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2012年8月 7日 (火)

【映画】「汚れた心」

「汚れた心」

 「勝ち組」「負け組」という言い回しが第二次世界大戦直後のブラジル日系人社会に現われていたことは、トリビアルな世界史知識として時折披露されることがある。もちろん、現代日本社会で経済的格差を茶化した意味合いとは全く違う。戦争が終わっても日本は勝ったと信じ続けた人々が「勝ち組」(信念派)、負けたという現実を受け容れた人々が「負け組」(認識派)と呼ばれ、こうした受け止め方の相違は日系人同士の殺し合いにまで発展してしまったという忌まわしい歴史の悲劇があった。

 映画の舞台は1946年のブラジル。写真館を営む高橋(伊原剛志)は、非合法の日本語学校で教師を務める妻ミユキ(常盤貴子)と二人暮らし。高橋も出席した日系人の集会で退役軍人の渡辺大佐(奥田瑛二)が「日本は負けたというデマが流れているが、すべて敵国の策略だから、騙されてはいけない」と檄を飛ばしていたところ、警察の手入れが入り、日の丸が侮辱された。渡辺大佐の煽動で憤った人々は侮辱行為を行った人物の引渡しを求めて警察署へ押し寄せ、逮捕される。尋問の通訳として知り合いの日系人が立ち会っているのを見た彼らは口々に罵る。「貴様はなぜここにいる?」「あなた方を助けようと思って…」「敵に協力するつもりか!」「日本はもう負けたんですよ!」「そんなことを考えるのは、お前の心が汚れているからだ。この非国民め!」──やり取りはかみ合わない。その後、釈放された渡辺大佐は「まず我々の中にいる裏切り者から始末せねばならない」と演説、高橋を呼び止めて軍刀を渡した。一方、ミユキは生徒の一人から「これはどういう意味ですか?」と質問されて絶句する。その生徒のノートに書き込まれていたのは漢字二文字──「国賊」。

 ヴィセンテ・アモリン監督、原作者のフェルナンド・モライスともブラジル人だが、主だった登場人物は日本人。映画上の人物設定はフィクションにしても、原作のFernando Morais“Corações Sujos”は公文書などを精査した上で書かれたノンフィクション作品らしい(読んでみたいのだが、ポルトガル語の原書だけで、邦訳はおろか英訳もなさそうだ)。臣道聯盟という愛国主義団体が「負け組」の指導的人物を暗殺したという事件は実際に起こっており、例えば高木俊朗『狂信──ブラジル日本移民の騒乱』(角川文庫、1978年/ファラオ企画、1991年)に出てくる話と符合するシーンもいくつかあるので、おおむね史実をふまえていると考えて良いのだろう。当時の日系人社会がどのような感じだったのか時代考証的なことは私には分からないが、日本人が見て違和感を覚えるような描写はそれほど多くなかった。綿花栽培の田園風景を映し出す黄昏色の映像に、ストリングス中心のメロディーがかぶさって、悲劇的なストーリーを印象付けている。

 遠方の異国だからこそくっきりと浮かび上がってくる、戦時下における日本人のメンタリティー。負けたと考えること自体が精神的堕落、という極めて主観主義的な発想は、例えば小島毅『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ)で指摘された「動機オーライ主義」と同様の問題がうかがえる。暗殺団が組織されるあたり、昭和維新を呼号した右翼団体すら想起されるだろう。

 地球の裏側で、しかも第二次世界大戦においてブラジルは連合国側にまわったので日本との外交関係は途絶、情報がほとんど入ってこない中、ある日突然、日本敗北を知らされた。「神国日本」が敗れるはずはないという強烈な思い込みから「これは虚報ではないか」という願望が芽生え、「本当は日本が勝ったんだ」という流言がはびこり始める。上掲『狂信』によると、原因の一つとして詐欺師まがいの人物による意図的な情報操作もあったらしいが(映画中では、高橋が「日本勝利」というニュースのからくりに疑問を感じたため命を狙われることになる)、問題はそればかりではあるまい。

 強烈な願望があるとき、手持ちの情報を一定のフレームワークに従って再解釈したくなるのはありがちなことだ。むしろ、頭の中にかかったそうしたフィルターをどのように考えたらいいのかが肝心なところだろう。一つには、彼らがブラジルへ移住する前に日本で受けていた軍国主義教育が挙げられる。遠く離れた故郷が灰燼に帰したのを目の当たりにすることがなかったため、実体験に基づいた懐疑を持ち得ず、観念のみが温存された。

 それ以上に考えるべきなのは、彼らの置かれていた境遇である。異国の荒涼たる大地を開拓するのは非常に苛酷な仕事であったと聞く。当時のヴァルガス政権が積極的に推進していた移民の同化政策によってアイデンティティ・クライシスを抱かざるを得なかったであろうし、映画の冒頭にもあったように人種差別的な偏見にもさらされていた。そうした苦しい立場にあった中、日本が法的にブラジルと交戦状態に入ったことは、物理的にも精神的にも孤立感をいやが上にも深めたはずだ。また、「負け組」の人々は日本の敗戦という事態を正確に認識できるだけのインテリジェンスがあったことから分かるようにブラジル社会の中でも一定の地位を築いた成功者が中心であった。一方、「勝ち組」には経済的・社会的に不遇をかこつ人々が多かったらしい。いずれにせよ、自分たちの置かれた困難な立場を肯定的なものへと反転させたい、そうした願望が「現実」認識を再構成したくなる動機として作用していたことは十分に考えられる。

 この映画に描かれた日系移民たちが抱いた日本勝利という「信念」は現代の我々からすれば荒唐無稽以外の何物でもない。しかし、以上のことを考え合わせてみると、彼らの精神状態はグローバル化の進んだ現代においても決して過去の問題とは言い切れないのではないか。情報速度が格段に高まったとしても、それを受け止める側の心理的フィルターは、どんな情報であっても自身の納得したい方向で再構成を図ろうとするのだから、情報の正確/不正確は問題にならない。そして、自分が不遇な立場にあるという自覚が強ければ強いほど、トートロジカルな根拠に自らの優位性を求めるという罠にはまりやすくなる。そうした意味で、例えばヨーロッパ社会におけるある種のイスラム系コミュニティーなどと比較してみるという論点もあり得るのではないかと感じた。

【データ】
原題:Corações Sujos/英題:Dirty Hearts
監督:ヴィセンテ・アモリン
原作:フェルナンド・モライス
2012年/ブラジル/107分
(2012年8月5日、渋谷、ユーロスペースにて)

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コメント

 
暑い日が続きます。

読みに鈍りがみられないのはさすが。

やってられんわ、とダラダラやってしまう私と比べるのもオカシイですが。


「ショック・ドクトリン」でもチリを席巻したシカゴ学派は再発見されたのでしょうが、同様にアメリカの戦略が拡がる南米…

「汚れた心」から一世代。コンドル作戦の下、ブラジル軍事政権に向き合った日系二世達。さらに密な取材を望むのですが。

http://www.100nen.com.br/ja/kojien/000112/20050706001162.cfm

野呂義道「サンパウロの暑い夏…日系テロリスタの闘い」(講談社)

くらいしか知りません。


この歴史に顕れた力学を小説という手法で突き付けた船戸与一「山猫の夏」は、多くの読者を獲得しましたが。


本当に、切実な歴史だと思います。

投稿: 山猫 | 2012年8月10日 (金) 13時03分

どうもご無沙汰しております。
ご教示いただき、ありがとうございました。
一言で日系人といっても、こういう人生の軌跡もあったのですね。
南米に対しては格別な関心もなかったのですが、一つのきっかけから芋づる式に、色々な奥深さに気づかされてきます。

投稿: トゥルバドゥール | 2012年8月10日 (金) 18時05分

 
もし、お時間がゆるすようであれば。

http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20121021008517.cfm

この映像に接していない私がオススメするのも、どうかとは思いますが。御紹介まで。


「汚れた心」が映さなかったことを含め、トゥルバドゥールさんの評を読んでみたくもありますので。

私の方は、きっかけを作って、西の方で上映の運びとなるよう努力して観たいとは思っております。

投稿: 山猫 | 2012年10月23日 (火) 01時39分

ブラジル在住の方が撮った作品なんですね。興味がひかれます。情報をありがとうございました。

投稿: トゥルバドゥール | 2012年10月24日 (水) 00時52分

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