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2012年1月15日 - 2012年1月21日

2012年1月21日 (土)

閻学通『古代中国の思想と現代中国のパワー』

Yan Xuetong, ed. by Daniel A. Bell and Sun Zhe, tr. by Edmund Ryden, Ancient Chinese Thought, Modern Chinese Power, Princeton University Press, 2011

 以前、バイデン副大統領が訪中前に本書を読んだという記事を何かの雑誌で見かけた覚えがあった。そんな情報が敢えて表に出るということは、アメリカ政府は中国政府の外交方針について本書を通して理解している、という暗黙のメッセージなのかと思い、興味を持って手に取った次第。著者の閻学通は清華大学国際問題研究所所長で、中国政府のアドヴァイザーとして知られている。

 第一部は閻学通の論文3本、「先秦国際政治哲学の比較研究」(A Comparative Study of Pre-Qin Interstate  Political Philosophy)、「荀子の国際政治哲学とその今日への示唆」(Xunzi's Interstate Political Philosophy and Its Message for Today)、「『戦国策』における覇権」(Hegemony in The Stratagems of the Warring States、Huang Yuxing[黄宇興?]との共著)を取り上げ、第二部でそれぞれについて別の研究者によるコメント、第三部で閻学通の反論的な結論という構成。

 現代の国際関係理論はグロチウスの国際法思想から始まっているし、さらにさかのぼってトゥキュディデス『ペロポネソス戦争史』がしばしば引用もされるのだから、西欧思想に淵源を持つ側面が強い。この点を考えると、古代中国の思想家たちの議論を対比させることは国際政治理論一般への理解を深めるのに寄与するはずだと言う。もちろん時代的制約があるので、歴史的背景は捨象して国際政治理論として活用できる要因のみを抽出して議論を組み立てていく。

 現代の中国は鄧小平時代の経済成長優先から積極的な外交政策へと転換しているという認識が本書の前提となっている。中国は超大国(superpower)へと向けて軍事増強をするにも平和的環境の中で行わなければならなず、また安全保障システムや国際規範の形成に向けて積極的に関与していくという問題意識を示す。先秦期の思想家たち(韓非子を除く)が覇権(hegemony)的ポジションを得るには「徳」(humane authority)によって他の諸侯国からの認知を受けることが必要と論じていたことからヒントを導き出し、現代中国にとって指針になると指摘する。彼の議論における超大国志向は、彼自身が国益重視のナショナリストであるというだけでなく、理論的にはケネス・ウォルツやジョン・ミアシャイマーなどのネオ・リアリズムや攻撃的現実主義が踏まえられていることにも留意する必要があるだろう。

「先秦国際政治哲学の比較研究」についてメモ
・conceptual determinism(≒構築主義)、dualism、materialist determinism(≒リアリズム)/system、state、individualという二つの軸で、老子、墨子、管子、韓非子、孔子、孟子、荀子を配列しながら分析。
・先秦期の思想家たち(韓非子はmaterialist determinism/state→リアリズムなので除く)は政治アクター自身が国家間関係をどのように受け止めるかという点を重視→構築主義(constructivism)や国際政治心理学と同様。
・覇権的なポジションを得るのは、その国自身が決めるのではなく、「徳」(humane authority)に基づき他の諸侯国からの支持があってはじめて成功する。

「荀子の国際政治哲学とその今日への示唆」についてメモ
・支配者や大臣たちの考えに従って国は指導される→国内要因決定論:支配者の考え→大臣たちを採用→政策の方向性を決める→国家のタイプが決まる→国力の変化、外交関係のあり方、国際秩序に影響。人材登用が国力を高める→人材が必要(かつては統治者としての能力だったが、現代では経済運営の人材が必要)
・荀子の性悪説→人間は利己心があるが、規範に従う内在要因もある→ロバート・コヘインやジョゼフ・ナイたちのネオリベラリズムに近いと指摘(国際関係論におけるネオリベラリズムはアナーキーな世界の中でも規範や制度によって協調行動を取る点を強調している)。
・中国が「徳」に基づいて超大国となるには、他国がならいたくなるような魅力的なモデルを中国自身が築き上げる必要。ソフトパワーは文化的パワーと政治的パワーとを区別しないが、荀子が公正さの概念として用いる「徳」は指導者のイデオロギーである点で異なる。
・大国と小国とではそれぞれ国力に応じて権利や責任も異なる。指導国のリーダーシップのあり方に応じて、国際的規範の内面化の方向やスピードが違ってくる→ゆるやかなヒエラルキーによって紛争防止を図る。

「『戦国策』における覇権」についてメモ
・『戦国策』に登場する戦略家たち、具体的には蘇秦の合従(vertical union)や張儀の連衡(horizontal union)などを取り上げ、ヘゲモニーに対する規範の関係、規範遵守と武力行使との関係、新たな規範の創出と古い規範の保持との関係を分析。同盟の形成には信頼醸成が必要。
・ブッシュ政権のユニラテラリズムの失敗→規範の重要性。
・現代の国際政治理論はマテリアルな要因(領土、人口、経済、軍事)を重視するが、本書では先秦期の戦略家たちを通して、国家的政治力の核心としてリーダーシップを重視。国家的政治力はリーダーのモラルと彼がどのような政策をとるかによる→政策を立案する人材が国力の指標となる→人材を求めるシステムの構築が必要→中国も国境を開放して移動の自由を認めるべき、人材はより良い条件の整った国へと移動するはず。
・国際秩序における重心の移動は人為的活動の結果→リーダーシップによる変化が指標となる。
・時代が変わればかつて効果的だった戦略もすたれる。歴史から見出されたパターンを繰り返しても意味がない。そこで、ヘゲモニーを獲得する戦略はどのように生み出されたか? 効果的戦略を生み出す基本原則は何か?を考えるべき。

巻末には閻学通が自分の生い立ちや考え方を語ったインタビューを収録
・ロジカルで、曖昧なものは嫌いという性格。ナショナリスト、リアリストであることは自他共に認められている。
・もともと内気な性格だったが、文革時の下放で苦労して鍛えられた。その代わり中等教育を受けられなかったので数学などが身につけられずいまだに苦手。また、五四運動や文革によって中国の伝統文化は破壊されてしまったので、古典を読むのに困難を感じる。
・台湾問題についても研究。経済を通して政治問題の解決へと促していくという従来の方針に対して1994年から反論を行い、台湾独立運動を抑圧せよと主張、これは2004年5月17日に共産党によって採択されたと言う。

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2012年1月16日 (月)

藤原帰一・永野善子編著『アメリカの影のもとで──日本とフィリピン』

藤原帰一・永野善子編著『アメリカの影のもとで──日本とフィリピン』(法政大学出版局、2011年)

 歴史的背景も社会的条件も異なる日本とフィリピン、現代史における両者の歩みを比較するとなると一体どんな話題が出てくるのか、本書を読む前には全く見当がつかなかった。ところが、アメリカという第三者の存在を議論の軸にすえたとき、これほど興味深い論点が出てくるとは、正直、驚いた。本書は内外の研究者による共同研究の成果で、以下にメモを箇条書き。私がとりわけ関心を持った論点は、①アメリカがフィリピンで実施した恩恵的同化政策はその後の日本におけるGHQの統治の先行モデルと考えられること、②アメリカによる占領/日本による占領、こうした二つの体験をめぐって、その時の支配体制に都合が良いように記憶の忘却、イメージ操作などによって歴史の語り口が変えられたという指摘(例えば、ホセ・リサールの神格化と象徴天皇制との類似点と相違点の分析)。

・植民地主義のレイトカマーとしての日本とアメリカ→制度化が徐々に強められていったイギリス・フランス・オランダの伝統的な植民地支配とは異なり、日米は植民地支配の当初から多額の費用を投下する国家的プロジェクトとして始まった点、地政学的要因が大きかった点で共通する。他方で、アメリカが領土的支配への依存度が小さい非公式の帝国を推進したのに対して、日本は汎ナショナリズムへの希求から領土的拡大→これは後発植民地主義の二つのモデルと把握できる。第二次世界大戦後における世界秩序の原型としてアメリカの非公式の帝国が現われたとき、日本の帝国は自滅→日本はアメリカに従属→アメリカのGHQによる恩恵的支配は、フィリピンで先行したアメリカの植民地支配と著しい類似性が認められる。(藤原帰一「二つの帝国の物語:後発植民地主義としての日本とアメリカ」)

・アメリカのリベラル例外主義をどのように捉えるか?→アメリカの価値や国民性に求められるのではなく、むしろ支配を受けたフィリピン人側の自由・民主主義・自治政府といった要求→アメリカは支配の永続化のためフィリピン人側の願望を植民地国家の構造に埋め込んだ。(ジュリアン・ゴウ「フィリピンと合衆国の帝国意識」)

・フィリピンでは戦争によって解き放たれた新しい社会経済的勢力はなぜ伝統的なエリート支配に対抗できなかったのか?という問題意識から、政治エリート層の継続性について日本とフィリピンを比較。マッカーサーの指令→日本では戦時期の支配エリートの破壊、フィリピンでは旧来秩序の復活(対日協力問題は行き詰る)→日本では構造改革が実施されたが、フィリピンではそうした改革が欠如。(テマリオ・C・リベラ「戦後日本とフィリピンのエリートの継続性:アメリカの影響」)

・1898年の米西戦争でアメリカはスペインに勝利、フィリピンの領有権を得たが、フィリピン人自身の独立運動は終息せず、1899年1月にマロロス内閣(第一共和国)が成立、アメリカ軍とフィリピン革命軍とが衝突し、フィリピン・アメリカ戦争が始まる。1902年7月にはアメリカ軍によって全土が平定されるが、その後も抵抗は続いた。日米開戦によって日本軍はフィリピンへ上陸、1943年にはラウレルたちを中心に独立宣言(第二共和国→フィリピン・アメリカ戦争においてアメリカが独立運動家を弾圧した記憶が掘り起こされた)。日本敗戦後の1946年、アメリカのかねてからの約束により、改めて独立宣言(第三共和国→侵略者としての日本イメージ)。アメリカによる占領、日本による占領、二つの記憶をめぐる歴史の語り方、忘却とイメージ操作が大きな論点となる。例えば、日本とフィリピンそれぞれにおける「社会のアメリカ化現象」、アメリカによる恩恵的同化の中での植民地近代性を考察。地元エリートの協力の下、フィリピンではホセ・リサールの神格化(フィリピン革命における抵抗のシンボル→穏健な改革主義者としてイメージの作り変え)、日本では象徴天皇制の成立という共通性。他方、前者ではフィリピン革命のエネルギー遮断が目的だが、後者では戦後日本統治の必要性。(レイナルド・C・イレート「日本との戦争、アメリカとの戦争:友と敵をめぐるフィリピン史の政争」、永野善子「象徴天皇制とホセ・リサールの神格化との比較考察」など)

・フィリピン知識人による文学作品等に表れた〈日本〉イメージと〈アメリカ〉イメージとの相剋。反日/親米と親日/反米という二つの認識がどのような対抗関係にあるのか、三世代にわたって検討。(アウグスト・エスピリトゥ「対抗する陰影 〈日本〉と〈アメリカ〉:フィリピン系アメリカ人の想像のなかで」)

・フィリピン人女性と日本人男性との結婚という事例を取り上げ、お互いの関係上のポジショナリティやアイデンティティに「アメリカ」という第三者の存在が及ぼす影響を検討。日本、フィリピンともアメリカの圧倒的な影響を受けている点で異種混淆的な性格を帯びている→属性の選び方によって「アメリカ人」「西洋人」ともなり得るが、現実にはそうではないという二面性→アイデンティティの翻訳過程において、相互関係のポジショニングが場面によってどのような権力関係を持ちうるか。(鈴木伸枝「権力の三重奏:フィリピン人、日本人、植民地権力の場所」)

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