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2012年9月16日 (日)

伊藤龍平・謝佳静『現代台湾鬼譚──海を渡った「学校の怪談」』

伊藤龍平・謝佳静『現代台湾鬼譚──海を渡った「学校の怪談」』(青弓社、2012年)

 台湾映画を観ていると、学校のシーンで何となく昔懐かしい、しかし微妙にどこか違う、そうした不思議なパラレル・ワールドを目にしているような感覚にとらわれることが時折ある(例えば、「藍色夏恋」「九月に降る風」などを思い浮かべている)。容貌の近さというのもあるかもしれないが、それ以上に、「学校」という制度が持つ共通性も大きいのだろう。

 パーソナル・ヒストリーにおいても社会空間的にも独自の意味を持ち、かつ均質性の高い生活空間を構成する「学校」のあり方は、子供心に共有される独特な心象風景を刻みつけている。教室、制服、運動会や修学旅行などの学校行事、部活といった道具立ての共通性は、同世代の日本人にも経験的に感情移入の余地がある。他方で、そこには台湾なりの文化的・社会的コンテクストが伏在している。そうした微妙なあわいが、「学校の怪談」を通して見えてくるところが本書のまず興味深いところだ。

 著者は台湾の大学の日本語学科で教鞭をとっており、本書は学生たちへのアンケートや学生自身の論文を基にしている。日本の「幽霊」は中国語では「鬼(グイ)」と言うが、「鬼」の絵を描いてください、というアンケートへの回答が面白い。白い服を着た細身の女性、長い髪、足もとが不明瞭などの特徴は日本の「幽霊」と重なる。他方で、目が赤く、大きく見開いている、舌を長く伸ばしているという特徴は中華圏の古典的な「鬼」伝承にある「縊死鬼」のイメージである。もう一つ、「彊屍」(キョンシー)は映画化されてかつて日本でも話題になったことがあるが、これは台湾でも古いイメージであってリアリティーがなく、自国内の異文化という位置づけになるそうだ。

 他方で、「天冠に経帷子の若い女性」という日本的なイメージも混ざっている。台湾には日本の作品が数多く翻訳されて流入しており(例えば、映画「リング」に登場する貞子も一般に知られている)、そうした影響の大きさがうかがえる。また、「鬼」のイメージとして角、虎皮のパンツ、金棒といった日本的形象を描く人もいて、これも翻訳された日本の昔話絵本から得られたもののようだ(もちろん日本語学科の学生たちという事情もあるだろうが)。「トイレの花子」さんもやはり日本の映画を通して一般化している。もともと「花子さん」は視覚を伴わない聴覚に訴える怪異であったが、日本で映画化された際に具体的なイメージが作り出され、それによってキャラクターとして海外への輸出も可能になったという指摘が興味深い。その他にも、本書の第7章で言及されているように、オカルト伝承の出典元として日本の出版物から受けた影響はかなり大きいようだ。

 台湾には「碟仙」という降霊術遊戯がある。日本で言うと「こっくりさん」のような位置づけだろうか(日本統治期を過ごした老人たちは「こっくりさん」をやっていたが、若い世代の「碟仙」は知らず、距離があるという)。「碟仙」をやっていた生徒がトランス状態に陥ってしまったとき、学校の教職員が霊媒師に助力を求めるということも実際にあったらしい。日本では考えられないことだろう。

 台湾へ旅行に行って占い師に見てもらう人も多いことと思うが、占いが社会的にポピュラーであることから分かるように、台湾の人々は日本人よりもはるかに信心深い。それを台湾の文化的特徴と捉えるか、それとも近代化の過渡期に過ぎないと考えるのか。日本にもかつて「狐憑き」をはらう「拝み屋」がいたが、そうした「迷信」は近代的医療の普及に伴って精神疾患の問題とひとくくりにされるようになった。しかし、上記の「碟仙」の事例のように、こうした民俗社会的な論理も一定の有効性を持つ場合、「進歩」の観念から一概に否定しさっていいものかどうか。「学校の怪談」が子供たちの心象風景において一定の意味を持っていることも含めて、安易な断案を許さない論点である。

 台南の飛虎将軍廟の話題も出てきた。戦争末期、村落に墜落しそうになったとき人のいる所を敢えて避けて墜落した日本軍のパイロットが祀られており、台湾に関心のある日本人の間ではよく知られている。これについても、信心深さと、徴兵制度の存在によって軍人が身近にいるという台湾の社会的事情が指摘される。飛虎将軍廟については台湾専門家の片倉佳史先生が以前、台湾社会の信心深さとホスピタリティ精神という二点を指摘されていたのを思い出した。ある日、地元の人の夢枕に日本の軍人が現れたので廟堂を建てたわけだが、彼を喜ばせてあげたいという気持ちから関連するグッズを供えてあげた(例えば、日の丸を掲げ、「海ゆかば」を流す)。ここで注意すべきなのは、夢枕に立ったのがたまたま日本の軍人だったということであり、別の存在であればそれに合わせた形でお供えをしたはずだ。ところが、日本のある種の傾向を持った人々はこれを「親日台湾」(下手すると、日本統治礼賛)というイメージで捉えようとしてしまう。こうしたあたりの温度差は日台関係を考える上で重要なポイントだと思う。

 怪談話には日本統治期や国民党政権の恐怖政治の時代の記憶に関わる事情も垣間見える。本書のテーマと直接関わるわけではないが、台南の湯徳章紀念公園の由来となった湯徳章が二二八事件で公開処刑されるのを目撃した老人の話も出てきた。湯徳章は父親が日本人、母親が台湾人で、苦学の末に弁護士となり、二二八事件では混乱状況を収拾するため奔走していた。この人については岡崎郁子『黄霊芝物語──ある日文台湾作家の軌跡』(研文出版、2004年→こちら)で知った。

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