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2012年6月17日 - 2012年6月23日

2012年6月23日 (土)

根本敬・田辺寿夫『アウンサンスーチー──変化するビルマの現状と課題』

根本敬・田辺寿夫『アウンサンスーチー──変化するビルマの現状と課題』(角川ONEテーマ21、2012年)

 アウンサンスーチーが釈放され、制限つきながらも選挙が実施されるなど、軍事政権の方針転換は国際社会からおおむね歓迎されている。そうした近年の動向に合わせ、中国や東南アジアへの日本企業の進出が飽和状態に近づいているという意識の表れであろうか、新たな投資先としてビルマへの関心も昨年あたりから急速に高まっている。

 本書はこのようなビルマ情勢の変化を受けて、二人による前著『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』(角川ONEテーマ21、2003年)を全面的に書き直したものである。前半ではビルマ政治が現在抱える問題点を考察していく中でアウンサンスーチーの思想について正面から論じているのが特色であり、後半では在日ビルマ人社会の現在について描かれている。

 国名の表記について一言しておくと、現在の軍事政権は「ミャンマー」を名乗っており、外務省やマスコミ等もこの表記に従っている。しかし、軍事政権の正統性を認めていない民主化運動の支持者は敢えて「ビルマ」という表記を続けている。国家平和発展評議会(SPDC)議長(事実の国家元首)であったタンシュエは引退したとされてはいるものの、国軍に対する影響力は依然として保持しているとも言われ、現在、アウンサンスーチーとの対話路線を進めているテインセイン大統領の力量について本書は判断を保留している。なお、タンシュエ時代のビルマ政治についてはベネディクト・ロジャーズ(秋元由紀訳)『ビルマの独裁者タンシュエ──知られざる軍事政権の全貌』(白水社、2011年)に詳しい。

 抑圧的な軍事政権であっても、海外からの投資を積極的に呼び込むことで経済を活性化させ、国民生活の安定によって将来的な民主化も促進されると考えるのか。それとも、民主主義やガバナンスのあり方が未成熟な中で海外からの投資が投下されても、既得権益階層を固定化させるだけで貧富の格差がむしろ拡大する。従って、海外からの投資の前提として、まず民主的なガバナンスが必要と考えるのか。本書の立場は後者になると思うが、このあたりの議論は見極めが難しくて(どちらも理屈として成り立つと思うので)、私としては判断を保留中である。 

(以下、内容についてメモ)
・現行憲法は国軍の意向に反した決定はできない仕組みになっており、軍事政権が近年になって軟化し始めた動向は、改革ではなく、あくまでも「変化」に過ぎない。では、その「変化」の理由は?→①対外的イメージの改善、②安定的な経済発展が必要であり、そのためには欧米による制裁を解除してもらう必要を認識、③中国との経済関係があまり深まりすぎると「衛星国」化の懸念があり、これは軍事政権のナショナリズムからは受け入れがたく、その牽制のために欧米や日本との経済協力を模索。

・NLD(国民民主連盟)は最近の補欠選挙で圧勝したとはいえ、軍事政権が制定した現行憲法の下で確保できる議席数はあまりにも少なく(664議席中43議席)、憲法改正へのハードルも高い(議会の4/3以上が必要)。従って、軍事政権と対話しながら徐々に改革に道をつけていくしかない。そうした限界の中でもできることは何か?→国民の保健衛生の向上、教育環境の改善、少数民族問題、公務員の腐敗への対処など。

・軍政によって長期間にわたり軟禁されてきたので、アウンサンスーチーの肉声は一般の国民から切り離されてきた。このため、国民は彼女のメッセージを読むことができず、彼女を偶像化する傾向につながってしまった。そうした個人崇拝から、アウンサンスーチーに政権を任せさえすれば万事うまくいくはず、という信仰すら生まれてしまう問題。

・アウンサンスーチーは経済発展のための投資そのものに反対しているわけではない。ただ、「正しい目的」には「正しい手段」を以てすべきという思想に基づき、人権、環境などに配慮した経済政策が可能かどうかを問題にしている。民主主義が未成熟な社会では、政治的な腐敗、官僚制の未成熟によるテクノクラートの不在などにより、利権の独占傾向が考えられ、貧富の格差が拡大してしまわないか? 外国企業が投資する場合、軍事政権と組む形になるが、民意が政治に反映される体制でなければ国家予算の配分が恣意的となり、むしろマイナスが大きいという判断。

・アウンサンスーチーにはガンディー思想からの影響が強い→「真理の追究」。彼女の思想の基本には「恐怖からの自由」というテーマがある。これは一般的な人権問題としての意味だけでなく、むしろこの「恐怖からの自由」を自ら実践する義務を一人ひとりが負う。つまり、自らのうちに芽生えた「恐怖」をも克服して、各自が正しい目的に向かって振舞うべきという考え方。こうした自力救済の思想を、果たして一般の国民がどこまで理解できるか? アウンサンスーチーへの個人崇拝は、実は他力救済の願望に過ぎないのではないか?という逆説。インドにおけるガンディーがそうであったように、彼らの存在は「国民的な誇り」とはなっても、実際に彼らの思想を受け継ぐ者は少数にとどまるのではないか?と懸念。

・日本におけるビルマ人社会。欧米諸国に比べて、日本政府による難民認定が極めて厳しすぎる問題。東日本大震災にあたってボランティア活動に取り組む在日ビルマ人たちの姿。ビルマと一言で言っても多民族社会で、少数民族の人たちも目立つ。いや、むしろ少数民族であるがゆえに軍事政権から迫害を受けて亡命せざるを得なかったケースが多いと考えるべきか。

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2012年6月22日 (金)

龍應台『台湾海峡 一九四九』

龍應台(天野健太郎訳)『台湾海峡 一九四九』(白水社、2012年)

 龍應台の「台」は台湾の「台」である。しかし、これにはある種の「よそ者」感覚がまとわりついていると自身で記している。なぜ親はこのような名前を付けたのか? 一時滞在のつもりで来たこの土地でたまたま彼女が生まれたのを記念するため、ということらしい。ある世代には同様の意味合いを帯びた名前の人が多々見られるという。例えば、ジャッキー・チェン。彼の本名は陳港生。「港」は香港の「港」である。彼の親もまた流浪の果てに香港へたどり着いたという背景が息子の名前からうかがえる。

 著者は台湾南部、高雄の近郊に生まれた。しかし、小学校に通い始めて気付く──クラスの中で自分はただ一人の「よそ者っ子=外省人」であることに。自分が住んでいるのはいつ引っ越すか分からない公務員住宅。でも、台湾人には祖先代々の家があり、清明節にお参りするお墓もちゃんとある──そうした家が自分の母の生まれ育った大陸にあるなんて、その頃は知らなかった。他のみんなとは違うこの孤独感は何だろう? 美術の時間、みんなは自分の家、赤レンガの閩南式家屋を描くのに、彼女が描くのはだいたい船ばかり。そう、漂泊という不安定な感覚。そして大人としても成熟した現在、さらに思い巡らすのは、同様の、いや、場合によってははるかに苛酷な漂泊の人生を強いられた数多の人々があの時代に生きていたということ──。

 龍應台は華語圏では著名なベストセラー作家で、台湾の書店に行くと何がしかの著作がいつも平積みされている(ちなみに今年、彼女は馬英九政権の文化部長に就任した)。オビを見ると、原書の《大江大海 一九四九》(天下雑誌、2009年)は台湾・香港あわせて42万部も出たらしい。原書が刊行されたばかりのとき、私もたまたま台北の書店で見かけて購入した。一読して、これは日本人にとっても他人事ではないし、実に興味深い内容だと思っていた(→こちら)。ただ、私自身の中国語能力に不安があってどこまで本書の意義を理解し得ていたのか心もとなかったので、邦訳がようやく出たのを機に改めて読み直した。

 1945年、日本の降伏によって東アジアにもようやく平和が訪れるはずだった。ところが、中国では国共内戦が激化、中華人民共和国が成立して蒋介石率いる国民党が台湾に撤退する1949年に至るまで、戦火に追い立てられるように故郷から引き離された、実におびただしい人々がそれぞれに過酷な運命の変転を体験することになる。そうした流亡の果てに台湾へとたどり着いた人々の中には著者自身の両親の姿もあった。本書は、両親が暮らしていた大陸の故郷を著者が訪問したのをきっかけに、1940年代後半という時代に何が起こっていたのか、史料を読み直し、当時を知る人々へのインタビューを重ねながら、一つの作品として再構成している。

 また会えるはずと思って生き別れになった親子の姿。自らの意思とは何の関係もなく、唐突に降りかかった家族との別離。例えば、兵力不足に陥った国民党軍は行き当たった若者を手当たり次第に拉致し、兵力として編入していた。別れの挨拶の暇すらも与えずに。日本の敗戦後、台湾接収で上陸した国民党軍兵士のみすぼらしさは嘲笑の的となったが、そうした事情で何も知らないまま台湾へ送り込まれてきた者も数多く含まれていた(なお、本書では特に触れられていないが、家族を大陸に残したまま身寄りのない外省人の老後は大きな社会問題になっている)。また、金門島の女性は、行商でアモイに行ったところ、その間に海上封鎖されて戻れなくなってしまった。半世紀経ってようやく里帰りできたときには、夫はすでに亡くなり、息子たちの行方も杳として知れない。

 国民党も共産党も、それぞれの公定史観が謳い上げるような輝かしい解放者などではない。例えば、国共内戦の一つのクライマックスをなした長春包囲戦。城内に立て篭もった国民党軍を林彪率いる共産党軍が包囲し、戦術として兵糧攻めが採用された。城内にいた一般庶民は町の外に出ようとするが、共産党軍は敵方の食糧を減らすため無理やり押し戻し、他方で国民党軍は自分たちの食糧を確保するため城内に入れない。両軍が対峙する空間に放置された数十万もの一般庶民が飢え死にし、その正確な数は分かっていない(なお、『卡子』の著者の遠藤誉さんはこの過酷な状況から生き残った人である)。彼らの喧伝する「勝利」の美名の下には無辜の庶民の実におびただしい犠牲があった。「人民の味方」中国共産党の公的な歴史にそうした事実は一切記されておらず、著者が長春を訪ねてもほとんどの人がこの惨事を知らないことに驚く。

 台湾の原住民プユマ族の二人は国民党の徴兵係に騙されて大陸へ送られ、国共内戦の渦中に投げ込まれた(なお、一人の兄は日本軍に取られていたらしい)。捕虜となって後は共産党軍に編入され、さらに朝鮮戦争にまで従軍した。長い旅路であったが、そればかりでなく台湾に戻るまでには半世紀近くもの年月を要することになった。台湾の温暖な気候に慣れた彼らにとって北方の寒さは厳しい。

 日本軍に徴用された多くの台湾人軍属や志願兵が直面した苛酷な運命。日本軍による残酷な捕虜虐待。南方の島々や南京の捕虜収容所で看守として否応なく不本意な残虐行為に加担させてしまったことは、やはり日本人として見落とすわけにはいかない。そうした中でも、戦後の戦犯裁判で自らは死刑判決を受けたにもかかわらず台湾人の部下に書を与えて励ます日本人将官についても触れられているのは、いくぶんか気持ちが和らぐ思いがした。田村義一という文学肌の一兵士が残した日記も取り上げている。それから、汪兆銘政権への帰順をあくまで拒み続けて強制労働の中に亡くなった卓還来(ボルネオ・サンダカン総領事)の潔さも印象に残る。

 二・二八事件に関する記述は全体的な分量に比して少なめだが、それでもいくつかのエピソードは紹介されている。例えば、国民党の上陸を歓迎したものの、その“返礼”が仲間の銃殺であったことに幻滅し、公的活動を一切退いた彭清靠(彭明敏の父親)。それから、行政院長や副総統を歴任した蕭萬長は、命の恩人であった潘木枝というお医者さんが二・二八事件で公開銃殺されるのをじかに目撃したことを回想している(嘉義での出来事らしいから、画家の陳澄波が銃殺されたのと同じ時だったのだろう)。蕭萬長は国民党の実務的テクノクラートとして有名な政治家だが、そうした記憶をずっと心の内に秘めていたというのが印象的だった。

 本書は単なる歴史ノンフィクションではない。著者自身の「私語り」が基本スタイルだが、それは同時に、インタビューを受けて当時を回想する人々の「私語り」にもまたそれぞれにかけがえのない痛切な想いがこもっていることを当然ながら知らしめる。そうした機微を描き出すところに著者の文学的感性が生きてくる。(なお、最初に原書を読んだとき、実は龍應台という人のプロフィールをよく知らず、なぜ文中にドイツの話が出てくるのか分かっていなかった。ドイツ人の夫との間に生まれ、ドイツで暮らす息子に向けて語るという形式だからである。)

 中国東北地方(旧満洲国)から南方の島々に到る広大な空間を舞台に、壮大と言えばあまりに壮大なドラマが繰り広げられていた。たぎり立つ歴史の巨大な奔流に否応なく巻き込まれ、一人一人の存在は流れに抗することができないほどに小さくとも、しかし確固として息づいていた肉声を丹念に聞き取り、一連なりの物語へと紡ぎ上げていく。敵か味方かを画然と分けてしまう公定史観は歴史を均質で無機的なものに貶めてしまい、場合によっては抑圧的な作用すら示す(実際、本書は中国大陸では刊行の機会を得られないままだ)。だが、様々な想いがポリフォニックに響き合う時空において捉え返していくことによって、大文字の「歴史」ではなかなか見えてこない、場合によっては覆い隠されてきた心情的なもの、癒しがたい傷、その傷に向き合う勇気、様々な想いが、立場の相違には関係なく、くっきりと浮かび上がってくる。そこが本書の魅力である。

 訳文も洗練されているのは感心した。本書の味わいを特徴付けている「私語り」のスタイルを自然な日本語に移し変えており、とても読みやすい。

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篠田英朗『「国家主権」という思想──国際立憲主義への軌跡』

篠田英朗『「国家主権」という思想──国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年)

 現代社会において「国家主権」をめぐるアポリアの一つは、ある国家の内部で深刻な人権抑圧が生じているとき、国際社会がその問題に向けて何らかの対処を検討すると「内政干渉だ! 主権の侵害だ!」と反発され、事態が何も進まないというケースである。例えば、国連安全保障理事会常任理事国として指定席を持つ某2カ国。最近のシリア情勢をめぐっても具体的な決議には及び腰だ。いずれも脛に傷もつ身であり、同様の矛先が自分たちにも向けられたら困るので、先例は作りたくない…というのが理由の一つとして考えられる。

 ただし、内政干渉による「国家主権」の侵害という反発は、そう簡単に無視するわけにはいかない。場面によっては単なる自己弁護に過ぎないことが明らかではあっても、少なくともそのロジックに一定の正当性が認められている以上、さらに包括的で説得的な理論的枠組みを通した反論をしなければ、国際秩序を成り立たせているルールそのものへの疑念を醸し出してしまう。

 17~18世紀にかけてのヨーロッパにおいて成立した近代社会、それと歩みを共にしてきた「国家主権」という概念をめぐり、現代に至るまでどのような思想的応酬が交わされてきたのかをたどり返すのが本書の基本的な内容である。通時的に検討しながら浮かび上がってくるのは、「国家主権」なる概念も決して一義的なものではなく、時代ごとに様々なヴァリエーションを示していることだ。時代状況に合わせて「主権」概念は異なる解釈がされてきた。つまり、絶対不易の原理とは言えない。この点を建設的に考え直すなら、現代社会において差し迫った課題や国際的に一般化した価値観に合わせて「主権」概念を読みかえることで何らかの可能性が見えてくるはずだ。本書はそのための基礎作業を行っている。

 「国家主権」をめぐる思想史的流れを確認しながら本書が最後にたどりつくのは、「新しい国際立憲主義」である。

 国家的レベルで行われる非人道的行為を防止するため、「保護する責任」という考え方が提起されている。しかし、これは場合によっては軍事介入も含まれるため、上述のように、国家主権尊重、内政不干渉といったこれまで国際関係を規律してきた原則に背馳するのではないか?というアポリアにぶつかって立ちすくんできた。ところで、「新しい国際立憲主義」は、「国家主権」を必ずしも否定するわけではない。むしろ、国民を守るべきなのは第一義的には当該国の「国家主権」そのものの役割であることをまず確認する。ただし、「国家主権」が自らの責任を適切に果たしていないとき、国際社会がその責任を肩代わりして実行する必要がある。言い換えると、平和構築は「国家主権」を補完する役割を担うという考え方になるだろうか。

 これは古典的な社会契約説による立憲主義でも説明できる。つまり、政府が統治契約に違反して人民の権利を侵害したとき、人民には革命権・抵抗権が自然法における不可分の権利として認められているとジョン・ロックは主張していた。ここから論理を広げれば、この抵抗権・革命権を外国勢力に代行してもらうという考え方もできる。こうやって見ていくと、実は立憲主義の原点に立ち返ってこの問題を考えなおすこともできるのである。思想史的なパースペクティブを基本としているため、そうしたあたりを確認できるのは本書の強みであろう。

 いずれにせよ、「国家主権」と「保護する責任」とを結びつけることで、国際立憲主義の規範的枠組みの中でのみ主権は機能することを強調する考え方が現代では現われつつある。ここに至るまでの思想史的系譜を整理することで、そうした思潮の理論的な位置づけを図り、「主権」概念の現代的解釈を提起しているところに本書の意義がある。

(以下はメモ)
・「ウェストファリア体制」という虚構。国際関係論の教科書などでは、ウェストファリア講和条約において絶対的に排他的な領域的独立性を持つ主権国家が成立したと説明するのが一般的だった→ハンス・モーゲンソーが「諸国民間の政治」として国際関係を描き出す理論的方法論として好都合だったから採用された見方に過ぎない。むしろ、ウェストファリア条約は主要交戦国が一堂に会して話し合う機会→同じヨーロッパ社会に属しているという自覚の証明に役立った。

・超越的権威(神)が低下して中世的な秩序が終焉→混乱を経る中、自律的な空間秩序を形成する権威が模索された→神ではなく、人間が主役、すなわち国民主権。

・イギリスやアメリカの古典的立憲主義:諸個人の権利を基礎にした法秩序空間。ジョン・ロックは、諸個人の自然権を守るのが社会秩序の目的なのだから、どんな最高権力であっても秩序を脅かすことは許されないと考えた→革命権や抵抗権を許容。

・近代になって、「国民=民族」を有機的統一体と考える価値規範の定着→主権とは、国民国家に本質的に宿る超越性として語られるようになる→立憲主義では権利保護のためのフィクショナルなものと捉えられていたが、フランス革命以降の国民主義の進展と共に国民国家の中に実在するものと考えられていく(主権の「物象化」)→真の「主権」とは何か?という議論へ。

・20世紀になると民族自決原則によってあらゆる国は主権を持つという考え方が広まる。しかし、それ以前の19世紀後半の帝国主義の時代は、国民たるにふさわしい国のみ主権を持つ、従ってふさわしくない国には主権はない、植民地支配を受けて当然という考え方。主権国家たるにふさわしい資格を持っているのか、自らの力で証明しなければいけない。

・国際連盟設立に当たって、アメリカのウィルソン大統領とランシング国務長官の対立。ウィルソンは国際立憲主義→主権概念の制限を意図。対して、ランシングは、主権の所在は形式論理ではなく、現実世界を動かす人間たちの具体的な力にあると考えていた→主権の「物象化」を前提としたリアリズム。力の現実を虚構で覆い隠せるはずはないと考えてウィルソンを批判。

・両大戦間期の国際立憲主義→カール・シュミットの「例外状態」論から思想的挑戦。

・冷戦期、イギリス・アメリカの社会科学では、主権概念を形式化して把握。つまり、建前として主権の絶対性を前提とするが、実際には権力政治で動いている現実とを乖離させた形で政治分析。

・20世紀後半の主権概念の形式化と、国際社会全体の秩序への関心の増大→「新しい国際立憲主義」:20世紀後半において国家主権は、いかに形式的であろうとも、上位の国際機関によって統御されるものではない。しかしある一定の規範に服し、経済活動や人権によって制限されるものではある。つまり市民社会の活動によって、国家主権は制限されるのである(273~274ページ)。主権を「国際システムの構成原則」として把握。自由な経済活動や人権規範に介入しないように規則づけられた、新しい形態の立憲主義的な主権。国内社会と国際社会とは異なる構造や背景を持つが、完全に別物と考えるのではなく、同じ価値規範によって統制される。国家主権はその機能に応じて尊重されるが、市民社会という不可侵の領域を破壊せず、ただその保護者としてのみ活動することが期待される。

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2012年6月17日 (日)

辻潤について辻まことが記したこと

 本ブログのタイトル「ものろぎや・そりてえる」の由来について取り立てて説明したことはなかったが、これは辻潤の同名エッセイから拝借したもの。アルファベット表記すると、monologia solitaire。ラテン語の名詞にフランス語の形容詞がかかる形で、日本語に強いて直すなら「さびしき独白」とでもなるだろうか。

 語感が何となく気に入っていた。ひらがな表記した欧米語は意外にモダンな雰囲気が醸し出されるだけでなく、音のリズムが心地よい。まだ無名だった頃の宮沢賢治や萩原朔太郎を見出したのは辻潤であり、そのことからも窺えるように彼の詩的な言語感覚には独特な鋭さがある。さらに、ネット上で適当なことを書き散らすには意味的にも通じると思ったのが、この「ものろぎや・そりてえる」を採用した理由の一つ。

 ただ、そればかりでなく、私が辻潤その人に強い関心を持ち続けていることも動機として働いている。

 酒と女にだらしないダダイスト、それにもかかわらず妻の伊藤野枝を大杉栄に寝取られただらしないコキュ、そのように男女関係の乱雑さも許容される文学的サークルの中で騒ぎまわっていた日々──辻潤の一般的なイメージはそんなところだろうか。彼については評伝も何冊か出されている。ただ、辻潤について書かれたそのような本は意外と奥行きが感じられない。誰もが彼について語りたがる「自由人」なるイメージそのものが意外と型にはまってしまっているという奇妙な皮肉が実にもどかしく、私はほとんど感心できなかった。

 私自身が辻潤について描くとしたら、存在論的な人生そのもの、という捉え方になると思うが、それがどういうことなのかはまた別の機会に。

 辻潤について書かれた文章で唯一、私が的確だと思ったのは、息子・辻まことの残した断片的なエッセイである。ただし、彼は父親について書くことに躊躇いを感じており、求められてもあまり書かなかった。それは気恥ずかしいからではない。辻潤について語ろうにもふさわしい言葉が見つからない。ただこの世に存在する、というこの端的に不可思議な真実を表わすべき十全な言葉を、誰もが見出し得ないのと同様な困難を感じざるを得なかったからだ。そうした戸惑いの中でも彼が何とかつむぎ出した次の評言は、私もまさにその通りだと思う。

「自分自身を生命の一個の材料として最も忠実に観察し、そこに起る運動をありのままに表現する作業、つまり、客体としての自己を透して存在の主観を記述したのが辻潤の作品なのだ。最も確実な個性を、個性的な忠実さで個性的に追求したために、ついに個性などというものを突抜け、人間をつきぬけ、生物一般にまでとどこうとしてしまった存在なのだということができるかも知れない。」

 以下は『辻まことセレクション2 芸術と人』(平凡社ライブラリー、1999年)から抜粋。

 彼は短い人生の長かった闘争の最後に狂気によって救済された。辻潤は佯狂だという人がいる。しかし佯狂もまた狂気であると私はおもう。佯狂のように見えたのは、彼の場合に百パーセントの狂人ではなく、狂気と正気が共棲していたためだ。器能障害による狂気ではないからだ。おそらく精神が自衛上採用した最后の手段だったとおもう。
 最初の発作が起こったとき(不眠不休が三日も続いた)ついに慈雲堂病院に入院させるために、やっとのおもいで自動車に乗せた。そのとき私は、行先きを彼にはっきりとは告げなかったのだが、彼は私にこういった。
 ──お互いに誠実に生きよう。
 異常に高揚した精神につきあって私も不眠が続いていて、こっちもすこしはオカシクなりかけていたのだが、この言葉とそのときの冷静な辻潤の面持ちのなかには一片の狂気のカケラもなかった。そして、この言葉は私の心に深く刺さりこんだ。
 直観的に、この言葉が、お互いの関係の誠実という意味ではないことを悟った。彼は私に「自分の人生を誠実に生きる勇気をもて」といっていたのだ。そして自分は「誠実に生きようとしているのだ」といっていたのだ。
 一寸まいったのである。
(「父親と息子」241~242ページ、初出:松尾邦之助編『ニヒリスト』オリオン出版社、1967年)

 「汝の運命を愛せ!」という言葉は賢いものの言葉として知られている。確かにその通りであろう。親爺は自殺を否定していたから、或は自分自身の運命を肯定していたかも知れない。しかしこのような人間の運命を見せつけられた者にとっては、その世界観と人生観が、一行の箴言では片付けられない重さを持ってくる。
(「父親辻潤について」253ページ、初出:『本の手帖』1962年6月)

 一体辻潤の人や作品を解説すること自体がかなりナンセンスだと、本当のところ私はおもっている。そのことは少しでも辻潤の書いたものを読めば解ることだ。
 そもそも辻潤の思想のコツは一切の解説的知性を転覆しているところなので、その文学的意図は読者の悟性をいかに切捨てさせてしまうかにある……といってもいいくらいのものだ。
 すでに「ニヒリスト」という表題で何人かの人々が、辻潤の人や作品について興味ある文章を寄せているし、そのほか、これまでにいろいろな人が書いたものを読んだ。だが私の眼にふれた限りでは、どれもこれも、及ばないのだ。なにに及ばないかといえば、辻潤に関する限り、辻潤その人の書いたものに匹敵する深みまでは及ばないのだ。
 自分自身を生命の一個の材料として最も忠実に観察し、そこに起る運動をありのままに表現する作業、つまり、客体としての自己を透して存在の主観を記述したのが辻潤の作品なのだ。最も確実な個性を、個性的な忠実さで個性的に追求したために、ついに個性などというものを突抜け、人間をつきぬけ、生物一般にまでとどこうとしてしまった存在なのだということができるかも知れない。
 私は、いつか「辻潤は理解される必要のない人物だ」となにかに書いた。理解されるという言葉の意味がどういうものなのかを辻潤を読んだ人でも解らない人がいて、文句をいわれたことがある。「辻潤を理解する」といえるほど、私は辻潤を軽蔑することができないのだ……と私はその人に答えた。
 すべての方法論を放棄して自分を生きる……この容易であり最も困難でもある辻潤流をそのまま移せば、「すべての解説を飛躍して直接読め」……ということになる。死んだ辻潤はどんな顔付、どんな声だったかは、読者当然の興味かも知れない。だが本当の興味は、汚染されない読者によって辻潤がどんな顔付で、どんな声で、その読者のうちによみがえるか?ということだとおもう。
(「辻潤の作品」264~265ページ、『辻潤著作集 第三巻 浮浪漫語』解説、オリオン出版社、1970年)

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