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2012年9月17日 (月)

ロメオ・ダレール『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』

ロメオ・ダレール(金田耕一訳)『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』(風行社、2012年)

 ようやく待望の翻訳が出た。以前、原書のRoméo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda(New York: Carroll &Graf Publishers, 2005、悪魔との握手:ルワンダにおける人道の失敗→こちらで取り上げた)を一読したとき、司令官として任務にあたったダレール自身の後悔を叩きつけるような強烈な思いが印象深く、これは是非日本語でも紹介して欲しいと思い、待っていた。

 1994年にルワンダで起こったジェノサイドの凄惨な記憶はしばらく消えることはないだろう。自分たちは平和維持軍としてやって来て、まさに目の前で大虐殺が繰り広げられているにもかかわらず、何もできなかった──。ルワンダでこの眼で見た光景、鼻についたにおい、そして何よりも自責の念が帰国後も脳裏から離れず、ダレールは自殺未遂までしている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、立ち直って本書の執筆に取り掛かるまでだいぶ時間がかかったらしい。失った同僚、そして無辜の犠牲者たち、生き返ることのない彼らのためにこれから何ができるのか、あらゆる後悔が本書に凝縮されている。

 ベルギーはルワンダの植民地統治において、少数派のツチ族を使って多数派のフツ族を支配するという分割統治の手法を取った。両民族の憎悪はルワンダ独立後も尾を引き、とりわけフツ族出身のハビャリマナ大統領はツチ族を迫害したため、ツチ族やハビャリマナの圧政に反対するフツ族穏健派はルワンダ愛国戦線(RPF)を結成、政府軍との内戦が続いていた。1993年、何とか停戦合意が成立し(アルーシャ協定)、RPFも含めて暫定政権が発足。本格政権が形成されるまで対立する両軍を引き離す必要があり、停戦監視のため派遣された国連平和維持軍(正確には国際連合ルワンダ支援団=UNAMIR)の司令官という任務を帯びたのが、この手記を記したロメオ・ダレールである。

 停戦合意は極めて不安定なものであった。過去の犯罪行為への訴追を恐れるハビャリマナ大統領は名誉職的地位に棚上げされた一方、暫定政権の発足に対してフツ族強硬派の不満がくすぶっており、秘密裡に動き始めた彼らの影響力は政府与党や国軍、民兵組織(インテラハムウェ)にまで広がっていた。ダレールのもとへも過激派がツチ族やフツ族穏健派を虐殺する準備を密かに進めているという密告が事前にあった。先手をうって彼らの武装解除に踏み込むため、ダレールはその許可と装備の増強を国連本部に求めたが、すべて却下されてしまう。国連の対外活動には国連憲章第6章に基づく平和維持活動と、第7章に基づく国連軍とがある。平和維持活動はあくまでも中立的な停戦監視が目的であり、戦闘行為は想定されていないため軽武装である。現地の情勢をまるで把握していない国連本部は、とにかく武力行使はまずいという一点張りであった。

 1994年4月6日、懸念していた悪夢の一日が始まる。ハビャリマナ大統領の乗ったジェット機が撃墜されたのを合図にツチ族強硬派が一斉に蜂起、事前に用意されていたリストに従って暫定政権首相のアガート夫人をはじめとした穏健派の政治家が次々と殺害されていく。国連平和維持部隊のもとに助けを求める連絡が立て続けに入るが、人手も装備も足りないためほとんど身動きがとれない──電話の向こうからは、国連が助けてくれると信じていた人々が無残に殺害される様子が聞こえてくる。RPFは首都キガリの混乱が収拾されないならばただちに進軍を開始すると通告してきた。ダレールは残った穏健派をまとめ上げることで態勢を立て直そうと考えたが、呼応する勢力は見当たらないし、何よりも一方の勢力への肩入れは中立の原則に反するとして国連本部から待ったがかかった。さらに、各地に散在する国連関係者の安全確保はどうすればいいのか。課題は山積するばかり、各勢力の指導者と交渉を重ねるが(ルワンダ政府軍、RPF双方の指導者ばかりでなく、虐殺を主導した民兵組織インテラハムウェの指導者とも面会した。彼らと握手したことが原題『悪魔との握手』の由来である)、打つ手はほとんどない。

 実はルワンダの国連大使がたまたま国連安全保障理事会に議席を持っており、国連上層部の情報はすべてフツ族強硬派に筒抜けであった。ソマリアの失敗に懲りた欧米先進国には自国の兵士を犠牲にしてまでルワンダに介入する意思が全くないことを彼らは知っていた。進駐しているベルギー軍に被害が出ればすぐ逃げ出すはずだと考えてベルギー兵を殺害、案の定、本国政府の指令によりベルギー軍は撤退する。停戦監視は当事者の和平合意が大前提なので、事実上の内戦が再発した以上、引き留める法的根拠はない。ベルギー軍の保護を求めて集まっていた人々は、その直後に皆殺しにされた。フランス軍が来て外国人の救出任務に当るが、それは言い換えるとルワンダを捨てても構わないということなのか…? アメリカ政府の役人は、コスト計算上、アメリカ兵一人を送るにはルワンダ人8万5千人の命が必要だと言い放つ。

 同年7月にRPFが首都キガリを制圧するまでの100日間で80万人のツチ族やフツ族穏健派が殺されたという。ラジオのDJの軽快な語り口に煽られて多数の一般人が殺戮に駆り立てられたことはよく知られている。

 連絡を受けて向かった先の教会でダレールが目の当たりにした光景──おびただしい死体が積み上げられ、わずかに息をしている人に司祭が何とか手当てを試みている。ルワンダ政府軍は近辺を一軒一軒しらみつぶしに回って住民のIDカードをチェック、ツチ族と分かれば連行してこの教会に押し込んだ。銃口を突きつけられた司祭や軍事監視員は何もできないまま、マチェーテ(手斧)を持った人々が押し寄せ、哀れな犠牲者を思うままに切り刻んでいくのを見ているしかなかった。IDカードを管理する公務員もまた虐殺者の一味であるため、殺害された人々の記録を抹消、ジェノサイドの証拠隠滅が図られた。学校の教員が生徒を民族別に管理していたというのも恐ろしい。赤十字の救急車は銃撃され、犠牲者が引きずり出されてなぶり殺しにされた。血の海に転がる死体の山、そのまえで手斧を置いて、一休みとばかりにタバコをふかしながら談笑する青年たちの姿。道を通れば、そこかしこに死体、死体──こうした吐き気を催すような描写は枚挙に遑がない。ダレールは自問する「残念なことにこの虐殺はユーゴスラビアの市場で起きたものではない──ルワンダの外で誰が気にかけてくれるだろう」。

 平和維持活動に参加した個々のメンバーは勇敢かつ誠実に任務を果たそうとしたが、バックアップがなければミッションは何も実現できない。国連には自前のリソースがないため、加盟国から兵員や物資の補給を受けなければならない。しかし、活動を進める上で安保理の決議や加盟国間の調整が必要であって意思決定がスムーズにいかないし、そもそも加盟国自身の利害関係がなければ積極的な態度は期待できない。途中からフランスが軍隊を派遣してターコイズ(トルコ石)作戦が発動されたが、これはフランス自身の国益確保を目的としたものであった。フランスはかつてルワンダ政府軍を支援してきた経緯があり(ハビャリマナはミッテランと親しかった)、そのフランスの介入に対してRPFは態度を硬化させ、ダレールはさらに厄介な仕事を背負い込まねばならなくなった。

 主権国家の論理も難しい壁となる。平和維持部隊が軍事介入すると内戦の一方の当事者に肩入れすることになりかねず、中立の原則を守ることができないことから武力行使には抑制的な態度を取らざるを得ない。ところが、まさにルワンダで生じたような極限状態に投げ込まれたとき、どのように行動すべきか全く想定されていない。現場の状況を把握していない国連本部からは見当違いな指示しか飛んでこないため、即座の判断で可能であった選択肢も見送らざるを得なかったケースが本書では何度も散見される。本書の詳細な記録は、そうした問題点を改めて洗い出すための貴重な資料となる。

 現在のルワンダは、難民として海外へ逃れていた人々が亡命先で身に着けたスキルや資金を持ち寄って帰国し、復興は比較的スムーズに進んでいるという話を聞く(→こちら)。だが、その一方で、ダレールが気にかけているように、ルワンダに限らずアフリカには少年兵の問題がある。凄惨なジェノサイドで孤児となった子供たちが再び憎悪の連鎖に巻き込まれることがないのか、楽観は許さない。

 本書の訳者あとがきやhonzのレビューでも関連書籍がいくつか紹介されているが、なぜか重要な本が1冊抜けている。ルワンダのジェノサイドが世界的に注目されるきっかけとなった映画「ホテル・ルワンダ」の実在の主人公ポール・ルセサバギナの著したPaul Rusesabagina, An Ordinary Man(Penguin Books, 2007→こちらで取り上げた。邦訳は堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』ヴィレッジ・ブックス、2009年)は、国際社会の支援を待ち続けた立場の視点で緊迫した状況が描写されている。なお、敢えて介入の決断をしなかった点でダレールに対してルセサバギナは批判的である。

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コメント

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』を手に取り、そのページ数の多さと詳細な情報に驚きました。

>現場の状況を把握していない国連本部からは見当違いな指示しか飛んでこないため、即座の判断で可能であった選択肢も見送らざるを得なかったケースが本書では何度も散見される。本書の詳細な記録は、そうした問題点を改めて洗い出すための貴重な資料となる。

なるほど、ダレール氏には同書を執筆するにあたり、そのような目的として使われることも目的にして書き上げたのかもしれませんね。

苦しい体験を超えて、貴重な書籍を残して下さったことに感謝です。

投稿: ETCマンツーマン英会話 | 2014年8月 1日 (金) 20時07分

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