ジョゼフ・R・アレン『台北:歴史の記憶が転位した都市』
Joseph R. Allen, Taipei: City of Displacements, University of Washington Press, 2012
南方系の原住民、大陸から移民してきた漢族系、大航海時代に渡来したスペイン人やオランダ人、鄭氏政権は清朝に屈服、近代に入ってからは日本の植民地支配、そして蒋介石の国民党政権──台湾の歴史を掘り起こせば様々な歴史的地層が見えてくる。そうした台湾社会の多文化的特徴が公的にも支持されたのは、戒厳令が解除されて民主化の進展をみてからのこと。ただし錯綜した歴史的コンテクストは、その時時の政治意識と絡まり合ってある種のアイデンティティ・ポリティクスを惹起したことも台湾における政治社会的特徴と言えるだろう。
こうした台湾社会の縮図として本書は台北という都市を読み解いていく。著者はアメリカ人の中国文学研究者でカルチュラル・スタディーズを専攻、謝辞で並べられた中にレイ・チョウの名前も見えるので、基本的なスタンスは分かるだろう。地図、建築、都市計画、博物館、銅像、映画から見える都市生活、そして恋人たちがささやき合う暗がりの茂み──台北の街でふと気になった手がかりをきっかけに、地理的空間と歴史の両軸の中で捉え返していく。台北をじかに歩いた経験のある人ならばヴィヴィッドな関心を触発されるかもしれない。
台北の地図を見ると、総統府(かつての台湾総督府)など行政機能の集中する区域がまっすぐな大通りで囲われていることに気づく。中国の伝統的な都市構造は四囲を城壁でめぐらせるのが特徴であり、日本統治時期に入ってそうした城壁は取り壊された。ナポレオン3世の第二帝政におけるオースマンのパリ大改造に比べれば小規模だが、近代的な都市計画が意図される中で三線路という大通りに取って換えられた。つまり、清代の中国的都市が日本の植民地統治における近代的行政の拠点へと変貌したことがうかがえる。
四方の門は地名として残った(西門町は日本風の名前のまま残っている)。かつての国民党本部近くの東門は(台湾とは縁もゆかりもない)中国北部の様式でリニューアルされ、これには中華文明の正統的後継としての意識が明確に打ち出されている。他方、清代から唯一残っている北門は、一度取り壊しの計画があったものの1977年に反対を受けて残存が決められた。ただし、嫌がらせのようにその上に高速道路が架けられているが。
台北駅と総統府の間に位置する二二八紀念公園。かつて台北新公園と呼ばれたここが1970年代に白先勇が小説で描いたようにゲイの出会いの場であったということは事情を知らない者にとって驚きだが、同時に複雑な歴史的記憶の堆積した場でもあることは一層の関心を呼び覚ますのではないか。ここには漢族系の信仰を集めていた媽祖を祀る天后宮がかつて存在したが、日本統治時期に撤去され、新たに公園として整備された。そもそも「公園」という概念そのものがヨーロッパ由来のもので、公園は近代的都市計画の一環として初めて台湾にもたらされた。
1987年に国民党政権による戒厳令が解かれたのを受けてようやく民主化が軌道に乗り始めた1990年代、二二八事件(1947年に勃発した国民党政権による本省人虐殺)の犠牲者を追悼する施設をどこに建設するかが検討された際、台北の北側に位置する新生公園が広くて良いだろうと候補に上がった。ところが、近くの松山空港を発着する飛行機の騒音で心静かに追悼することができないのではないかと反対があり、また二二八事件の記憶を周縁化しようとする行政の思惑も疑われた。そのため、犠牲者の遺族の納得が得られなければ意味がないとして呉伯雄のイニシアティブで台北新公園に決定、ここならば市街の中心部なのでアクセスに便利だし、園内の旧ラジオ局(現在の二二八紀念館)は二二八事件の舞台の一つともなっていたので象徴的な意味合いとしてもうってつけだ。かつては独裁者の一声で決められていたのに対し、こうした決定過程におけるすべての議論が公開されたことは、市民運動の意見も政策決定に取り込まれるようになった変化として注目される。
台北新公園が二二八紀念公園と改称された際、ここにあったシェンノート(Claire Lee Chennault、陳納徳。アメリカの軍人で、戦争中、中華民国空軍のアドバイザーとして蒋介石に助言)の銅像は当時の陳水扁市長の決定で新生公園へ移された。台湾の民主化に伴い浮上し始めた台湾意識には、恐怖政治の象徴としての蒋介石にまつわる記憶を周縁化したいという意図があった。他方でちょうど同じ頃、中国大陸の方では抗日意識を基にした中華ナショナリズムの観点から蒋介石をはじめ国民党の役割が再評価され始め、そうした中で北京の盧溝橋近くにある中国人民抗日戦争紀念館にシェンノートの銅像が建てられたという。台湾ナショナリズムは「一つの中国」を掲げる国民党を否定する一方、それまで国民党を非難し続けてきた共産党が中華ナショナリズムの提携相手として国民党を取り込もうとする動向とまさに重なっているところが興味深い。さらに言うと、やはり同じ頃、台湾の空軍のある将軍が個人的イニシアティブでシェンノートの記念館を花蓮に設立したそうだが、その動機が対米同盟重視と反共意識だったというから実にややこしい。
銅像というモニュメントが台湾に初めて現れたのも日本統治時期である(ちなみに、国立台湾博物館[かつての総督府博物館、正式名称は「児玉総督後藤民政長官記念館」]に長い間しまい込まれていた児玉源太郎と後藤新平の銅像が最近になって再びお目見えした話題にも言及されている)。日本統治時期の銅像は敗戦後に撤去され、代わりに台湾中の主要な場所に蒋介石の銅像が姿を現わした。解厳後に台湾意識が高まる中、今度は蒋介石像が次々と撤去されていくが、さてどこに捨てたらいいものか。そこで、いらなくなった蒋介石像は大渓の慈湖公園に集められた。様々なポーズを取る蒋介石像が公園の中で乱立している光景はモダン・アートのようで何とも奇妙というか滑稽というか。本書ではポスト・モダン的と表現しているが、彼の銅像にまとわりついてきた権威主義や恐怖政治などの「意味」をはぐらかそうとする試みが面白い。
歴史にまつわる記憶が現在における政治意識を刺激し、それがさらに「歴史」の語り口を形成していく。こうした相互反応が歴史記述の「客観性」を難しくしてしまう可能性についてアカデミックなレベルでは問題意識が共有されているにしても、政治的・社会的なレベルではこれとは別の論理で動き、時に暴発してしまう事態が多々見受けられる(領土をめぐる対立が過去の記憶を呼び覚ましてナショナリズムを燃え上がらせている様子は、まさに日中、日韓の間で現在進行形である)。
戒厳令時期における恐怖政治の記憶は台湾ナショナリズムを呼び覚まし、そうした怨念は蒋介石の国民党政権を否定するあまり、それ以前の日本統治時期を過度に美化する傾向すら帯びることがある(著者はrefractive nostalgia[屈折したノスタルジア]と呼ぶ)。他方で、国民党政権が自らの統治の根拠としてきた中華文明の正統な後継者という意識や「一つの中国」というスローガンは、抗日意識を媒介とすることで大陸の共産党政権が強調する中華ナショナリズムと呼応している。
原住民の視点を取り込むなら問題はさらに複雑だ。陳水扁が台北市長だったとき、総統府前の介壽路(「介」とは蒋介石を表わし、彼の長寿を祈る意味合いがある)という名称を凱達格蘭大道に変えた。凱達格蘭(Ketagalan)とは台北盆地にかつて暮らしていた原住民であり、こうした名称変更には従来の中国化政策に対抗する台湾化・本土化の意図が表われている。ところが、そのケタガラン族をはじめ平埔族は漢族系に吸収されて(エスニック・グループとして独自の文化を維持していないという意味で)すでに消滅している。さらに言うと、原住民の立場からは、清代に福建・広東方面から渡ってきた漢族系の移民から現在の大陸で呼号されている「一つの中国」のスローガンに至るまで一貫して漢族の膨張的覇権主義と捉えることだって論理的には可能である。
もちろん、そんなことを強調したところでアクチュアルな意味はない。ただ、どのような視点を取るにしても、立場的恣意性からどうしても逃れられないという困難がある。そもそも、何語でどのように表記するのか。臺北か、台北か。Taihoku(日本語の発音)か、Taipei(台湾でのローマ字表記)か、Taibei(大陸のピンイン表記)か、Taipak(19世紀の宣教師が開発した白話字で、主に閩南語や客家語の表記に使用)か。どれを用いても書き手の立場性にかかるバイアスを完全にはぬぐい去ることはできない。
いずれにしても、自らの立場性について常に自覚を促しながら考え、そうした繰り返しの中で手探りするしかないだろう。台北という都市を時空間の中で読み解き、歴史的背景を掘り起こそうとする本書の試みは、単にトリビアルな好奇心を満たそうとするものではない。この都市にめぐらされた表象の後景で様々にせめぎ合っている歴史的記憶が一定のコンテクストの中で「意味」を持って浮上していくプロセスを相対化する作業でもある。台北の街並を思い浮かべて自分ならどう考えるかを念頭に置きながら、本書の探究過程を追体験してみても面白いかもしれない。
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