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2012年12月15日 (土)

【メモ】江文也調査メモ

◆国会図書館の歴史的音源で聴ける江文也の曲
 国会図書館のデジタル資料で歴史的音源が聴けるようになっているのだが、以下の音源が登録されている。1937~38年に発行されたもので、発行元はすべてビクター。
・「撃ちてしやまむ」→作詞:斎藤瀏、作曲:江文也。
・「子守唄」→作詞:佐伯孝夫、作曲:江文也。
・「牧歌」→作詞:佐伯孝夫、作曲:江文也。
・「芭蕉紀行集」→松尾芭蕉の俳句に秋吉元が曲をつけたものを江文也が歌っている。
・「知るや君」→作詞:島崎藤村、作曲:江文也。
・「棕櫚の葉かげ」→作詞:林柳波、作曲:江文也。
・「生蕃の歌」→作詞・作曲・歌:江文也。これは是非とも聴いてみたかった曲。台湾原住民をイメージしているが、台湾原住民問題に詳しい周婉窈さんによると、ある意味、デタラメ。むしろ彼のイマジネーションの豊かさを楽しめばいい、という言い方をしていた(周婉窈〈想像的民族風──試論江文也文字作品中的臺灣與中國〉《海洋與殖民地臺灣論集》聯經出版公司、2012年)。感興のままに連ねた言葉を「歌詞」としているので意味はない。そこがダダっぽい、と思っていたのだが、音源は3分程度で全曲聴けるわけではなく、判断保留。
・「四海同堂」→作詞:佐伯孝夫、作曲:江文也。歌手として波岡惣一郎、白光、仲秋芳(国会図書館の書誌データでは「ナカ,シュウホウ」とされているが、中国人だから「ナカ」ではなく「チュウ」の方がいいのではないか?)がクレジットされている。出だしを「あけゆくアジア ゆたかな大地 すすまん東洋 平和の道を」と歌い上げているから、川喜多長政が製作した映画「東洋平和の道」(1938年)の曲である。江文也の管弦楽曲「故都素描」で聴いたことのあるメロディーだった。「蘭英の歌」というのもあったが、これも映画「東洋平和の道」の劇中歌だろう。なお、この映画で抜擢されたヒロインの白光は、大陸でフィクサーとして活動していた陸軍の山家亨の恋人としても知られていたが、彼女を歌手として特訓したのは江文也であり、「江文也が最初の憧れの人だった」と語っていたらしい(江文也樂友會ホームページにある劉美蓮「江文也小傳」(中)の「白光熱戀才子」の項を参照→こちら)。

◆江文也『作品二十二 鋼琴独奏曲 北京萬華集 第一巻』(龍吟社、1939年)
・この楽譜も国会図書館のデジタル資料で見た。曲目は「天安門」「紫禁城之下」「子夜、在社稷壇上」「小丑」「龍碑」「柳絮」「小鼓児、遠遠地響」「在喇嘛廟」「第一鎌刀舞曲」「第二鎌刀舞曲」の計10曲。
・「国立北京師範学院叢書」の一冊で、巻末広告を見ると、江文也『作品二十一 中国名歌集 第一巻』(柯政和選輯)もすでに出ている様子(柯政和は江文也を北京師範大学へ招聘した音楽家で、やはり台湾出身)。龍吟社はチェレプニン・コレクションを出していた版元で、北京師範大学へ赴任した江文也からも請け負っていたようだ。また、巻末広告には「新民会制定 新民歌曲」(繆斌・詞、江文也・曲)も掲載されている。

◆江文也『大交響管弦楽のための台湾の舞曲』(春秋社、1936年)
・この楽譜も国会図書館のデジタル資料で見た。ベルリン・オリンピック芸術部門の入選作で、それを記念して出版されたようだ。
・扉にある江文也の序文を書き写しておく。
「………私はそこに華麗を尽した殿堂を見た 荘厳を極めた楼閣を見た 深い森に囲まれた演舞場や祖廟を見た しかし これらのものはもう終りを告げた これらはみな霊となつて微妙なる空間に融け込んで幻想が消失せるやうに 神と人の子の寵愛をほしいままに一身に集めたこれらは 抜殻のやうに闇に浮んで居た。
アヽ! 私はそこに引き潮の渚に残る二ツ三ツの泡沫のある風景を見た………」(1934年8月)
・巻末広告には「江文也作品表」(1936年10月)が掲げられている。
〈交響管弦楽曲〉
作品一 台湾の舞曲
作品二 白鷺への幻想
作品四のロ 第一組曲 1.狂想曲 2.間奏曲 3.舞踏曲
作品五 お縁日の露店見物
作品十四 北京に寄する五ツの交響的断片
〈歌劇〉
作品九 グランドオペラ「タイヤルの恋」三幕(未完成)
〈舞踏劇〉
作品十二 「一対六」
〈洋琴曲〉
作品一 台湾の舞曲
作品二 白鷺の幻想
作品三のイ 小スケッチ
作品三のロ 譚詩曲
作品四のイ 五ツのスケッチ 1.山田の中の一本足の案山子 2.お背戸に出てみれば 3.焚火を囲んで 4.裏町にて 5.満帆
作品七 三ツの舞踏曲
作品八 十六の断章
(作品番号を持たざるもの)
 人形芝居…(1936年4月)
 組曲「五月」…(1936年5月)
〈歌曲〉
作品六 第一生蕃歌曲集 四曲
作品十 第二生蕃歌曲集 五曲
〈室内楽〉
作品六 ソプラノと室内管弦楽 四ツの生蕃の歌
作品十 バリトンと室内管弦楽 五ツの生蕃の歌
作品十三 「南方紀行」室内管弦曲
作品十五 第一ソナタ セロとピヤノのための(未完成)
〈合唱曲〉
作品十一 島崎藤村の詩による「潮音」 混声合唱と弦楽四重奏と弦楽オーケストラのための

◆江文也「中国音楽の文化的特殊性」(『中日文化』第1巻第2号、1941年7月)
・「1941年3月30日 北京西城にて」となっている。『上代支那正楽考』(三省堂、1942年)におそらく収録されていると思うが、念のため要確認。
・『中日文化』は中日文化協会、三通書局発行。出版地は上海。中日文化協会は汪兆銘政権下の組織。江文也の次に、石川三四郎「中国改革者達の思出」という文章も掲載されている。

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