約で中国におけるドイツの権益がそのまま日本に引き渡されるというニュースに接し、国際正義のダブルスタンダードに憤った北京の学生たちはデモ行進で街頭に出た。このいわゆる五四運動には愛国主義が色濃く見られた。親日派とみなされていた政府高官・曹汝霖の邸宅が襲撃され、そのような暴力性が当時の世論で喝采を浴びたことは現在の反日デモの過激化も想起させる。他方でそれは、なぜ中国はこのように低い地位に甘んじなければならないのか、国を立て直すにはどうしたら良いのかという救国意識の表われでもあった。

 中国社会の停滞性は儒教的な封建制度に原因がある。伝統拘束的な社会から一人一人の個人を解き放って近代化を進めようという問題意識から、「サイエンスとデモクラシー」のスローガンを掲げた雑誌『新青年』をはじめ、伝統排撃を主張した一連の啓蒙活動が新文化運動と呼ばれる。ナショナリズムはこの思潮の特徴の一つとなるが、それはウィルソンの民族自決主義に呼応したものであったことからうかがえるように、国際的視野に開かれた性格も同時に帯びていた。儒教的伝統への訣別を主張するにあたっては欧米や日本、さらにはインドのタゴールやガンディーなど海外の思潮が参考にされていた。安易な伝統批判や啓蒙主義に懐疑を示す保守的な論者に対しても互いの相違を認めつつ、様々な思想的立場から自由闊達な議論が交わされていた。つまり、1910年代後半から1920年代にかけての五四/新文化運動の時期には、ナショナリズムの高揚と同時に、国際的な視野と思想的な多元性の許容される気運が短いながらも息づいていたのである。

 本書は、五四/新文化運動の歴史的位置付けを図るとともに、五四の記憶が折に触れてどのように呼び起されたのかに注目しながら中国近現代史をたどり直していく。

 五四時期を一つの区切りとして中国近現代史を捉えるのはある意味オーソドックスではある。ただし、従来は五四/新文化運動→陳独秀→中国共産党という単線的な図式が描かれ、それは必ずしも間違いとは言えないにせよ、現体制にとって都合の悪い部分をそぎ落としながら歴史的必然として正統化しようとする政治的意図があったことは否定できない。

 しかし、例えば私が五四/新文化運動で関心が惹かれるのは、思想的多元性が許されたがゆえに萌した可能性の豊かさである。歴史にイフは禁物であるにせよ、実際にはあり得なかった別の展開可能性に思いを馳せたいという気持ちがある。様々な可能性の胚胎した時代として五四時期を捉えた上で、現在の中国社会を相対化しながら見つめていくのも一つの視点として有益ではないか。そうした私自身の関心からも、五四時期をめぐる正統派の史観を解きほぐす視点を持った本書を興味深く読んだ。

 五四時期の思想的多元性とは言っても、当時の中国は軍閥割拠の混乱状況にあり、対外的脅威も常に意識せねばならず、決して安定した時代ではなかった。ただし、政治的混乱=権力の分立状況では、一つの政治勢力から弾圧を受けても別の政治勢力の支配区域に逃げ込めば良いわけで、このような逆説的な形で言論空間の多元性がある程度まで確保されていた。

 ところが、中国の政治的統一を求める動向の中からその後の中国政治を左右する国民党と共産党という二つの政治勢力が現れたが、いずれもイデオロギー性が濃厚で政治的多元性には関心がなかった点で共通する。1930年代に入って本格化した日本軍の侵略は抗日意識の下に中国の人々をまとめ上げたが、それは思想的多元性の幅がさらに狭まるきっかけとなり、内向きの傾向がますます強まっていった(五四運動のきっかけも含め、中国ナショナリズムが燃え上がる対象として常に日本が標的となる歴史的背景には留意しておく必要がある)。抗日戦争、国共内戦を経て中央集権化が確立すると、共産党の意向に反した言論活動は事実上不可能となった。

 なお、国民党も共産党も、思想的多元性を容認しない態度を取ったものの、他方で啓蒙主義的近代性までは否定していなかった。それに対して、同時期の日本のナショナリズムには中国以上に神秘主義的・ロマン主義的傾向が強かったという指摘に関心を持った(本書、122ページ)。

 毛沢東も五四時期に思想的な影響を受けたという経緯があり、上述したように中国共産党は自分たちのルーツをこの時代に求めている。ただし、過去の伝統との断絶という五四のモチーフが文化大革命で表われたが、それはかなりいびつに歪められたものであったと本書は批判している。

「中国の文化大革命は、革命の純粋さと自分の地位とに取り憑かれた一人の男によって主に引き起こされた。しかし、彼が選んだ途を決めた思考の型は、五四において彼を主に形作ったものだった。毛沢東の文化大革命は、五四の暗黒面がたどりついた先として説明できる。それは、若さへのこだわり、過去の破壊、みずからの思想体系の優越性についての傲慢な過信を受け継いだが、もとの五四に加味されていた啓蒙思想(コスモポリタニズム・批判的探求・普遍主義)は欠いていた。」(208~209ページ)

 文化大革命が終息して、鄧小平の指導の下でかつての毛沢東の政策が(あからさまではないにせよ)事実上覆されたとき、新たな結集点を見つけ出す必要から「抗日」が選ばれ、それは中台統一を国民党に呼びかける上でも有効だった(297ページ)。また、近年の孔子リバイバルなども考え合わせると、かつて五四/新文化運動が中国自身の過去と全面的な対決を試みたのとは異なり、冷戦後の中国ナショナリズムはむしろ過去から自分たちを正当化する材料を見つけ出そうとする傾向が指摘される(299ページ)。

 五四/新文化運動の長所は、偶像破壊的な批判精神(例えば、魯迅の舌鋒鋭さ)とそれを許容できる思想的な多元性に求められる。例えば、「愛国」という正統的言説が無批判に受け入れられてしまいかねないとき、敢えてそれを批判してこそ公論のバランスを図ることができる。付和雷同的な言論状況を文化本質主義的に決め付けてしまうわけにはいかない。中国にもかつて五四の精神が花開いた経験があるわけだから、その良質な部分を見直して再生させることは不可能ではない。

 中国の民主化の行方を占う上で、台湾を参照例に挙げるのはよくある話である。本書では、台湾が政治面での自由民主主義体制と日常生活での伝統的な儒教の規範とが共存していることに注目する(306ページ)。五四時期の急進的な人々(及び文化大革命)は儒教的伝統の徹底批判を行ったが、ただしそれは儒教をきちんと理解した上での批判ではなかった。よく考えてみれば、伝統か近代かというようなオール・オワ・ナッシングの二者択一を迫る必要もない。唯一の解法を求めようとする態度が思想空間の可能性を狭めていた。啓蒙主義で特徴付けられる五四/新文化運動だが、実は中国の伝統文化復興を唱えた梁漱溟(→彼についてはこちらで取り上げた)が啓蒙主義者たちと対等に議論を展開して注目を浴びたのも重要なワンシーンであったことに私は関心を持っている。様々な思想的リソースが共存していたことが五四時期の特質だったと言える。

 なお、五四運動の愛国気分が高まって曹汝霖邸が襲撃されたことについて梁漱溟は「我々は、たとえ国を愛し大義にむかう行為であっても、彼ら〔曹汝霖ら〕を犯し、彼らに暴力を加えることはできない」と指摘していた(吉澤誠一郎「五四運動から読み解く現代中国」『思想』2012年9月号、151ページ)。

 五四運動についてはVera Schwarcz, The Chinese Enlightenment: Intellectuals and the Legacy of the May Fourth Movement of 1919(University of California Press, 1986)も読んだ(→こちら

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2012年9月17日 (月)

ロメオ・ダレール『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』

ロメオ・ダレール(金田耕一訳)『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』(風行社、2012年)

 ようやく待望の翻訳が出た。以前、原書のRoméo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda(New York: Carroll &Graf Publishers, 2005、悪魔との握手:ルワンダにおける人道の失敗→こちらで取り上げた)を一読したとき、司令官として任務にあたったダレール自身の後悔を叩きつけるような強烈な思いが印象深く、これは是非日本語でも紹介して欲しいと思い、待っていた。

 1994年にルワンダで起こったジェノサイドの凄惨な記憶はしばらく消えることはないだろう。自分たちは平和維持軍としてやって来て、まさに目の前で大虐殺が繰り広げられているにもかかわらず、何もできなかった──。ルワンダでこの眼で見た光景、鼻についたにおい、そして何よりも自責の念が帰国後も脳裏から離れず、ダレールは自殺未遂までしている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、立ち直って本書の執筆に取り掛かるまでだいぶ時間がかかったらしい。失った同僚、そして無辜の犠牲者たち、生き返ることのない彼らのためにこれから何ができるのか、あらゆる後悔が本書に凝縮されている。

 ベルギーはルワンダの植民地統治において、少数派のツチ族を使って多数派のフツ族を支配するという分割統治の手法を取った。両民族の憎悪はルワンダ独立後も尾を引き、とりわけフツ族出身のハビャリマナ大統領はツチ族を迫害したため、ツチ族やハビャリマナの圧政に反対するフツ族穏健派はルワンダ愛国戦線(RPF)を結成、政府軍との内戦が続いていた。1993年、何とか停戦合意が成立し(アルーシャ協定)、RPFも含めて暫定政権が発足。本格政権が形成されるまで対立する両軍を引き離す必要があり、停戦監視のため派遣された国連平和維持軍(正確には国際連合ルワンダ支援団=UNAMIR)の司令官という任務を帯びたのが、この手記を記したロメオ・ダレールである。

 停戦合意は極めて不安定なものであった。過去の犯罪行為への訴追を恐れるハビャリマナ大統領は名誉職的地位に棚上げされた一方、暫定政権の発足に対してフツ族強硬派の不満がくすぶっており、秘密裡に動き始めた彼らの影響力は政府与党や国軍、民兵組織(インテラハムウェ)にまで広がっていた。ダレールのもとへも過激派がツチ族やフツ族穏健派を虐殺する準備を密かに進めているという密告が事前にあった。先手をうって彼らの武装解除に踏み込むため、ダレールはその許可と装備の増強を国連本部に求めたが、すべて却下されてしまう。国連の対外活動には国連憲章第6章に基づく平和維持活動と、第7章に基づく国連軍とがある。平和維持活動はあくまでも中立的な停戦監視が目的であり、戦闘行為は想定されていないため軽武装である。現地の情勢をまるで把握していない国連本部は、とにかく武力行使はまずいという一点張りであった。

 1994年4月6日、懸念していた悪夢の一日が始まる。ハビャリマナ大統領の乗ったジェット機が撃墜されたのを合図にツチ族強硬派が一斉に蜂起、事前に用意されていたリストに従って暫定政権首相のアガート夫人をはじめとした穏健派の政治家が次々と殺害されていく。国連平和維持部隊のもとに助けを求める連絡が立て続けに入るが、人手も装備も足りないためほとんど身動きがとれない──電話の向こうからは、国連が助けてくれると信じていた人々が無残に殺害される様子が聞こえてくる。RPFは首都キガリの混乱が収拾されないならばただちに進軍を開始すると通告してきた。ダレールは残った穏健派をまとめ上げることで態勢を立て直そうと考えたが、呼応する勢力は見当たらないし、何よりも一方の勢力への肩入れは中立の原則に反するとして国連本部から待ったがかかった。さらに、各地に散在する国連関係者の安全確保はどうすればいいのか。課題は山積するばかり、各勢力の指導者と交渉を重ねるが(ルワンダ政府軍、RPF双方の指導者ばかりでなく、虐殺を主導した民兵組織インテラハムウェの指導者とも面会した。彼らと握手したことが原題『悪魔との握手』の由来である)、打つ手はほとんどない。

 実はルワンダの国連大使がたまたま国連安全保障理事会に議席を持っており、国連上層部の情報はすべてフツ族強硬派に筒抜けであった。ソマリアの失敗に懲りた欧米先進国には自国の兵士を犠牲にしてまでルワンダに介入する意思が全くないことを彼らは知っていた。進駐しているベルギー軍に被害が出ればすぐ逃げ出すはずだと考えてベルギー兵を殺害、案の定、本国政府の指令によりベルギー軍は撤退する。停戦監視は当事者の和平合意が大前提なので、事実上の内戦が再発した以上、引き留める法的根拠はない。ベルギー軍の保護を求めて集まっていた人々は、その直後に皆殺しにされた。フランス軍が来て外国人の救出任務に当るが、それは言い換えるとルワンダを捨てても構わないということなのか…? アメリカ政府の役人は、コスト計算上、アメリカ兵一人を送るにはルワンダ人8万5千人の命が必要だと言い放つ。

 同年7月にRPFが首都キガリを制圧するまでの100日間で80万人のツチ族やフツ族穏健派が殺されたという。ラジオのDJの軽快な語り口に煽られて多数の一般人が殺戮に駆り立てられたことはよく知られている。

 連絡を受けて向かった先の教会でダレールが目の当たりにした光景──おびただしい死体が積み上げられ、わずかに息をしている人に司祭が何とか手当てを試みている。ルワンダ政府軍は近辺を一軒一軒しらみつぶしに回って住民のIDカードをチェック、ツチ族と分かれば連行してこの教会に押し込んだ。銃口を突きつけられた司祭や軍事監視員は何もできないまま、マチェーテ(手斧)を持った人々が押し寄せ、哀れな犠牲者を思うままに切り刻んでいくのを見ているしかなかった。IDカードを管理する公務員もまた虐殺者の一味であるため、殺害された人々の記録を抹消、ジェノサイドの証拠隠滅が図られた。学校の教員が生徒を民族別に管理していたというのも恐ろしい。赤十字の救急車は銃撃され、犠牲者が引きずり出されてなぶり殺しにされた。血の海に転がる死体の山、そのまえで手斧を置いて、一休みとばかりにタバコをふかしながら談笑する青年たちの姿。道を通れば、そこかしこに死体、死体──こうした吐き気を催すような描写は枚挙に遑がない。ダレールは自問する「残念なことにこの虐殺はユーゴスラビアの市場で起きたものではない──ルワンダの外で誰が気にかけてくれるだろう」。

 平和維持活動に参加した個々のメンバーは勇敢かつ誠実に任務を果たそうとしたが、バックアップがなければミッションは何も実現できない。国連には自前のリソースがないため、加盟国から兵員や物資の補給を受けなければならない。しかし、活動を進める上で安保理の決議や加盟国間の調整が必要であって意思決定がスムーズにいかないし、そもそも加盟国自身の利害関係がなければ積極的な態度は期待できない。途中からフランスが軍隊を派遣してターコイズ(トルコ石)作戦が発動されたが、これはフランス自身の国益確保を目的としたものであった。フランスはかつてルワンダ政府軍を支援してきた経緯があり(ハビャリマナはミッテランと親しかった)、そのフランスの介入に対してRPFは態度を硬化させ、ダレールはさらに厄介な仕事を背負い込まねばならなくなった。

 主権国家の論理も難しい壁となる。平和維持部隊が軍事介入すると内戦の一方の当事者に肩入れすることになりかねず、中立の原則を守ることができないことから武力行使には抑制的な態度を取らざるを得ない。ところが、まさにルワンダで生じたような極限状態に投げ込まれたとき、どのように行動すべきか全く想定されていない。現場の状況を把握していない国連本部からは見当違いな指示しか飛んでこないため、即座の判断で可能であった選択肢も見送らざるを得なかったケースが本書では何度も散見される。本書の詳細な記録は、そうした問題点を改めて洗い出すための貴重な資料となる。

 現在のルワンダは、難民として海外へ逃れていた人々が亡命先で身に着けたスキルや資金を持ち寄って帰国し、復興は比較的スムーズに進んでいるという話を聞く(→こちら)。だが、その一方で、ダレールが気にかけているように、ルワンダに限らずアフリカには少年兵の問題がある。凄惨なジェノサイドで孤児となった子供たちが再び憎悪の連鎖に巻き込まれることがないのか、楽観は許さない。

 本書の訳者あとがきやhonzのレビューでも関連書籍がいくつか紹介されているが、なぜか重要な本が1冊抜けている。ルワンダのジェノサイドが世界的に注目されるきっかけとなった映画「ホテル・ルワンダ」の実在の主人公ポール・ルセサバギナの著したPaul Rusesabagina, An Ordinary Man(Penguin Books, 2007→こちらで取り上げた。邦訳は堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』ヴィレッジ・ブックス、2009年)は、国際社会の支援を待ち続けた立場の視点で緊迫した状況が描写されている。なお、敢えて介入の決断をしなかった点でダレールに対してルセサバギナは批判的である。

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2012年9月16日 (日)

伊藤龍平・謝佳静『現代台湾鬼譚──海を渡った「学校の怪談」』

伊藤龍平・謝佳静『現代台湾鬼譚──海を渡った「学校の怪談」』(青弓社、2012年)

 台湾映画を観ていると、学校のシーンで何となく昔懐かしい、しかし微妙にどこか違う、そうした不思議なパラレル・ワールドを目にしているような感覚にとらわれることが時折ある(例えば、「藍色夏恋」「九月に降る風」などを思い浮かべている)。容貌の近さというのもあるかもしれないが、それ以上に、「学校」という制度が持つ共通性も大きいのだろう。

 パーソナル・ヒストリーにおいても社会空間的にも独自の意味を持ち、かつ均質性の高い生活空間を構成する「学校」のあり方は、子供心に共有される独特な心象風景を刻みつけている。教室、制服、運動会や修学旅行などの学校行事、部活といった道具立ての共通性は、同世代の日本人にも経験的に感情移入の余地がある。他方で、そこには台湾なりの文化的・社会的コンテクストが伏在している。そうした微妙なあわいが、「学校の怪談」を通して見えてくるところが本書のまず興味深いところだ。

 著者は台湾の大学の日本語学科で教鞭をとっており、本書は学生たちへのアンケートや学生自身の論文を基にしている。日本の「幽霊」は中国語では「鬼(グイ)」と言うが、「鬼」の絵を描いてください、というアンケートへの回答が面白い。白い服を着た細身の女性、長い髪、足もとが不明瞭などの特徴は日本の「幽霊」と重なる。他方で、目が赤く、大きく見開いている、舌を長く伸ばしているという特徴は中華圏の古典的な「鬼」伝承にある「縊死鬼」のイメージである。もう一つ、「彊屍」(キョンシー)は映画化されてかつて日本でも話題になったことがあるが、これは台湾でも古いイメージであってリアリティーがなく、自国内の異文化という位置づけになるそうだ。

 他方で、「天冠に経帷子の若い女性」という日本的なイメージも混ざっている。台湾には日本の作品が数多く翻訳されて流入しており(例えば、映画「リング」に登場する貞子も一般に知られている)、そうした影響の大きさがうかがえる。また、「鬼」のイメージとして角、虎皮のパンツ、金棒といった日本的形象を描く人もいて、これも翻訳された日本の昔話絵本から得られたもののようだ(もちろん日本語学科の学生たちという事情もあるだろうが)。「トイレの花子」さんもやはり日本の映画を通して一般化している。もともと「花子さん」は視覚を伴わない聴覚に訴える怪異であったが、日本で映画化された際に具体的なイメージが作り出され、それによってキャラクターとして海外への輸出も可能になったという指摘が興味深い。その他にも、本書の第7章で言及されているように、オカルト伝承の出典元として日本の出版物から受けた影響はかなり大きいようだ。

 台湾には「碟仙」という降霊術遊戯がある。日本で言うと「こっくりさん」のような位置づけだろうか(日本統治期を過ごした老人たちは「こっくりさん」をやっていたが、若い世代の「碟仙」は知らず、距離があるという)。「碟仙」をやっていた生徒がトランス状態に陥ってしまったとき、学校の教職員が霊媒師に助力を求めるということも実際にあったらしい。日本では考えられないことだろう。

 台湾へ旅行に行って占い師に見てもらう人も多いことと思うが、占いが社会的にポピュラーであることから分かるように、台湾の人々は日本人よりもはるかに信心深い。それを台湾の文化的特徴と捉えるか、それとも近代化の過渡期に過ぎないと考えるのか。日本にもかつて「狐憑き」をはらう「拝み屋」がいたが、そうした「迷信」は近代的医療の普及に伴って精神疾患の問題とひとくくりにされるようになった。しかし、上記の「碟仙」の事例のように、こうした民俗社会的な論理も一定の有効性を持つ場合、「進歩」の観念から一概に否定しさっていいものかどうか。「学校の怪談」が子供たちの心象風景において一定の意味を持っていることも含めて、安易な断案を許さない論点である。

 台南の飛虎将軍廟の話題も出てきた。戦争末期、村落に墜落しそうになったとき人のいる所を敢えて避けて墜落した日本軍のパイロットが祀られており、台湾に関心のある日本人の間ではよく知られている。これについても、信心深さと、徴兵制度の存在によって軍人が身近にいるという台湾の社会的事情が指摘される。飛虎将軍廟については台湾専門家の片倉佳史先生が以前、台湾社会の信心深さとホスピタリティ精神という二点を指摘されていたのを思い出した。ある日、地元の人の夢枕に日本の軍人が現れたので廟堂を建てたわけだが、彼を喜ばせてあげたいという気持ちから関連するグッズを供えてあげた(例えば、日の丸を掲げ、「海ゆかば」を流す)。ここで注意すべきなのは、夢枕に立ったのがたまたま日本の軍人だったということであり、別の存在であればそれに合わせた形でお供えをしたはずだ。ところが、日本のある種の傾向を持った人々はこれを「親日台湾」(下手すると、日本統治礼賛)というイメージで捉えようとしてしまう。こうしたあたりの温度差は日台関係を考える上で重要なポイントだと思う。

 怪談話には日本統治期や国民党政権の恐怖政治の時代の記憶に関わる事情も垣間見える。本書のテーマと直接関わるわけではないが、台南の湯徳章紀念公園の由来となった湯徳章が二二八事件で公開処刑されるのを目撃した老人の話も出てきた。湯徳章は父親が日本人、母親が台湾人で、苦学の末に弁護士となり、二二八事件では混乱状況を収拾するため奔走していた。この人については岡崎郁子『黄霊芝物語──ある日文台湾作家の軌跡』(研文出版、2004年→こちら)で知った。

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【映画】「夢売るふたり」

「夢売るふたり」

 人当たりの良い板前の寛也(阿部サダヲ)を、しっかり者の里子(松たか子)が何くれとなく気遣いながら夫婦二人で切り盛りしてきた小さな居酒屋。ところが、苦労の末にようやく構えたこの店が失火で一夜のうちに消えてしまい、寛也は茫然自失。里子は新しい店を持つため開業資金を貯めようと働きながら彼を励ます。

 ある日、寛也は常連客だった玲子(鈴木砂羽)が泥酔しているのに偶然出くわした。一緒によく店に来ていた不倫相手が交通事故で亡くなり、親族から手切れ金を渡されたのだという。二人は一夜を過ごし、互いの苦境を語り合う中、玲子はその手切れ金をそっくりそのまま寛也に渡した。寛也は昔の仲間から借りたと言って里子に見せるが、彼女は夫の裏切りを敏感に見抜いた。彼を厳しく責めながらも里子の頭は冷静だ。玲子の心理を分析しながら、はたと気づく──なるほど、これは使える。里子は自らシナリオを描き、鵜飼いのように寛也を動かしながら結婚詐欺を始める。

 玲子の場合、たとえ不倫とはいえ相手への気持ちは真剣なものだったのだろう。それはお金に換算できるものではない。お金を渡されると、むしろ抱いていた気持ちの純粋さが金銭換算可能なもの、打算的なものであったかのように汚され、侮辱されたように感じてしまう。

 男と女の関係でかけがえのなさを求める気持ちを考えたとき、それは自分をこの世で代替不能な唯一の相手として認められたいのと同時に、相手にとって自分は不可欠な存在であることを手ごたえとして感じたいという渇求でもある(その点で、寛也のように人当たりは良いがさえない男が自分の苦境をさらけ出すのは効果的)。そうした承認欲求はもちろんお金では購えない。だからこそ、そこにつけこめば、金銭換算不可能(=上限がない)であるがゆえに、自らの気持ちを相手に証明したいという動機から、請われれば自発的にいくらでも大金を出してしまうという心理的構造も導き出せる。そこに里子は気づいた。承認欲求を満たしてくれる幸せ、夢、そういった曖昧な感情であればあるほど、つけこむスキはいくらでも見出せる。ある意味、新興宗教の商売と似ているのかもしれない。

 最初は小金を持っているおばさんたちがターゲットだった。ところが、容貌にコンプレックスを持っていたり、事情があって風俗嬢をしていたり、それでも真面目にひたむきな女性たちと関わりを持ち始めると、寛也の様子に変化が表われ、里子との間はギクシャクしてくる。新しい店を持つという夢に向けて、しっかり者の里子のサポートがあって寛也は何とかやっていけるという関係のように考えていた。しかし、里子自身は本当は何をしようとしているのか? 寛也は里子に向けて、結婚詐欺を始めてから今までにないほど生き生きしている、と言う。里子自身がある種の空虚感の鬱憤晴らしに他の女の不幸を見たいだけなのではないか。そこに気づいたとき、コンプレックスを抱えていても自身の足で立って生きようとしている彼女たちを騙すことに寛也はためらいを感じるようになる。安易な承認欲求に見切りをつけた彼女たちに、自分の詐欺は通用しないことを悟ったかのようだ。

 西川美和監督の作品は以前から好きで、「蛇いちご」「ゆれる」「ディア・ドクター」と観てきたが、心情の複雑な揺れ動きをたくみにストーリーにまとめ上げている手際は今作でも見ごたえがある。能面のようにクールでいながら、内奥のドロドロとしたものを演じきった松たか子の怪演もなかなかのもの。どうでもいいが、エンド・クレジットを見ていたらヤン・イクチュンの名前があったが、どこに出ていたのだろう?

【データ】
監督・原案・脚本:西川美和
出演:松たか子、阿部サダヲ、田中麗奈、鈴木砂羽、安藤玉恵、江原由夏、木村多江、笑福亭鶴瓶、ほか
2012年/137分
(2012年9月15日、新宿ピカデリーにて)

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