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2012年4月29日 - 2012年5月5日

2012年5月 2日 (水)

坂野徳隆『台湾 日月潭に消えた故郷──流浪の民サオと日本』

坂野徳隆『台湾 日月潭に消えた故郷──流浪の民サオと日本』(ウェッジ、2011年)

 夕日の美しさで知られる台湾中部の景勝地、日月潭。私自身はいずれ行ってみたいと思いつつ、いまだその機会を得ないままだが、日本統治期から観光地として人気があった。戦後は蒋介石も別荘を構え、今は大陸からの観光客で賑わっているという。

 本書は古老から話を聞き取りながら、日月潭に暮らす300人ほどの少数民族・サオ(邵)族の来歴をまとめ上げたノンフィクションである。日本統治期、国民党政権時代を通じてこの原住民族が翻弄されてきた経緯は、民族的覚醒が可能になった現在だからこそヴィヴィッドな問題意識を持って振り返ることができると言えるだろうか。

 日月潭の国定風景区とされた一角に、伊達邵という街並がある。「イタ・サオ」と読み、「私は人間だ」という意味らしい。サオ族の言葉で、「サオ」とは「人間」を意味する。民族学者が初めて原住民族と邂逅した際、「あなたは何者か?」という問いかけに「オレは人間だ」という答えが返ってきて、その「人間」を意味する言葉がそのまま民族名になったケースはよくある。サオ族についてもそれは同様だが、原住民族の置かれた歴史的経緯を考え合わせると、「私は人間だ」というこの言葉には、自分たちの尊厳を求める深刻な意味合いが刻み込まれていることがうかがえてくる。

 日本統治期、当時としては東洋最大と言われた発電所が日月潭に建設されたが、そのあおりを受けてサオ族は強制移住させられた。以降、国民党政権期を通じて、観光業が彼らの重要な生業となったが、伝統文化としての杵歌は有名となった一方で、「原住民」という他人によって押し付けられた表象が固定化されてしまう。観光産業によって貨幣経済のシステムに取り込まれてサオ族内での経済格差が拡大し、人間関係的にギスギスした空気も醸成されてしまったようだ。また、国語(=中国語)の浸透は、民族的アイデンティティの根幹としてのサオ語話者の減少にもつながっている。

 台湾の原住民族は全人口のうち2%ほどを占めるに過ぎないが、この2%の中には実に多様で豊饒な言語や伝統文化が凝縮されている。南方から渡来したマライ・ポリネシア語族が中心だが、後代に渡って来た漢族系に吸収・同化されて消滅してしまった原住民族も少なくない(逆に、文化的には漢族系であっても血統的には原住民族の要素の方が強いと考えて台湾独立論の根拠とする主張もある)。日本統治期の民族学的調査を基に9民族が認定され、戦後の国民党政権もこれを踏襲していた。

 しかし、近年、この認定基準から漏れてしまった人々の間で民族的アイデンティティを訴える動向が顕著になってきている。復権を求める嚆矢をなしたのがサオ族である。サオ族はもともとツォウ(鄒)族の中に分類されており、独自性が認められていなかった。政府見解は過去の不正確な民族学的調査を基にしており、その後の研究の進展も考慮しないまま放置されてきたからである。1990年代以降の民主化の流れの中で原住民族の問題も重視されるようになり、2001年になってサオ族はようやく民族認定された。こうした民族認定を求めるアイデンティティ・ポリティクスは進行中で、現在では14民族とされている。

 古老から聞き取った伝説についても本書は多くのページを割いている。中でも矮黒人にまつわる伝説は、私自身も台東の国立台湾史前文化博物館の展示解説で知って以来、関心があった。サオ族に限らず他の原住民の伝説にも何らかの形で登場するので、実際の出来事に由来する記憶なのだろう。矮黒人とは台湾原住民のさらに以前に存在したと言われる伝説の先住民族で、色が黒くて小柄、先進文明の持主だったという。後から渡来してきた現在の台湾原住民に農耕など高度な技術を教えてくれたが、その恩義ある矮黒人を虐殺してしまった。サイシャット族の矮黒祭をはじめ、矮黒人の霊を祭る儀式や伝説が各原住民族に伝えられている。巨石遺跡の担い手とも想像されるが、遺骨等は見つかっていないので分からない。南方のネグリトではないかという説もある。日本統治期にも矮黒人を目撃したという話が本書に記されている。色々とイマジネーションがかき立てられて実に面白い。

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【映画】「少年と自転車」

「少年と自転車」

 孤児院に入れられた少年、シリル。父と一緒に住んでいた団地に押しかけるが、すでに引越し済みで部屋はもぬけの殻。大事にしていた自転車もない。連れ戻された孤児院で悲嘆にくれていたところ、訪問者が来たと告げられる。団地で孤児院の職員ともみ合って診療所に逃げ込んだときにたまたま居合わせた美容師のサマンサが、シリルの自転車を持ってきてくれたのだ。しかし、それは父が売り払ったものだった。シリルはサマンサに週末だけの里親になってくれるよう頼み、一緒に父に会いに行くが、「もう会いに来るな」と言われてしまう。サマンサはシリルを自分の手に引き受けていこうと徐々に心を決め始めるが、その矢先、彼は不良少年に誘われて事件に巻き込まれてしまった──。

 ダルデンヌ兄弟の作品では、カンヌでパルムドールを受賞した「ある子供」(2003年)を観たことがある。だらしない生き方をして自分の子供まで売ってしまおうとした青年を演じていたジェレミー・レニエが今回も父親役で出演しており、「少年と自転車」は「ある子供」のその後という設定なのかもしれない。以前に「息子のまなざし」のプロモーションで来日した折のシンポジウムで聞いた孤児の話が本作「少年と自転車」のアイデアとなっているらしい。

 自転車に乗っているとき、シリルの身のこなしは軽やかだ。自転車は彼の分身そのものであるが、金に困ったお父さんは他人に売り払ってしまった。それをわざわざ買い戻してくれたのがサマンサだった。大げさな言い方をすると、大人の思惑で翻弄されてばかりのシリルの人生を彼女が取り戻してくれたということになる。最初は気軽な気持ちだったのかもしれない。しかし、シリルの扱いをめぐって恋人とも別れてしまうほど本気になっていったのはなぜなのか、本人にすら分からないし、また分かる必要もないだろう。この子を自分の問題として引き受けることが自然だと彼女が感じた、その事実が重要であって、血縁関係があるかどうかは本質的な問題ではない。血縁というのもそうした密接な関係性の決意を促す要因のあくまでも一つに過ぎず、他人とも同様の関係が構築できるという筋立てにこの映画の希望があると言ってもいいのかもしれない。

 シリルが傷害事件を起こしたとき、サマンサは彼を連れて出頭し、損害賠償を引き受けた。その子のすべてを引き受けるという「親」の決意は、それはまた別様にもあり得る。シリルが木から落ちて死んだ(ように見えた)とき、きっかけを作った息子のためにその親が証拠隠滅するシーンがあったが、これもまた同じような決意の表れでもある。良い悪いの問題ではない。

 シリルとサマンサが二人でサイクリングするシーンが印象的だ。サマンサの乗る大人用の自転車の方が早い。取り替えてもらって乗ったシリルの走り方はぎこちないが、表情は晴れやかだ。この子の将来を、ダルデンヌ兄弟がもし描くとしたらどのようになるだろうか。

 サマンサ役がセシル・ドゥ・フランスだったとはエンドクレジットを見るまで気づかなかった。すっかりおばさんになっていたので驚いた。「モンテーニュ通りのカフェ」(2006年)の無邪気なかわいらしさが好きだったのだが、あの時点でもすでに30歳前後だったな。

【データ】
原題:Le Gamin au Vélo
監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
2011年/87分/ベルギー、フランス、イタリア
(2012年4月29日、渋谷、BUNKAMURAル・シネマにて) 

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