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2012年10月15日 (月)

藤原辰史『稲の大東亜共栄圏──帝国日本の〈緑の革命〉』

藤原辰史『稲の大東亜共栄圏──帝国日本の〈緑の革命〉』(吉川弘文館、2012年)

 価値中立的で没政治的のように思われる科学技術。しかし、それが置かれたコンテクストによっては逆に支配/被支配の関係性を固定化させる政治的道具となりかねない逆説をどのように考えたらいいのか。本書は、近代日本における稲の品種改良に着目し、それを植民地へ普及させていく上で農学者の果たした役割と言説を分析している。

 植民地各地にも農学者が赴任して品種改良に着手していたが、朝鮮半島ではあまりうまくいかなかったらしい。本書で取り上げられる永井威一郎(荷風の長兄)は農学者としてだけでなく科学啓蒙書でも知られていたそうだが、「米食民族」対「パン食民族」といったレトリックで「大東亜共栄圏」のイデオロギーを振りかざしていたことが際立つ。科学技術への自負と植民地の現場における厳しい現実との深い溝に直面したとき、それを無理やり乗りこえようとしてこうした非科学的な自民族中心主義に寄りかからざるを得なかったと指摘される。

 対して、台湾では磯永吉の「蓬莱米」が成功を収めたことはよく知られている。ただし、統計データを見ると蓬莱米の生産高が一定レベルまで延びた一方、在来米も併存し続けていたのが興味深い。蓬莱米を生産するにも肥料など生産費がかさむこと、自家用には高価であること、それからビーフンなどの食習慣に合わなかったことなどから、現地民の拒絶感は消えていなかったと指摘される。ただし、蓬莱米は換金性が高いため、技術的な優位性でそうした拒絶感を強引に棚上げすることで普及していった。本書での磯永吉への評価は少々辛い。それは、たとえ本人は善意であっても、科学技術至上主義的な態度が無媒介で現実政治に接続されたときに起こり得る問題群について無頓着であったことを彼に代表させて批判していると解される。

 こうした文脈の中で、「緑の革命」の限界という問題にもつながってくる。蓬莱米などの品種改良は肥料に高反応であり、生産農家は肥料に依存せざるを得なくなった。それは、肥料を製造する化学工業と密接につながる農業システムへの転換を意味する。つまり、戦後になってより顕著となった多国籍企業(例えば、モンサント社)によるグローバルな食支配のひな型が、当時の「帝国」日本で先駆的に見出せるとする指摘が本書の基本的な問題意識をなしている(エコロジカル・インペリアリズム=生態学的帝国主義)。

 磯永吉が杉山龍丸と付き合いがあったというのが目を引く。杉山はインドで農業指導を行っていたが、その時に蓬莱米の種を持って行ったらしい。杉山龍丸の父親は夢野久作、従って祖父は杉山茂丸であり、玄洋社人脈に属する。また、蓬莱米は戦時下、インドネシアでの農業指導でも用いられた。アジア解放という大義名分や国策としての「南進」、すなわち「アジア主義」的感覚が、蓬莱米を媒介として戦後になっても別の形ながら連綿と続いていたところに興味を持った。

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コメント

以前、地元・広島〜山口の近代産業の流れの延長にある原発を支える“こと”を考える上で、手懸かりになるんじゃないかと思ってめくった本…布野修司・韓三建・朴重信・趙聖民「韓国近代都市景観の形成:日本人移住漁村と鉄道町」(京都大学学術出版会)http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1679
結局、消化不良になってしまってますが。

「稲の大東亞共栄圏」を読んだ時に、この本のことを想いだしました。
ここに描き出された稲穂は、漁民からどんな風に眼差されていたのだろうか。

以前当blogでも、植民地における神社の展開を論じた青井哲人氏の本の評を書かれています。

その青井哲人氏によって、この悩ましい重量級の本の評が書かれていました。


ますます、悩ましい。

お時間があれば是非に。

投稿: 山猫 | 2012年10月19日 (金) 03時32分

どうもご無沙汰しております。

版元のホームページにとんで目次だけ見ましたが、内容的には興味がひかれます。
日本の植民地化がもたらした広い意味での文化や生活場面での変容をどう捉えるか、という問題意識は、色々な解釈の眼差しが交錯してナーバスになって難しいなあ、と感じてしまいます。だからこそ、引きつけられますが。

それにしても、3人の博士論文の合わせ業とはまたすごい…。
質、量ともに重量級ですね(笑)

投稿: トゥルバドゥール | 2012年10月19日 (金) 17時38分

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