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2012年5月27日 - 2012年6月2日

2012年5月29日 (火)

一青妙『私の箱子(シャンズ)』

一青妙『私の箱子(シャンズ)』(講談社、2012年)

 「風を聴く~台湾・九份物語」という映画を以前に観たことがあった。金鉱のおかげでかつては活況を呈し、ひところは「小香港」とも謳われた九份、そこに暮らす人々の現在を写し撮ったドキュメンタリーである。一青妙はそのナレーションをしていた。彼女が一青窈の姉だと知ったのはこの映画を観たときだったと思う。

 一青姉妹は九份にちょっとしたゆかりがある。日本による台湾統治の初期、九份の金鉱経営で財を成した顔雲年は台湾でも有数の財閥を形成、今も顔一族は台湾五大家族の一つに数えられる名家として続いている。ところで、一青妙、窈姉妹の台湾名はそれぞれ顔妙、顔窈という。彼女たちの父・顔恵民は顔一族の御曹司であった。なお、母親は日本人で、姉妹の日本名・一青は母方の名字である。

 まだ子供の頃に亡くなった父の面影。自らについて多くを語らなかった母のこと。記憶のつまった箱子を開けてみると、幼い頃の思い出と共に両親の姿が脳裡にまざまざと立ち上ってくる。矢も盾もたまらず両親を知っていた人々に話を聞きにいき、旅路は日本、台湾、そしてアメリカにまで及んだ。なつかしさをかみしめるだけではない。子供心には不思議だった何気ないことに、そんな事情があったのか、と今さらながら分かることもある。

 ガンに侵された父、頑ななまでに告知をこばむ母。告知しないというのは当時において日本人的な思い遣りであったと言えるが、逆に本当のことを知りたいと父は苛立ち、二人の仲が気まずくなっていたこと。父はスキーに山登り、そして本が大好きな高等遊民だったが、顔一族を背負って立たねばならないというプレッシャーに負け、精神的に行き詰っていたこと。東京に留学して日本の風物に馴染みのあった父は日本の敗戦を機に台湾へ戻る。しかし、二二八事件、白色テロと続く台湾社会の変化に絶望し、日本へ密航してきた(犬養家の息子と親友で、その父・犬養健の家に一時期居候していたらしい)。妙は、自らが育った1970年代の台北で過ごしたのどかな日々を思い返しながらも、そうした風景の背後に戒厳令が敷かれていたなんて実感が湧かない。

 年齢的に言って私は一青妙と一青窈の間に挟まるから、同世代である。だが、ここで描かれる光景はちょっと別世界と感じる。一つはもちろん台湾だからということもあるが、それ以上に、台北の大きな邸宅など、やはりお嬢様の生活だ。

 ただし、妙さんのさらっとした筆致は全く嫌味を感じさせない。顔一族の「お家騒動」を面白がっているところなど、むしろ別世界に紛れ込んでしまった者の視点で見てくれている感じ。何かを説明するよりも、目に焼きついた風景、鼻に感じたにおいなど素直に描写しているところに好感を持てる。例えば、日本とは違って茶色っぽい台湾のお弁当。見かけではなく、食べておいしいという実質重視の描写が、やけに食欲をそそった。

 日本と台湾との狭間に立った体験的作品としては、温又柔『来福の家』(集英社、2011年)も以前に読んだ。日本育ちで台湾人なのに日本語の方が得意、改めて中国語を学び、二つの言語に翻弄された困惑を通して感じた言葉の不思議をモチーフとして織り込んでいるところが興味深い。

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五野井郁夫『「デモ」とは何か──変貌する直接民主主義』

五野井郁夫『「デモ」とは何か──変貌する直接民主主義』(NHKブックス、2012年)

 ウォール街占拠デモや3・11以降における日本の脱原発デモなどアクチュアルな現場の考察を手がかりに、「クラウド化する社会運動」としてのデモの可能性を探る論考。

 デモに着目した戦後日本政治史として興味深いが、良くも悪くも若書きという印象も受けた。例えば、中曽根政権の臨調を取り上げて「自民党政治が民主主義を押し殺してきた」という言い方をするのは少々乱暴ではないか。私だって自民党に票を投じたことなんて一度たりともないが、少なくとも手続的正統性の範囲内で実施された政策であった以上、こういう感情論は説得力を減じてしまう。

 取り上げられたトピックは新しいにしても、形骸化した議会政治に対して民意を訴える直接政治=デモが必要という問題意識は、古典的というかオーソドックスとも言える。新味は感じなかったが、とは言っても本書をけなずつもりはない。むしろ、政治がいつの時代でも不可避的にぶつかるアポリアを正面から取り上げ、それを「デモ」という現在的テーマの中で位置づけているところに意義があると言えるだろう。

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田村秀『暴走する地方自治』

田村秀『暴走する地方自治』(ちくま新書、2012年)

 大阪都、中京都、新潟州など制度再編の話題が喧しいが、これまで鳴り物入りで登場した「改革派」知事たちも結局、実績を残せなかったことを指摘。制度を変えればすべて良くなるかのようなイメージを振りまき、それが劇場型ポピュリズム政治の看板に使われているだけ、という論点は確かにその通りだと思う。日本の地方自治制度の歴史的背景や海外との比較などを織り込みながら解説が進められるが、「改革派」知事たちをこき下ろすあまり、現行地方自治制度をそっくりそのまま擁護する論調のような印象も受けてしまった。逆に現行制度に問題はないのか、その点が気になる。

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ポール・ミドラー『だまされて。 涙のメイド・イン・チャイナ』

ポール・ミドラー(サチコ・スミス訳)『だまされて。 涙のメイド・イン・チャイナ』(東洋経済新報社、2012年)

 アメリカのクライアントと中国現地の工場との間で仲介業をしているアメリカ人ビジネス・コンサルタントが出くわしたトラブルの数々。ストーリー仕立て、翻訳もこなれていて面白く読めるノンフィクション。

 ただし、扇情的なタイトルは読者をミスリードしかねない。生活習慣も商習慣も異なるのだから、トンチンカンなトラブルが続出するのも当たり前。むしろ、行動ロジックの相違を如何に読み取るか、そうした具体例として興味深い。「だから中国はダメなんだ」みたいなチャイナ・バッシング的な視点だと、その読み手自身が予め持っている偏見を再確認・増幅させるだけで、建設的な読み方にはならないだろう。

 利益ゼロにもかかわらず委託生産を受注する工場があるらしい。その理由の一つとして、先進国の第一市場を相手にするときは利益ゼロでも委託生産のサンプルを受け取り、発展途上国の第二市場を相手に模造品を売りさばいているという。アメリカでは1ドルで売られている製品が、発展途上国では2~3ドルで売られているというグローバルな経済格差を、こんな形で利用したビジネスモデルが成り立っていることが、良くも悪くも関心を引いた。

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