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2012年5月6日 - 2012年5月12日

2012年5月11日 (金)

台湾旅行⑥(5月6日、旗山/5月7日、帰国)

(承前)

 美濃は早めに切り上げ、高雄方面へ戻るバスに乗る。15分ほどで旗山に着いた。こちらの方が美濃よりも街の規模は大きい。バスターミナルには高雄・左営ばかりでなく鳳山や台南など各方面へのバスが発着しており、この近辺の交通拠点となっている様子だ。ただし、位置が町外れにあって最初は方向感覚がつかみづらく、ちょっと道に迷いそうになった。写真は中心街へと向かう途中の通り。

 旗山はもともとバナナの産地として知られた街で、収穫されたバナナを運ぶ鉄道がここまで引かれていた。すでに廃線となっているのだが、駅舎が再建されて観光スポットになっている(写真写真)。台湾ではこうしたケースはよく見かける。中はちょっとした観光案内スペースとなっており、バナナなどお土産品も売っていた。

 駅舎の裏手に回ると、写真の建物が見えた。瓦屋根のぼろい日本式だ。何だろう?と思って近づくと、「旗山信用購買販売利用組合工場」跡地となっている(写真写真写真)。日本統治期に建てられた建造物で、今は歴史遺産として改修工事中のようだ。

 旗山駅に戻る。商店街へと向かう手前にぼろい建物があった(真、写真)。よく見ると、古い亭仔脚である。ロープがめぐらされ、崩れかかって危ないから近寄るなという注意書きが貼ってあった。亭仔脚というのは、建物の一階部分の道路に面した一角を歩道として提供し、雨や暑さをしのげるようにした構造のこと。要するに、台湾の主要都市に必ずあるアーケード式歩道である。南方でよく見かける建築様式だが、台湾では日本統治期に義務化された。

 写真もやはり旗山駅近くにあった古い日本式家屋。現在は喫茶店として再利用されているようだ。こういう利用方法も台湾では時折見かける。

 旗山老街を歩く(写真)。日本統治期に作られた洋風建築が見られる(写真写真写真)。バロック風のファサードが良い味わいを出している。何となく、このレトロな町並みは、台北近郊の三峡の老街と雰囲気が似ていると思った。休みの日なので屋台が並び、地元観光客が買い食いしながら歩いている。私もバナナ・アイスや、愛玉子などを買い食い。なお、バナナ・アイスは旗山枝仔冰城というお店で買った。ここは割合に大きな構えで、創業1926年。メニューにもヴァリエーションがあり、イート・インのコーナーは混んでいた。タロイモ・アイスが名物らしいのだが、旗山ならバナナだろうという勝手なイメージでバナナ・アイスにした(写真)。

 アイスを買ったお店のある十字路で旗山老街から離れ、地図を見ながら孔子廟へと向かう。途中に武徳殿という日本統治期の建物があった。現在は改修されてコミュニティ・ホールのように使われている。こうした武徳殿も台湾の各地にあり、他にも台北郊外の大峡で見かけた覚えがある。武徳殿というのは当時の警察関係の武道場である。武徳殿の本堂には大きな覆いがされて、ひさししか見えない(写真写真写真)。横に張り出した別棟の方はそのままの姿を残している(写真写真)。中に上がると写真のような感じ。土足で上がるのは気がひけるな。

 武徳殿はかつての旗山神社のすぐふもとにあった。旧参道だった階段(写真)の途中から見下ろした武徳殿(写真)。旗山神社の跡地には現在、高雄市孔子廟がある。門構えは台北の中正紀念館と全く同じ形式だ(写真)。旗山の街並を一望にできる高台である(写真写真)。なお、旗山は高雄県に属していたが、最近、高雄市に吸収合併されたので「県」ではなく「市」となっている。台湾にあった神社の跡地は戦後、忠烈祠にされたケースが多いのだが、高雄の忠烈祠は高雄市内にすでにあるから、こちらは孔子廟となったのだろうか。境内の目立つところに蒋介石の銅像、孫文や蒋経国の言葉などがある(写真写真)。日本軍国主義の「日本精神」から国民党イデオロギーへと転換したことを台湾の人々に誇示する目的があったと考えられる。現在は人影もまばらで、静かな心地よい空間となっている。

 高雄に戻った。いったん宿舎に戻り、食事に出る。MRT三多商圏駅で下車、遠東百貨店の17階にある誠品書店の高雄店に寄る。高雄市立歴史博物館が土日には夜21時まで開館しているのを思い出し、タクシーを拾った。しかし、今日はなぜか休館中。とりあえず写真だけ。高雄市立歴史博物館は日本統治期に高雄市役所として建てられた帝冠様式の建築で(ちなみに、旧高雄駅舎も帝冠様式→写真)、戦後も引き続き高雄市政府として利用されてきた。二・二八事件のとき、国民党政府側と交渉するため地元有識者の組織した二・二八処理委員会がここに置かれたが、国民党軍によって制圧された際に砲撃を受け、一部は損壊したという。こうした因縁もあって二・二八事件に関する展示・研究も行なわれている。博物館前の道路を挟んだ向かい側にある公園には二・二八事件関連の記念碑もある。

 愛河をぶらぶら歩き、思い立って六合夜市へ足を運んだ。屋台で、以前に台東で見かけてからずっと気になっていた果物、釈迦頭(シュガー・アップル)を入手し、ホテルに持ち帰った(写真)。痛みやすいからか、輸出はされていないらしい。割るとこんな感じ(写真)。見た目はゴツゴツしているけど、結構やわらかい。屋台の人が二つに割ってくれたのだが、コツがありそうだ。柿の種ほどの大きさの黒い種が白くてクリーミーな果肉に覆われており、それを一つ一つスプーンですくいながら食べる。淡白な甘さ。これは何だろう、ヤシ系の味なのかな? うまく表現できない。一人で食べるには大きくて、飽きてきた。半分がちょうどいいくらい。

 5月7日、帰国。左営から8時に出る高速鉄道に飛び乗った。朝食を買う時間もなく、車内販売にもあまり食欲をそそられるものがなく、空腹のまま10時に台北着。そこで、鼎泰豊の敦南店に行ってしっかりブランチ。そのまま誠品書店敦南本店へ行き、色々買い込む。旅行中に買い込んだ中でめぼしいのは以下の通り。
・白先勇『父親與民国:白崇禧将軍身影集』(時報出版):白先勇は台湾現代文学では代表的な作家で、この本は父親であった白崇禧・元国防部長について初めて書いたという触れ込み。評伝というより、写真集にコメントを加えている感じ。
・周婉窃『海洋與殖民地台湾論集』(聯経出版):周婉窃は台湾大学教授、台湾史研究では第一人者で、邦訳された『図説 台湾の歴史』(平凡社)は「東アジアの100冊」の中に選ばれている。今回買った『海洋與殖民地台湾論集』には、私が以前から関心を持っている江文也についての論文「想像的民族風─試論江文也文字作品中的臺灣與中國」も収録されていた(ただし、台湾大学のHPにPDFでアップされているのをすでに読んだけど)。
・郭明正『真相巴萊:賽德克巴萊的歷史真相與隨拍』(遠流出版):魏徳聖監督の映画「セダック・バレ」に合わせて刊行された本。著者はセダック族出身で、この映画の言語指導を行った人。ただ、映画のストーリーだけでは観客を誤解させかねないという問題意識から書き下ろされている。周婉窃が序文を寄せている。
・『建國舵手 黃昭堂』(吳三連台灣史料基金會):昨年亡くなったばかりの台湾独立派の重鎮、黄昭堂のオーラルヒストリーのようだ。
・莊永明『台灣歌謠:我聽我唱我寫』(台北市政府文獻委員會)
・賴香吟『其後 それから』(印刻出版):小説集。話題の新刊らしいのでとりあえず買った。

 帰りの飛行機の中では『接接在日本2』(商周出版)をざっと通読。日本に押しかけ女房でやって来た台湾の女の子・接接が受けたカルチャー・ギャップがテーマ。イラスト・エッセイなので気軽に読める。

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2012年5月10日 (木)

台湾旅行⑤(5月6日、美濃)

(承前)

 5月6日、幸いなことに、この日も晴れだった。高雄からバスで1時間半ほど行った山間にある客家の村、美濃へ行く。

 美濃と書いて、中国語ではメイノン(mei3 nong2)と発音する。もともとは瀰濃と書かれたらしいが、その発音が「ミノ」という日本語的な語感に近かったため日本統治期に美濃と改名され、そのまま定着したのだという。高雄市と高雄県とが合併したのを受けて、現在は高雄市美濃区となっている。

 美濃は山間の平地が開拓された村で、近づいていくときには青々とした田んぼの中をバスに揺られながら横切ることになる。バナナや椰子の木が点在し、そばまで山並みが迫っている。のどかな雰囲気だ。美濃は米どころである。中心街の観光案内所(美濃國小の建物に附設)にあった物産品陳列コーナーには高級米も置かれていた。写真はとうもろこし越しに撮った田んぼと山。

 客家の居住地は山間部が多い。大陸からの漢族系渡来民として泉州系、漳州系、客家系それぞれが来た順番に条件の良いところへと定着し、一番遅かった客家系が条件の悪い山地へ追いやられたという説明を以前に何かで読んだことがあった。しかし、最近の研究では、泉州系は商人が多いので港の近く、漳州系は農業民なので平野部、客家系はもともと大陸でも山地に暮らしていたので同様の環境の場所を敢えて選んだと考えられているらしい(王御風《圖解台灣史》[好讀出版、2010年]を参照)。

 美濃の中心街付近を散歩するだけなら2時間もかからない。観光地図で老街となっている通りを歩いてみたが、普通の民家が並んでいるだけだった。写真のような廟堂を見かけたくらいか。これといった何かがあるわけではないけど、観光地ではないから当然だ。台湾の田舎町の雰囲気を肌で感じながら歩くにはちょうど良いのかもしれない。中心部から離れた所に美濃客家文物館や鐘理和紀念館などがあるが、そこまでは足を伸ばさなかった。レンタサイクル等の手段で行くことは可能のようだ。

 客家の人たちの住居は写真のような感じ。コの字型に房屋が配置され、中央の堂宇には「三省堂」「河西堂」などと扁額がかかっている。割合と構えは大きい。集合住宅の場合でも玄関先には必ず紅い聯句が貼ってあった。学問を奨める内容が多く、客家の人たちにはそういう気風が伝わっているのか。そう言えば、街道沿いに美濃へと入る辺りに敬字塔というのが建立されていた(写真写真)。

 中心街の観光案内所に寄ってから、永安路を東へと歩いていった。写真は日本統治期にかけられた橋(写真)。真ん中の石像は猿か? 商店街なのか住宅街なのか微妙な通りだ。藍衫をつくっているお店があった。店先の人形が着ている青い服が藍衫(写真)。客家の人々に独特な衣服で、特産品になっている。古い家屋(写真)、それから廃屋(写真)。東門楼(写真写真)まで行って、同じ道をまた戻った。

 中心街の方に戻ると、写真は粄條(ばんてぃあお)街と名づけられた通り。ちょうどお昼時だった。お店を眺めながらブラブラ歩いていたら、店先で料理をしているおばさんが愛想よく微笑みかけてくれたのと目が合ったので、そのお店に入ってみた。ガラス戸を開けると、冷房がきいている。粄條と空心菜、それから汁物があった方が良いかと思って魚丸湯を注文した。

 写真が粄條という客家料理。美濃の名物らしい。食感はうどんみたいで、何の違和感もなくツルツルと食べてしまった。米でできているらしいから、太いビーフンと言った方がいいのかな。トッピングは鶏肉ともやし、ニラ、干した小エビ。醤油風味のおつゆが軽くかかっている。さっぱりしていて食べやすかった。お会計の際、私の中国語が不自由だったのですぐ日本人と分かったのか、金額は日本語で教えてくれた。親切な応対が本当にありがたい。

 美濃は早めに切り上げ、次は高雄に戻るバスに乗って旗山へ向かう。写真はバスターミナル近くの街並。

(続)

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2012年5月 9日 (水)

台湾旅行④(5月5日、東港・大鵬湾)

(承前)

 東港に戻る連絡船には午後1時半頃に乗船。帰りの便は空いているなあと思いつつ、早めに乗船して仮眠をとっていたら、時間を追うに従って乗船客は増えてきて(特に合宿帰りと思しき大学生風の団体客)、ほぼ満席状態になった。

 東港は漁港の町である。マグロの水揚げが有名で、ここから日本へも輸出されているらしい。連絡船発着所から外へ出ると、通りは人や車がごった返し、警官が交通整理をしている。マグロ市が催されており、その会場へと車が次々と吸い込まれていく。行楽がてら買出しに来た人たちのようだ。私がマグロを買っても仕方ないので、その手前にある市場をブラブラひやかす。もちろん魚介類が中心。マグロをその場で切り身にしてパックにつめ、すぐお刺身として食べられるように売っているお店もあった。

 大鵬湾へ行こうと思ったが、歩いて行ける距離なのかどうか分からない。バスがあるはずと思ってバス停も探したが、どうも見当たらない。とりあえず東港の町を適当に歩いていたら、昔の日本式家屋を見つけた(写真写真)。こういうのは見つけ次第、写真に撮っておく。

 結局、タクシーを拾った。大鵬湾まで車だとすぐだった。到着したのは3時過ぎくらい。公園としてまだ本格的な整備は終わっていない様子で、人影はまばら。大鵬湾はラグーン状になった内湾で(写真写真)、日本統治期には日本軍の水上飛行場があったそうだ。戦争中、台湾は「南進」の基地と位置づけられていたから、ここもそうした最前線となっていたのだろう。戦後も国民党に接収されて軍事施設となっていたが、一般開放されて「大鵬湾国家風景区」として整備され始めたのは最近のことらしい。詳しいことはこちらのホームページを参照のこと。

 写真のような看板があって、日本軍関係の遺跡も観光資源にするつもりのようだが、まだ公園が完成しておらず、奥の方に入ろうとしたら警備員さんに追い返されてしまった。奥の方を見てみると、写真のような展望台が作られている。明らかに水上飛行場だった過去をアピールしている。

 写真は戦争中の防空壕。台湾各地にあり、私は他にも宜蘭、花蓮、台東で見かけたことがある。弾薬庫も現存している(写真写真写真写真)。かつては湾の際まで鉄道が来ていた(写真)。それから、写真は大鵬湾公園の入れなかった区域に見える古い建物。昔の給水塔かな? 気になるのだが、入れてくれないのだから仕方ない。

 帰ることにした。頑張って移動した割には不消化感を残したままの一日だった。まあ、こんな日もあるか。
 バス停に行く。ここを通過する墾丁快速というバスの時刻表を見ると、終点の高雄市内及び墾丁の発車時間は記されているのだが、ここを何時何分に通過予定なのかは記載なし。正確な時間は分からないから参考にせよということか。ぼんやり待っていたら左営行きのバスが来たので乗車。左営まで146元。

 宿舎に戻る途中でコンビ二に寄ったとき、蘋果日報を初めて買った。こんなに分厚いとは知らなかった。余英時が一面にデカデカと出ているのが目に入り、余英時とリンゴの取り合わせなんて珍しいと思って買った(写真)。台湾紙「中国時報」の社長は中国共産党に迎合しているから拒絶する、という署名運動に賛同したことが記事になっている。余英時は中国近代思想史研究では著名な学者で、台湾の中央研究院院士、プリンストン大学名誉教授。マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を意識して書かれた『中国近世の宗教倫理と商人精神』は日本語訳されている。もう82歳なのか。普段は研究に専念して、テレビもネットも見ない生活らしい。

(続)

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台湾旅行③(5月5日、小琉球)

(承前)

 島へ渡った。

 台湾南部・屏東縣の沖合に浮かぶ離島、小琉球である。かつて中国の史書では台湾や沖縄も含めてこの辺りの島々は「琉球」と呼ばれており、その名前が残っている。行政上の名称は屏東縣琉球郷だが、沖縄と区別するため「小琉球」とも呼ばれる。

 小琉球への連絡船は東港という漁港から発着している。かつてここまで敷かれていた鉄道路線はすでに廃線となってしまったので(ちなみに、私の手元にある2006年版の台湾地図集[大輿出版社]には東港線がしっかり記載されている)、今はバスで行くしかない。しかし、東港のバスターミナルからさらに埠頭まで別のバスに乗り換えなければならず、時間的効率があまり良くなさそうなので、高雄から東港碼頭まで直接タクシーで行くことにした。

 雲行きは不安定そうだ。せめて雨が降らねばいいのだが。

 東港碼頭でタクシーを下ろしてもらった。高雄からここまで1時間もかからなかった。

 小琉球へ渡るには民営と公営の二つの航路があり、発着所はそれぞれ別になっている。島で一番大きな集落である白沙尾へは民営航路が行き、公営航路だと別の不便な漁港の方に着いてしまうそうなので、民営航路の発着所に入った(写真)。団体客や家族連れなどであふれかえっている。マリンスポーツもできるので人気があるようだ。地図を見ると、民宿やキャンプ場なども結構たくさんある。

 往復切符420元を購入。白沙尾碼頭へは1日8本就航しているが、今日のような休日には臨時に増便されており、あまり待たずに乗船できた(写真)。

 島に着いたのは朝9時頃。東港の発着所から所要時間は20分ほど。

 幸いなことに晴れてきた。何の考えもなしに取りあえず身一つで渡ったのだが、レンタサイクルで島を一周することにした。バスも運行されているようだが、本数は少なく不便らしい。なお、観光バス以外に自動車はほとんど見かけなかった。

 島内を環状道路が巡らされており、サイクリングがしやすいように道路が整備された区域もある(写真写真)。ただ、島内観光の主流はバスでも自転車でもなく、バイクである。台湾の人はみんなバイクに乗り慣れているから、当り前と言えば当り前だ。老若男女を問わず、二人乗りのバイクの集団が私を次々と追い越していく。自転車利用者は本当に私一人だけだった。台湾で通用する運転免許がないので仕方ないのだが。エコ対応ということで電動バイクが推奨されており、充電機も島内でいくつか設置されている。

 小琉球は台湾では唯一の珊瑚礁からなる島で、ところどころで見かける岩肌には珊瑚に特有の模様がくっきり見える(写真)。それらの岩石にまとわりつくように青々と繁った植生は、葉っぱの瑞々しい緑色が印象的で、やはり熱帯に来たのだなあ、と実感させてくれる。

 まだ午前中だが、気温が上がってきた。サイクリング・ロードの両脇に生い茂った木々が道路の上に屋根のようにおおいかぶさってところでしばし涼を取る(写真)。

 小琉球では珊瑚礁質の岸壁が波風に削られて謎めいた姿を見せる洞窟や奇岩が観光スポットになっている。最初に訪れた美人洞もそうした一つである。ギザギザ状態になった岸壁のすき間を歩く(写真写真写真)。

 この島での生業は基本的に漁業しかなかったわけだが、海に出て行った男たちを待つ女性がこの辺の洞窟で待っていたらしい。生い茂った木々が岩肌のへこみの周りを取り囲んでいる空間などに入り込むと、洞窟とは言っても快適に生活できそうな印象を受ける場所もあった(写真)。海は見えない。しかし、木洩れ日が明るく、波の音は間近に聞こえる。

 写真の浜辺は威尼斯海灘(ベニス海岸)と名づけられている。台湾では海水浴の名所というのを意外と聞かないが、ここは良さそうな感じだ。

 海を見ながらのサイクリングは快適なのだが、2時間もすると疲れてきた…。もちろん、気温が上がってきたせいもある。30度は間違いなく超えている。12時過ぎには陽炎がゆらいでいるのが見えた。ただ、それだけでなく、第一に、寝不足であった。気力体力を充実させてから来た方が良かった。第二に、自転車のブレーキがおかしい。普通に走っていてもブレーキが微妙に接触しており、漕ぐ力が相殺されてしまう。結局、下り坂以外は引いて歩いた。それでも、海を見ながら下り坂をシャーッと走り降りるときの爽やかさは何物にも代え難い。

 ところどころで墓所を見かけた(写真)。中華圏における墓葬制度についてはよく分からないが、この形式のお墓は台湾各地でよく見かける。この島ではお墓はみな海の方を向いている。祖先が渡って来た方向を見つめながら眠ってもらうという配慮なのだろうか。

 今回の小旅行のお目当の一つ、烏鬼洞。旅行前に下調べした伊能嘉矩『台湾文化志』によると、オランダ人に連れて来られて島に住み着いた黒人奴隷が、島の住民によってここで虐殺されたという言い伝えがあるらしい。

 原文を引用。「小琉球嶼、石洞あり、天台澳尾に在り、相傳ふ、舊時烏鬼あり、族を聚めて居る、後泉州人あり彼に往て開墾す、番能く容れず、遂に泉州人は夜に乗じ火を縦ち、尽く燔きて之を斃さる、今其洞尚ほ存し、好事者轍ち往いて遊ぶ。」「蓋し、支那人の手に成りし文献に合考するに、大体に於て阿弗利加のネグロ若しくはネグロイド系統に属する民種の分布地方を総称して烏鬼國といへり。其住民の膚色帯黒なる体貌を有するに因みて命名せるなり。」(伊能嘉矩『台湾文化志』下巻[覆刻版]刀江書院、1965年、864ページ)

 16~17世紀、スペイン、ポルトガル、オランダ人が台湾に来航した際に帯同してきた黒人奴隷の中には、オランダ人が鄭成功によって追い払われた後も、解放されてそのまま台湾に居ついた者がいたらしく、鄭成功陣営にも銃の使用法に習熟した黒人奴隷2人がいたという記録もある。もともと中国の史書で黒人は「烏鬼」と呼ばれており、台湾各地の烏鬼にちなんだ場所(小琉球の他にも3ヵ所挙げられている)は彼らと何らかの縁があったようだ。

 なお、ここ「烏鬼洞」の英語名はBlack Dwarf Caveとなっている。Black Dwarf、つまり矮黒人にまつわる伝説は台湾の各原住民(蘭嶼のアミ族以外)に語り伝えられている。これらの伝説によると、矮黒人とは各原住民が台湾に渡来してきたよりもさらに以前から存在した先住者で、農耕など先進的な文明技術を彼らに教えてくれた。その意味では恩義がある。しかし、矮黒人は乱暴者で女性にちょっかいを出すなどのトラブルがあったため、彼らを皆殺しにしてしまったという。サイシャット族のパスタアイは虐殺された矮黒人の霊をなぐさめる祭祀として有名である。

 小琉球の場合、殺害されたのはオランダ人が連れてきた黒人奴隷で、手を下したのは泉州から渡来してきた漢族系の住民とされている。原住民の伝説に登場する矮黒人とどのようなつながりがあるのかはよく分からない。あるいは、原住民側の伝説では時間感覚がフラットになった中で黒人奴隷と接触した際の記憶が取り込まれているのかなあ、などと想像してみたりもする。

 写真の入口から洞穴の中へと降りていく。暗がりの中に入って行くと薄ら寒い感じもするが、すぐに海側の岸壁に出た。あとは岸壁沿いにデコボコした岩肌のすき間をルートに従って歩いていくことになる(写真写真写真)。一種のおどろおどろしさのようなものも期待していたのだが、小琉球の他の洞穴スポットと同様に奇岩の間を歩き回るだけなので、特別な何かを感じることもない。荒天の日にはこうしたデコボコな岩間を風が吹き抜けると、人の泣き叫ぶ声のようにも聞こえるだろうか、そんな想像をしながら歩いた。

 岸壁に設定された展望台に立って海を眺める。晴れて穏やかな陽射しが降り注ぐ中、押し寄せる波の音がリズミカルに響いてくるのに耳を傾ける。この海辺へポルトガル船やオランダ船、もしくは福建沿岸からの中国船などが来航してきた様子を想像してみる。

 ただ、高校生くらいの団体やいちゃつくカップルなどがはしゃぎながら記念写真を撮っていたりするので、そうした想像もすぐ掻き消されてしまったが。

 
 烏鬼洞を後にして、このまま南回りに島を一周しようかとも思っていたが、疲れてきて気力が持続しそうにない。もう一つの目的地である白灯台まではショートカットで行くことにした。

 白灯台は島の中央に隆起した丘の上にある。林の中を一本だけ通ずる坂道。他の観光客がみなバイクに乗ってスイスイ駆け上がっていくのを恨めしげに睨みつけながら自転車を引っ張っていった。

 この灯台は、台湾海峡やバシー海峡を航行する船のため、日本統治期に建設された(写真写真)。ネット上の観光案内サイトを見たところ、結婚式の装束で身を固めたカップルが記念撮影するスポットになっている一方で、かつてここで灯台守をしていた日本人が敗戦時に自決したという歴史もあるらしい。白灯台の手前、鬱蒼とした木々に埋もれた中に門柱を見かけた。樹木が壁のように立ちふさがって、どんな建物があるのかは見えなかった。ひょっとして、日本統治期の官舎でもあったのだろうか。

 私が白灯台を見ている間にも、バイクに乗った観光客が去っては次の人が来てという感じに細々ながらも人の動きは絶えない。灯台からペンキ塗りをしていたおじさんが脚立を担いで出てきた。工事中らしく中には入れなかった。

 だいぶ疲れてきたので連絡線発着所まで戻る。島の中央部を走る大通りをまっすぐ進むと、あっけないほど早く出発地点の街並までたどり着いた。戻ったのは午後1時頃だったので、島の中を回っていたのはおおよそ4時間くらいか。

(続)

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2012年5月 8日 (火)

台湾旅行②(5月4日、台北→高雄)

(承前)

 タクシーを拾って、誠品書店信義旗艦店へ行く。書棚を一通りチェック。いま本を買うと荷物が重くなって移動の邪魔になるので、最終日にまた寄ることにした。私が行ったとき、日本人の団体が来ていた。誠品書店の関係者と思しき人が解説をしていたから、出版・書店関係の人たちだろうか。

 市政府駅の地下街に入った。MRTで台北車站に出て、高速鉄道に乗り換え、高雄の玄関口となる左営まで行く。台北発17:30、左営着19:06.所要1時間半強。台湾の鉄道はほぼ時間通りに動く。

夕陽が沈みゆく頃合の風景を車窓からぼんやりと眺めていた。台北から新竹を過ぎるあたりまでは山がちの地区を通るのでトンネルが多い。台中から台南、高雄へと至る一帯は平野が広がっており、田んぼの緑色が鮮やかだ。山間の一本道に見える木製の電信柱、田んぼの中を通るあぜ道などを見ていると、日本の田舎を通過しているかのような不思議な錯覚も覚えるが、ただし椰子や檳榔樹など丈の高い熱帯性の木々が所々で姿を現すたびに、「いや、ここはやはり台湾なんだ」と再確認する。

 高鉄は高雄までは通じていないので、手前の左営で乗り換える。MRT(地下鉄)か台湾鉄道の在来線のどちらかを使うことになるが、地上の風景を見たかったので台鉄のホームに出た。

 高雄のあたりも雨があがったばかりらしく、あちこちに水溜りが見える。むっとした空気が鼻腔に立ち込めてきた。いかにも夏のにおいだ。高雄では5月の最高気温は普通に30度を超える。周りを見やると、地元の人たちの多くは半袖姿であった。若い女性の短パンからすらりとのびた足のしなやかさが美しい。

 高雄駅すぐ裏手の京城大飯店というホテルに投宿。ここはアクセスが便利なので高雄に来る時はいつも利用している。

 荷物を置いたら、すぐ外出。MRTに乗って三多商圏駅で下車。ここには太平洋SOGO、新光三越、遠東百貨店などの大型デパートが集まっている。デパート内でエスカレーターに乗って一通り眺めていても、日本のデパートとの違いは分からない。遠東百貨店の17階に誠品書店高雄店があるのでブラブラひやかす。誠品書店は店舗の規模に応じて店内レイアウトが工夫されているので、どの支店に行っても飽きない。

 再びMRTに乗って美麗島駅で下車。この駅は高雄を縦横に走るMRTが交差する乗り換え拠点となっている。ちなみに、台北でもそうだが、高雄のMRTでも車内アナウンスは北京語、台湾語、客家語、英語の4言語で行われている。北京語と英語はともかく、台湾語と客家語はさっぱり分からない。とりあえず、美麗島駅到着時のアナウンスで聞き取った発音を順番に記すと、北京語「メイリーダオ」、台湾語「ミーレイドゥー」、客家語「ミーリードッ」、英語「Formosa Boulevard」。

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 写真は美麗島駅の地下1階ホールにあるステンドグラス。ちなみに、「美麗島」とは台湾の美称である。初めて来航したポルトガル人がこの緑に覆われた島を見て「Illa Formosa」(美しい島)と呼んだのがそのまま島の名前となり、英語名のFormosaもこれに由来する。国民党による言論統制が続いていた時代、民主化を求める人々が発刊した雑誌『美麗島』の主催で行われたデモが弾圧されるという事件が1979年に起こり(美麗島事件)、その現場がこの駅の辺りだったことからこのような名称が付けられた。美麗島事件で逮捕された、もしくは裁判の弁護を行った人々は後に民進党の指導的な政治家となり、逮捕されたうちの一人、陳菊は現在の高雄市長である。今では、けらえいこ『あたしンち』の母親に風貌がそっくりというのがトレードマークになっている。

 六合夜市は美麗島駅から地上に出てすぐの所にある(写真)。適当にブラブラ歩きしながら、牛肉麺、魚丸のタレつき串焼き、麻辣臭豆腐をほおばった。細身でスラリとしたオシャレな台湾美人さんがテイクアウトで臭豆腐を買っていく姿が印象的だった。麻辣臭豆腐は、臭いはともかく辛さで口の中が火を噴きそうになったので、甘蔗(サトウキビ)汁で口の中を鎮めることにした。土くさいにおいもするが、素朴な甘さがおいしかった。以上で夕飯おしまい。

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台湾旅行①(5月4日、台北)

 外に出てみると、雨があがったばかりの曇り空。機内アナウンスでは台北は雨天とのことだったが、初日から傘をささねばならない煩わしさを免れたのは精神衛生的に非常によろしい。最高気温は24度ほど。湿気まじりの風が頬を打つと、蒸し暑さの中でも多少の涼気に心地よさを感じる。

 5月4日の9:40過ぎ、ほぼ定刻通りに成田を飛び立ったチャイナエアライン機は現地時間12時半頃、桃園国際空港に到着した。入国手続きをさっさと済ませてバスに乗り、松山空港まで直行した。国内線に乗り換える人のためのバス路線だが、私のお目当ては違う。松山空港近くにあるカフェ。

 松山空港のバスターミナルで下車。他の人たちは空港の中、もしくはMRT駅の方へと歩いていくが、私は地図を見ながら反対方向に向かう。空港のすぐ周りは再開発中の空地が広がっており、殺風景な中を歩いていると「果たしてこっちで良いのだろうか?」と若干の不安も首をもたげてきたが、富錦街に着くと雰囲気が変わった。

 松山空港から富錦街までは10分ほど歩いたろうか。ゆったりとした道路には街路樹が植わっており、その両脇に集合住宅が並んでいる。計画的に整備された住宅街なのだろう。台湾の都市部は人口密集地なので、一戸建てなど滅多に見かけない。車の通りは少なく、閑静な一角だ。1階部分に保育園、英語教室、陶芸のショールーム、雑貨屋、カフェやレストランなどが入居している建物も多い。喩えて言うと台北の代官山といったところだろうか(ただし、私自身は代官山に行ったことはないのだが)。平日の日中だからか、人出はほとんどない。途中の交差点でテレビドラマの撮影をやっていた。

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 朶兒咖啡館(Daughter's Cafe)は富錦街の中にある。先日観たばかりの映画「第三十六個故事」(邦題「台北カフェ・ストーリー」)のロケ用に作られ、映画が出来上がった後にはそのままカフェとして営業しているお店である(写真写真)。

「第三十六個故事」の製作総指揮は侯孝賢、監督は侯孝賢の助監督をしていた蕭雅全、そして主演は桂綸鎂(グイ•ルンメイ)。脱サラした女性(桂綸鎂)がカフェを開く。妹の発案によって店のコンセプトとなった物々交換に桂綸鎂は戸惑うが、これをきっかけに人々が触れ合っていく様子を描いたヒューマン・ドラマであった。映画中では客のスチュワーデスに妹がほら話を語って感動させるシーンがあり、またラストになると桂綸鎂は海外へと旅立つのだが、確かにこのお店は空港から近い。

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 入口は目立たないのでちょっと通り過ぎてしまった。店内に入ると、確かに映画に出てきたあのままのカウンターがすぐ目に入る。あのカウンターで憧れの桂綸鎂が立ち働いていたんだなあ、などと彼女の姿を想像しつつ、壁際の席に着いた。カウンター脇にも椅子は置いてあったが、目の前で店員さんたちが慌しく動き回っているので何となく座りづらそうな雰囲気。なお、店内を見回しても、物々交換のきっかけとなった“ガラクタ”はない。

 奥の中庭まで店舗は広げられ、天日を入れるピロティのような感じの場所でグループが話し合いながらお茶を飲んでいた。私が店に入るとき店先でタバコを吸っていた大学生風の青年が店内に戻ってきて勉強を再開。窓際の席には静かに語らうカップル。私の座った席の隣では女の子二人組みの会話がはずんでいる。店員さんはそろいの黒い上着を着た4人の若い女性たち。こちらも談笑したり、時にはつまみ食いしたりしながら楽しげな仕事ぶり。気分を落ち着けるには良い感じのカフェだと思った。

 ホットのカフェラテとエクレアを注文した(写真)。ケーキは週替わりという映画のコンセプトをそのまま受け継いでいる様子で、私が訪問した金曜日がちょうどエクレアの日だった。「手指泡芙」と言うらしい。隣の女の子二人組みもエクレアを食べてたので、それを指さしながら注文した。エクレアのシューはややかためでチョコクリームがしっかり入っている。食べ応えがあって、なかなかおいしかった。

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 桂綸鎂がいるわけないから残念がっても仕方ないが、帰り際、可愛らしい店員さんが愛想笑いしてくれたので、旅の幸先が良いぞという気持ちで外に出た。

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