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2012年8月 1日 (水)

ドラッカーの一つの読み方

 ピーター・ドラッカー『マネジメント──務め、責任、実践』(全4巻、有賀裕子訳、日経BP社、2008年)を通読。ドラッカーの本のうち、自伝である『傍観者の時代』や政治批評的な論文『「経済人」の終わり』『産業人の未来』などはすでに読んでいたが(→こちら)、主著とも言うべき『マネジメント』にはあまり興味がなかったので、ようやくという感じ。ちなみに、話題になった『もしドラ』も読んでいない。

 「マネジメントの神様」ともてはやされたドラッカーだが、彼が企業経営というテーマに関心を寄せたのは戦後のこと。もともとはヨーロッパでジャーナリストとして活躍しており、ナチス政権成立後にアメリカへ移住。理性万能主義に対する懐疑としてのリベラルな保守主義に立脚し、この立場から全体主義を批判する姿勢を持っていたことは、まだジャーナリストとして活動していた戦前・戦中に執筆した『「経済人」の終わり』『産業人の未来』にうかがえる。

 経済発展を通して個人の自由と平等を実現し、その個人は経済関係を通して社会的な位置を占める。こうした個人モデル=「経済人」を前提とした資本主義は、社会的不平等が広がっても、いつかは個人の自由や平等が実現されるはずだという期待があってはじめて成り立っていた。社会全体が生活水準の向上を実感しているうちは良かったが、やがて破綻し、社会的格差は拡大を続ける。人々は幻滅し、そうした反発を吸い寄せたのが、脱経済至上主義的なファシズムや共産主義であったとドラッカーは観察していた。

 戦前社会において既存の資本主義体制が行き詰まりを見せつつあった一方、これらの全体主義は人間ひとりひとりの「自由」を犠牲にすることで成り立つ。第三の道はあり得ないのか?と考えていた中で彼が見出したのが「企業」であった。

 企業は単に金儲けをするための組織ではない。業績をあげるという共通目標の下で、一人ひとりの主体的能動性(=ある意味で「自由」の感覚)や働きがい(=「尊厳」の感覚)を確保しながら、人々の協働的関係を維持していく(=自治的共同体の形成)。

「マネジメントの哲学とはすなわち、ひとりひとりの強みをできるかぎり引き出してその責任範囲を広げ、全員のビジョンと努力を同じ方向へ導き、協力体制を築き、個と全体の目標を調和させるものである」(『マネジメント』第3巻、159ページ)。

 そして、「企業」という協働的組織の中から生み出されていくイノベーションは、その企業自身の利益になると同時に、社会全体の発展に寄与する。以上を踏まえて、企業における協働関係を円滑に進めるための具体的方法論としてマネジメントの技法やマネジャーの役割などが詳細に論じられていく。

 そもそも、『マネジメント』の序文では「専制に代えて」と題して次のように記している。

「組織を柱とした多元的な社会において、かりに組織が責任に裏打ちされた自主性のもとで成果をあげなかったなら、個人は自由や独立を得られず、社会における自己実現も叶わないだろう。自分たちを厳しく縛り、誰も自主性を発揮できない状態を生み出してしまうだろう。陽気に思いのままにふるまうどころか、参加型民主主義さえ葬り、スターリン主義を招くのだ。組織が自主性と強大な力を持ち、成果をあげられる状況が失われたら、それに取って代わるのは専制でしかない。多数の組織が競い合う状況が失われ、絶対的な権力を持ったひとりの人物による支配がはじまる。責任に代わって恐怖が幅を利かせる。官僚機構がいっさいを支配し、すべての組織を取り込む。その機構は財やサービスを生み出しはするが、活動ぶりは不安定で無駄が多く、水準も低い。しかも、辛苦、屈辱、苛立ちなど、途方もない犠牲を伴う。このため、組織を柱とした多元的な社会で自由と尊厳を保つには、組織に自主性と責任を与え、高い成果をあげさせるのが唯一の方法である」(『マネジメント』第1巻、4~5ページ)。

 ドラッカーのマネジメント論の背景にはこうした問題意識があったことは見逃せない。つまり、ドラッカーは多元的な社会において個人の自由と社会的秩序とを媒介する中間団体として企業組織を捉えていた。人間と社会との関係性を考え抜こうとする態度を持っていた点で政治思想史的に彼の考え方を位置づけることもできる。マネジメントの技法としての各論を見るか(つまり、自己啓発的なビジネス書として読むか)、それともこれらの各論の背後に一貫している思想史的問題意識に注目するかで、ドラッカーの読み方はまた違ったものになるだろう。

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コメント

こういう政治経済的な視点からのドラッカー評は初めて読みました。言われてみれば確かに、卓見だと思います。だから(利益という概念のない)公共セクターの経営にあれほど熱心になり、また(利益でなく責任によって運営されている)日本的経営に興味を持っていたのですね。今の日本はオリンパスやキャノンなどの独裁企業ばかりになりました。そして独裁の継承は、北朝鮮以上に深刻になりそうです。ドラッカーも墓中で寝返りを打っていることでしょう。

投稿: Ken | 2012年8月 4日 (土) 07時56分

はじめまして。コメントをありがとうございました。おっしゃる通り、ドラッカーの日本企業への関心にはそうした理由もあったと思います(ただし、開放性のないところなど欠点も指摘していましたが)。近年は経済構造の変化によってそうした組織のあり方が立ち行かなくなっているのは難しい問題だなあ、と思っています。

投稿: トゥルバドゥール | 2012年8月 5日 (日) 00時45分

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