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2012年11月12日 (月)

2012年11月10日、信州・上田旅行1(無言館、その外)

 稲穂が刈り取られた田んぼの跡にはうっすらとした茶色が広がり、澄みわたった青空とのクリアな対比は空気の清潔感を色彩的に際立たせる。ススキが風に揺られ、やわらかに穂をしならせている。稲わらを焼く煙がところどころで立ち上って、あたり一面には焚き火の焦げ臭さが風に乗ってかすかに漂っており、それが鼻腔を刺激すると、ああ、これは田舎の秋の臭いだな、と妙な実感が湧いた。ちょうど紅葉が見頃の季節である。盆地を囲む山並みに彩られた赤みは、木の種類によって印象派の点描を想起させるように濃淡のコントラストをなし、とりわけ夕暮れ時の陽光に照らし出されたとき、輝くような鮮やかさが印象に残った。

 11月10日、ふと思い立って信州の上田へ旅立つ。長野新幹線で1時間余り、上田駅で上田交通別所線に乗り換えた。典型的なローカル列車ではあるのだが、上田の発着駅が2階にあったので、少し驚く。発車のアナウンスがなぜかアニメ声。そういえば、別所線存続支援キャラ「北条まどか」なる萌え系美少女イラストのポスターを見かけたから、彼女の声という設定なのだろう。ついでながら言っておくと、上田市内では真田十勇士をイケメン風に造型したキャラも頻繁に見かけた。そういう町おこしを図っているのか。

 別所線は2両編成である。車両は首都圏の私鉄から払い下げられたものらしく、普通のロングシートだった。先頭車両の運転室脇にバスと同様の運賃箱があって、降車時にはそこに切符もしくは運賃を入れる。主要駅を除くと、この運賃箱近くのドア以外は開かず、乗客は降車駅が近づくと先頭車両へと移動する。運転手さんも車両内を移動する乗客がいないのを確かめてからドアを閉めていた。

 盆地とは言っても割合と広々とした平野の中を、列車はトコトコ進んで行く。客もまばらなロングシートにゆったり腰掛け、対面の車窓に流れる風景を見やる。ああ、秋だな、と素直に思った。気温の低下という意味ではすでに秋であることをもちろん知ってはいたが、ただ、東京にいるとヴィジュアルで季節感を感じさせる機会が意外と少ない。

 次の駅が視界に入ったとき、ギョッとした。高齢者の団体客がホーム上にあふれかえっており、列車が到着してドアが開くや否や、一斉に車内へなだれ込んできた。じいさん3割、ばあさん7割くらい、総勢50人以上いたのは間違いない。席取り合戦が始まったので、私はおとなしく立ち上がってドア脇に移った。ここの方が風景を眺めるにはちょうど良い。斜め向いに座っていた地元高校生も私と同様にドア脇に追いやられていた。ガイド役なのだろうか、白い車掌服を着込んだ年配の男性も一緒に乗り込んできて、観光案内のプリントを配付。一通り行き渡ったのを見計らったところで、「みなさん、はい、注目!」と一声あげると、おもむろにハーモニカを取り出し、「赤とんぼ」を吹き鳴らし始めた。ばあさんたちが、待ってました!とばかりに唱和し始め、それにつられる形で車内に歌声が立ち込める。…何だ、これは? 老人ホームの修学旅行か? 土産物を載せるトレー(「ばんじゅう」と言うのか?)を肩からさげた男性の売り子さんがすかさず現われ、じいさんばあさんの波をかき分けていく。売り子さんのスタイルもレトロな演出である。こういう高齢者団体客が地方の観光地でしっかりお金を落としてくれているのか。うざったい、というよりも、あまりにシュールな光景を目の当たりにして笑いをこらえるのに必死だった。

 騒々しい車内から逃げ出すように塩田町駅で降りた。無人駅である。ほど良く涼しい秋の風が頬をなで、ほっと一息つく。駅前にシャトルバスが停車しており、無言館まで行くことを運転手さんに確認してから乗り込んだ。私をピックアップするとすぐに発車した。列車の到着に合わせて運行しているようだ。盆地の縁にあたる山並みへと向かい、登っていく中腹のあたりで下車。10分もかからなかったように思う。「無言館はあっちを登った所にありますよ」と運転手さんは丁寧に教えてくれた。おろされたところはちょっとした公園になっており、盆地を一望できる(写真)。

 木立の向こうに無言館が見える(写真)。近づいて撮った写真がこれ。無言館については今さら言うまでもなかろうが、第二次世界大戦で出征して二度と帰ることのなかった画学生たちの遺作が、館主の窪島誠一郎や自らも出征体験のある画家の野見山暁治の努力で収集されており、遺品や遺族のコメントと共に展示されている。本館が開館したのは1997年だが、寄附を募って2008年、新たに第二展示館「傷付いた画布のドーム」も完成した(写真)。 

 戦没画学生たちの遺作であることだけが共通項だから、作品のタイプも描き手のプロフィールも様々である。旧制東京美術学校(現在の東京芸術大学)出身などエリート的な人々が多い一方、師範学校出や学歴もなく独学で絵を描いていた人もちらほら見かける。シュールレアリスムを真似た作品や、ファッションデザインなどもあった。自画像が多いのは、芸大では昔から卒業制作で自画像を描く習慣があったからか。

 生き続けたら良い作品を生み出したのではないかと思える人もいるが、もちろんそういう問題ではない。もっと描き続けさせてやりたかった、という遺族の言葉を見て、しばし歩みが止まる。行く前はそれほど深く考えていなかったのだが、あの礼拝堂のように荘厳な空間(コンクリート打ちっぱなしの造型は安藤忠雄作品のようにも思ったが、どうやら違うようだ)にたたずんでいると、展示されている絵のそれぞれから無念の思いが響き渡り、空間的に共鳴しているようなイメージが湧いてきて、ちょっと胸がつまってくる思いがした。あまり陳腐なことは言いたくないのだが、そう感じてしまったのは事実だ。

 無言館前から再びシャトルバスに乗る。この辺りにはいくつか古いお寺があるらしく、無言館も含めてちょっとしたハイキングコースになっているようで、途中から乗車する人もいた。20分もしないで別所温泉まで出た。

 別所温泉で温泉にでも入ろうと思っていたが、ちょっと歩いてみてもそれほどの風情も感じなかったので、すぐ帰ることにした。駅へ向かって道を下っていく途中、将軍塚というのが目にとまった。余五将軍平維茂の墓という伝承がある。信州戸隠で叛乱を起こした鬼女・紅葉を討伐するために維茂が来たというストーリーは能の「紅葉狩」にも翻案されているが、その時にこの近辺に拠点を置いたそうだ(なお、日本で最古の映画は明治末期に撮影された「紅葉狩」だったような気がする)。他にも、木曾義仲が側室と一緒に温泉に浸かったとか、西行法師が別所温泉に来ようとした時に出くわした童子と問答したら、その利発さに驚いて引き返したという「西行戻り橋」とか、武田信玄が信濃北部へ勢力を拡大する際に派遣した重臣がここ別所温泉に拠点を置いたとか、色々と歴史的由緒がある。

 夕方、盆地が黄昏色になずむ中、上田交通別所線に乗って戻る。途中から女子大生の姿をちらほら見かけると思ったら、沿線に大学があるようだ。新幹線で上田駅に到着した時、宿泊先をどうしようかと思い、ものは試しと別所温泉の旅館に問合せてみたのだが、やはりシーズン中ということで空室はなかったので、駅前のビジネスホテルに部屋を確保してあった。荷物を置いてから、土地勘をいくぶんなりとも探るため、暗くなった上田の市街地を歩き回る。7時にはたいていのお店は閉まり、繁華街でも人通りが少なく、寂しく感じた。

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