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2012年10月15日 (月)

藤原辰史『ナチスのキッチン──「食べること」の環境史』

藤原辰史『ナチスのキッチン──「食べること」の環境史』(水声社、2012年)

 ふだん我々が何気なく使っている台所。しかしながら、よく考えてみればこれは自然、技術的進歩、社会的意識、様々な知が集約された実に驚異的な空間である。台所というフィルターをすかすと、当時の社会的動向もまたヴィヴィッドに浮かび上がってくる。

 ナチズムという政治体制は様々に奇妙な顔を持っているが、「血と土」というシンボルに表われた非合理的な情緒性と、テクノロジカルに効率を重視する合理性とが共存している矛盾は容易には理解しがたい。ところが、こうした矛盾のせめぎ合いの中にこそナチズムが人々を動員するメカニズムの一端が見出される。そこを本書は「台所」をめぐる人物群像を通して描き出していく。

 第一次世界大戦後の劣悪な住宅事情に応えるべくリホツキーが設計したフランクフルト・キッチンはテイラー主義の影響を受けている。家事の合理化によって主婦の労力軽減を図ったが、同時に居住と調理の分離は家族の一体性をも切り離し、ひいては食文化の破壊につながるのではないか、とも批判された。機能的合理性を特徴とするフランクフルト・キッチンはナチスのイデオロギーに反するようにも思われるが(例えば、ナチスはバウハウスを弾圧した)、実際にはナチス時代に広がり、労働者約一名の「工場」が各家庭に一つずつ組み込まれていく結果になった。リホツキーは社会主義思想にシンパシーを抱いていたこと、家事労働の省力化にはフェミニズム的な動機があったことを考え合わせると、それがナチズム体制に取り込まれていった逆説が興味を引く。一見したところそれぞれ別個の思想的態度と思われていたものが、いずれも「近代」の申し子としての性格を帯びていたことが分かる。

 ヒルデガルト・マルギスが開設した主婦向け無料相談所のハイバウディ、当時の家政学における言説なども合わせ、ナチス時代の「台所」をめぐる分析からどのような姿が見えてくるのか?

「…主婦の個人的な感情におかまいなしに、台所という枠組みから主婦を変えていく。空間に存在する人間から人間らしさを抹消し、代わりに擬似有機体となった空間が人間を導き、人間を変身させていく、というナチス特有の動員過程を、台所のナチ化過程から窺い知ることができる。これはまさに、労働の内実を労働空間から変えようとした台所のテイラー主義者たちの挑戦の帰結である。クリスティーヌ・フレデリック、マルガレーテ・シュッテ=リホツキー、エルナ・マイヤー、ヒルデガルト・マルギスたちが耕した豊饒な土壌で、ナチスは主婦たちを戦争を担う「機械」へと育てていったのである。」(359ページ)

「…ナチスの手口が巧妙なのは、そこに社会参加の意識を植えつけたことである。自分が狭い空間のなかでコントロールされているにもかかわらず、家族のため、民族のため、そして国家のために戦っているという幻想のなかで、仮象の「誇り」を与えることである。それと、情熱も感傷もなくひたすら任務を遂行する「精神なき専門人」という像は、矛盾するようで実は一致する。主婦たちを、考えさせず、感じさせず、型にはめ、空間に埋め込む。その場と行動の型は、自動的に公共空間、そして戦争と結びつけられており、その空間に存在する人間は、ほぼ自動的に社会参加、もしくは戦争参加を果たさざるをえない。ナチスの担い手というにはあまりにも政治に無関心で、犠牲者という以上にしっかりナチスの支持していた、という第三帝国を生きた主婦の奇妙な状況は、このような近代戦の環境を台所に導入したからではないだろうか。台所にみるナチスの主婦動員の構造を、私はさしあたりこのように考えたい。」(360~361ページ)

 ナチス時代のレシピ本も興味深い(honzのレビューでは実際に料理を作ってくれている→こちら)。当時の食糧危機の中で節約方法を紹介した点ではナチスが国民経済と家庭経済とを結びつける手立てとして活用された一方、企業広告として食材関係の販売経路を確保しようという思惑も重なっていた。反資本主義を掲げるナチズム体制においても、その看板の裏では親資本主義的な活動を許容していた二面性を裏付ける例として指摘される。なお、現代社会でもおびただしく刊行されるレシピ本やマニュアル本の類いも、科学技術史と民衆心性史との接点を掘り起こす上で実は貴重な史料になるという指摘は重要だ。

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