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2012年8月27日 (月)

【映画】「かぞくのくに」

「かぞくのくに」

 1997年の夏。兄のソンホが25年ぶりに故郷へ戻ってきた。父や妹の出迎えを受けても、何を気兼ねしているのか表情が硬い。ところが、実家のある商店街に近づくと、懐かしい景色や空気の一つ一つを確かめるかのように動作は生気を帯び始める。たどりついた実家の前には、なけなしの財産から北朝鮮へ仕送りを続けてくれたオモニの姿。ソンホはいつの間にか胸に着けていた金日成バッジを外していた。せめて故郷にいる間くらいは北朝鮮での苦労をいったんリセットしたいという思いが無意識のうちに働いたのだろうか。

 16歳で北朝鮮に渡航して以来、二度と見ることはないと諦めていた故郷。しかし、これはあくまでも病気の治療のため特別に3ヶ月だけ許可された一時帰国であって、病気の治療もまた「任務」と言い表される。彼の傍らには北朝鮮から派遣された監視員が寄り添う。「祖国」の影を振り払うことはできず、懐かしさを噛み締めるだけの気持ちの余裕はない。

 ソンホには脳腫瘍の疑いがあった。日本の病院で診断を受けたところ、治療には時間がかかるという。しかし、期限は3ヶ月しかない。家族はツテを頼って別の医者を探し、朝鮮総連幹部の父は滞在期間延長を働きかけていた。しかし、家族の努力をあざ笑うかのように、一本の無慈悲な電話連絡で希望は無残に打ち砕かれた。明後日には帰国せよ、という上層部からの一方的な通告。抗うことは許されない。日本で育った妹には全く理解できないが、ソンホは表情も変えずに静かにつぶやく──「あの国はいつもこうなんだ。理由なんかないんだよ」。

 北朝鮮に渡った兄と日本に残った家族──北朝鮮の理不尽で不可思議な政治体制が、血を分けた家族の間に見えない壁を築き上げてしまっている。具体的に指摘するなら、沈黙と諦念。家族にも、学校の同窓生にも、かつての恋人にも、北朝鮮での暮らしについて語ることはできない。口止めされていることがあるだろうし、また言っても理解はしてもらえないという諦めもうかがえる。家族として互いに思いやろうとすればするほど、この見えない壁はますます高く立ちはだかってしまう。

 かつて「地上の楽園」と謳われた「祖国」北朝鮮へ向けて、数多くの在日朝鮮人が海を渡った(ただし、「北」出身者は少数で、「南」の人々が9割を占め、ヤン監督の一家は済州島出身)。日本における差別などの事情で、自分の能力を活かせる形での将来を求めるなら「北」に渡った方が良いという判断は当時としてはやむを得ない部分があったにせよ、その代償はあまりにも過酷であった。

 「帰国事業」を推進していた父に対して、ソンホはわだかまりがあったはずだが、少なくとも口に出して非難することはない。表情や態度に隠し切れないものがあるのははっきりと分かるが、何か言おうとしてもグッとこらえる。父自身が後悔していることはうすうす分かっていたのだろうし、それ以上に、北朝鮮の理不尽な社会システムに順応した結果として、ソンホにはある種の諦念が生活態度として定着してしまっているようだ。こうなってしまっているものは、もう仕方がない…。そこが、言いたいことをはっきり言う妹と対照的に際立つ。

 「あの国ではな、考えると、あたま、おかしくなるんだよ…。考えるとしたら、どう生き抜くか、それだけだ。あとは思考停止…。楽だぞ、思考停止は…。」ソンホは自嘲するように笑う。しかし、すぐ真顔に戻り、妹に向けて言葉をつなぐ。「だけど、お前には考えて欲しいんだ。自分の人生なんだから、よく考えて納得しながら生きて欲しい。」

 ソンホは妹と一緒に買い物へでかけたとき、高価なトランクケースを見かけた。妹が「欲しいんでしょ」と声をかけたが、彼は諦めた。その代わり、妹がそのトランクケースを携える姿を想像するだけで満足した様子である。「お前、それを持って色々な国に行ってこいよ」。

 ソンホは朝鮮総連幹部たる父の希望に従って「祖国」北朝鮮へ渡ったが、それによって他にもあり得た自分の人生の可能性すべてを断念せざるを得なくなった。自分自身の可能性を自分自身で考えながら選んでいくという生き方をできなかった彼は、そうした生き方を妹に託した。妹は当然ながら、自分の人生を生きるだろう。他人の思惑など振り切って。現在の日本社会で彼女を妨げるものはない。ただし、託された立場として、わがままや自分勝手に生きるのとは話がまた違ってくる。それは、苦労し続けなければならない兄への負い目の意識とも違う。いつか自分の考えを兄に話すときを想像したとして、分かってもらえるだろうか、そうした自問自答を常にすることになるだろう。

 映画のラスト、彼女がトランクケースを引きずって歩く姿が映し出されるが、そのトランクの中には、兄の諦めざるを得なかった様々な想いや可能性も一緒に込められているはずだ。政治の壁で引き裂かれたように見える家族でも、このように気持ちの上での何かを託し、託される関係として一緒に生きていくことができる。「かぞくのくに」というタイトルの意義はそうしたあたりから汲み取れるように思った。

 ヤン・ヨンヒ監督はこれまで自身の家族をテーマにドキュメンタリーを撮ってきたが、今回はフィクションとして再構成されている。北朝鮮に渡った兄は実際には3人いたが、エピソードを組み合わせる形でこの映画ではソンホに凝縮されている(それぞれの人柄については、原作とされるヤン・ヨンヒ『兄 かぞくのくに』[小学館、2012年]で思い入れ強く描き出されている)。ソンホ役の(ARATA改め)井浦新のすずやかな表情は、諦念を帯びた愁いを静かに浮かび上がらせているところが実に良い。北朝鮮の監視員役はヤン・イクチュン。主演・監督した「息もできない」での粗暴さとは全く対照的な役柄だが、無表情の裏にある感情的な動きをきちんと感じさせてくれる。

【データ】
監督・脚本:ヤン・ヨンヒ(梁英姫)
出演:安藤サクラ、井浦新、ヤン・イクチュン、宮崎美子、津嘉山正種、他
2011年/100分
(2012年8月26日、テアトル新宿にて)

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コメント

 
朝夕、幾分暑さが和らいだとはいえ、ついダレてしまう日々です。


アイデンティティの政治と戦争を読み直すblogとして、ここは熱いので、しんどいです。しかし、つい読んでしまうのです。


妹・リエが教え子に、韓国に入国できない旨、伝えるシーン。(朝鮮籍の日本再入国許可のことも過ぎったのですが)
兄と妹のトランクが担う表現に賭けられたことを考えます。


それゆえ、街の風景が余計に凍みます。
舞台になった街、
…今までどんなドラマや映画で、どんなふうに映し出されてきたのだろう。私の記憶に引っ掛かって来てる映像/街の像を立ち上がらせること・ものは何か、と。


私自身、被爆体験から在日の広島近代史を知ったのですが、その中途半端さを含めて振り返らせる映画でした。


最近、「游魚」という雑誌に、金石範 氏が済州島四・三事件を描いた短編「鴉の死」(氏の処女作?昔は文庫にあったのに)が全文掲載されていました。この作品のことも過ぎったのですが。


もし、ヤン監督が「鴉の死」を撮ったら。

投稿: 山猫 | 2012年8月30日 (木) 00時11分

街の風景がしみる、というのは確かにそうですね。ソンホの立場に立って感情移入してみると、あの風景のあり方が、私が普通に見るのとは明らかに違うはずですから。

ヤン監督の親御さんのルーツは済州島にあるわけですから、(未読ですが)「鴉の死」かどうかはともかく、そのあたりを将来的にテーマに据える可能性は十分にありそうですね。

投稿: トゥルバドゥール | 2012年8月31日 (金) 01時34分

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