二二八事件で処刑された画家、陳澄波について
陳澄波は1895年、台湾中部の都市・嘉義に生まれた。家庭環境にはあまり恵まれなかったようだが、公費で通える国語学校師範科に入学、ここで美術教師の石川欽一郎に出会って絵画の世界に目覚める。卒業後、公学校で教員をしていたが、美術への情熱やみがたく、30歳にして東京美術学校に入学し、帝展にも入選した。東京美術学校の研究科を卒業後、とにかく家族を養わなければならないため上海の美術学校で教員となる。ここで中国画のスタイルに関心を持ち、影響を受けたが、1932年の第1次上海事変に伴って台湾へ帰郷。台湾で後進を育てるべく様々な活動を展開。1945年、日本の敗戦後は嘉義市の役職に就く。1947年に二二八事件が勃発すると、二二八事件処理委員会のメンバーとして国民党軍側との交渉にあたったが、そのまま捕まってしまい、銃殺された。
私が陳澄波に関心を持った経緯を振り返ると、以下の通り。
初めて台湾へ行ったとき、台湾観光の定番ルートだが、まず故宮博物院を見に行った。観光客でごった返した中で息の詰まる思いをした。ふと目に入った展示室がガラガラだったので、一休みのつもりで入ってみた。李澤藩の企画展示だった。風景を描き出した穏やかなタッチの水彩画は、喧騒に倦んだ疲労を癒してくれるようで、そのままゆっくりと見入ってしまった。なかなか良いと思ったのだが、台湾事情について素人だった当時、李澤藩の名前など知るはずもない。略歴を紹介したパネルを見ると、彼の恩師として石川欽一郎なる日本人が挙がっているのが目についたのだが、こちらも初めて見る名前であった。
気になったので帰国後に調べてみた。李澤藩はどうやら、台湾人として初めてノーベル賞(化学賞)を受賞し、中央研究院長も務めた李遠哲の父親らしいこと、石川欽一郎はもともと水彩画家だが、美術教師として台湾へ赴任したとき近代洋画を本格的に紹介し、多くの台湾人画家を育てたということを知った。また、国会図書館で『アジアレポート』という媒体に森美根子「台湾を愛した画家たち」という連載を見つけ、個性豊かな多くの画家たちが台湾にいたことに気づいた(この連載は後に『台湾を描いた画家たち──日本統治時代画人列伝』[産経新聞出版、2010年]として1冊にまとめられている→こちら)。陳澄波の名前を初めて知ったのはこの時である。
いずれにせよ、美術という側面から見ても台湾は奥が深そうに感じたが、台湾美術史について日本語で書かれた文献は限られているので中文書も何冊か手に取ったり(例えば、李欽賢《台灣美術之旅》雄獅図書、2007年→こちら。李欽賢《追尋台灣的風景圖像》台灣書房、2009年→こちら)、折を見ては、新竹の李澤藩美術館、三峡の李梅樹美術館などに足をのばしたりもした。
そうした中で、頼明珠《流轉的符號女性:戰前台灣女性圖像藝術》(藝術家出版社、2009年→こちら)を読んだ。日本統治期に画家を志した台湾女性の多くが、①伝統的な儒教道徳による男尊女卑、②植民地統治の政治的・社会的環境といった事情で挫折せざるを得なかったことをカルチュラル・スタディーズやフェミニズムの観点から分析するのが本書の趣旨であるが、第3章「父権與政権在女性畫家作品中的効用」が陳澄波に関わる。ここで取り上げているのは、陳澄波の娘でやはり画家を志した陳碧女である。彼女は父からじかに西洋画の手ほどきを受けたが、裏返せば父の模倣に過ぎない→父の束縛から逃れられなかった。その父は二二八事件で処刑されてしまった→政治の圧迫を目のあたりにして彼女は絵筆を折った、と指摘されていた(なお、著者の頼明珠は村上春樹作品の翻訳者とは同姓同名の別人らしい)。
周婉窈《台灣歷史圖說 増訂本》(聯經出版、2009年→こちら)でも陳澄波の存在が気になった(邦語訳では初版が『図説 台湾の歴史』[平凡社、2007年]として刊行されている)。中文原書の増補改訂版のカバー表1に陳澄波の作品「嘉義公園」が使われている。緑鮮やかでのびやかな明るさがいかにも南国らしい情緒を醸し出しているのが実に印象的である。カバー裏(表4)に戦前、台湾に暮らしたフォービズムの画家・鹽月桃甫による「ロボを吹く少女」が使われていることも含めて、こうした作品の選択そのものに本書の意図が象徴的に表現されているように思われた。ロボ(口琴)は台湾原住民の多くで使われていた楽器であり、従って本書は原住民の歴史を重視していること、それを描いた日本人画家の作品を敢えて取り上げているのは、日本統治時代を否定/肯定という政治的対立軸を超えたところで描き出そうとしていることを表しているのではないかと受け止めた。
それでは、陳澄波の「嘉義公園」は何を表しているのか? 周婉窈の歴史エッセイ集《面向過去而生》(允晨文化出版、2009年)に収録された〈高一生、家父和那被迫沈默的時代──在追思中思考我們的歷史命題〉は、高一生が国民党時代の白色テロで処刑された暗い時代について自らの父親の来歴と重ね合わせながら語る内容となっているが、そうした時代を象徴する一人として陳澄波の名前も挙げている。
著者の周婉窈は台湾中部の都市・嘉義の出身である。小学生の頃、絵を描くのが得意だったが、同郷の傑出した画家である陳澄波のことを、大学で歴史を専攻するまで彼女は全く知らなかったという。絵が大好きな少女に、なぜ大人たちは陳澄波のことを教えてくれなかったのか? 彼は二二八事件で処刑されたため政治的タブーとなり、国民党政権による白色テロを恐れる大人たちは、彼の名前を口に出すことすら憚っていたからである。幼い頃から自らの目に馴染んでいた嘉義の風景を、陳澄波という画家が大胆な色遣いで描き出していたことを知るきっかけすら彼女にはなかった。つまり、すぐ身近なところにあったはずの貴重な歴史の記憶を、自分たちは全く共有していない。このような歴史の空白は極めていびつなことではないのか? 陳澄波の「嘉義公園」をカバーに用いたことからは、そうした個人的な体験も踏まえた上で、かつての恐怖政治によってもたらされた歴史の空白を取り戻そうという問題意識がうかがえる。
高一生とは、嘉義に比較的近い阿里山周辺に暮らす原住民ツォウ(鄒)族のリーダーだった人物で、民族名はUyongu Yatauyungana、日本名を矢多一生という。日本統治時代に近代的な教育を受け、教員・警察官としてツォウ族の近代化や生活水準の向上に尽力し、戦後も引き続きツォウ族のリーダーとして活躍した。国民党が掲げる三民主義に共鳴、とりわけその中の民族主義から原住民自治という理念を導き出したが、国民党政権からにらまれて1954年に処刑された。彼は音楽家でもあり、多くの歌曲をつくっている。
陳澄波は1930年代前半に上海へ行って中国画の技法を吸収しようとしたことがあったので、台湾の中華民国への帰属は、彼自身にとっても今後の芸術活動の範囲が広がるチャンスだと考えて歓迎していた。また、上述のように高一生もまた、三民主義に基づいて原住民自治を実現できるのではないかという期待から中華民国を支持していた。それにもかかわらず、彼らは共に二二八事件や白色テロによって非業の死を遂げざるを得なかった。彼らが「中国」を拒絶したのではなく、「中国」によって彼らが拒絶されたという成り行きは、あまりにアイロニカルな悲劇であったとしか言いようがない。
陳澄波については《台湾百年人物誌 1》[玉山社、2005年]所収の〈血染的油彩 陳澄波〉(→http://docs.com/PL0L)を、また、高一生については同じく《台湾百年人物誌 1》所収の〈高山船長 高一生〉(→http://docs.com/PJC2)と、周婉窈《面向過去而生》所収の〈高一生、家父和那被迫沈默的時代──在追思中思考我們的歷史命題〉(→http://docs.com/PHH7)をそれぞれ訳出しておいた。いずれも原著者の許諾を得ているわけではないし、そもそも訳文がこなれていないので、使いまわし等はご遠慮願いたい。あくまでもご参考程度に。
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