来週は8月15日を迎える。67年前、日本の無条件降伏というニュースは地球の裏側にあたるブラジルで、日本とは違った形で大きな波紋を引き起こしていた。第二次世界大戦直後のブラジル日系人社会で、日本の敗北という事実を受け入れた「負け組」(認識派)と、「日本は勝利したはずで、負けたなどと言うのは非国民だ。けしからん!」と怒り狂った「勝ち組」(信念派)との対立が激化、「勝ち組」の臣道聯盟という組織が「負け組」の人々を暗殺するという事態にまで発展してしまった。
先日、この事件を題材にしたヴィセンテ・アモリン監督の映画「汚れた心」を見て、もう少し詳しいことを知りたいと思ったのだが、原作のFernando Morais“Corações Sujos”はポルトガル語の原書だけしか刊行されておらず、邦訳はおろか英訳もない。このフェルナンド・モライスという人はブラジルでは著名なノンフィクション作家らしく、例えばパウロ・コエーリョの評伝なども書いていて、それは英訳が出ているのだが。日系人の問題ということで日本にも関わりがあるのだから、どこかの版元さんが邦訳を刊行してくれたらありがたい。
仕方ないので図書館を回ってみたら、「勝ち組」に関する文献は意外とあって、とりあえず下記の4冊に目を通した。
田宮虎彦『ブラジルの日本人』(朝日選書、1975年)は1960年代にブラジルを旅行した際の紀行文をまとめたもの。ブラジルの日系人社会には戦後になっても「明治の日本」が残っているという率直な驚きが興味深い。また、日本語中心の移民第一世代と、ポルトガル語を使うことの多いブラジル生まれの第二世代との世代間ギャップも観察されている(後述のヴァルガス政権における日本語禁止政策の効果もあった)。こうしたあたり、私がたまたま台湾に関心を抱いていることからの連想に過ぎないが、日本の敗戦を一つの区切りとした上で①戦後台湾に「戦前の日本人」を見出したときの驚き、②世代間における言語的断絶、こうした点で台湾と比較してみたらどのような論点が導き出せるか?という関心も浮かんだ。
臣道聯盟事件をめぐる全体な背景を知るには太田恒夫『「日本は降伏していない」──ブラジル日系人社会を揺るがせた十年抗争』(文藝春秋、1995年)が読みやすい。臣道聯盟事件をじかに知っている人から聞いた話は田宮『ブラジルの日本人』にも出てくるが、やはり一番面白かったのは高木俊朗『狂信──ブラジル日本移民の騒乱』(ファラオ企画、1991年/角川文庫、1978年/朝日新聞社、1970年)である。
高木俊朗は戦記文学で知られた作家だが、映画の脚本を書く仕事もしていた。1952年、日系移民をテーマとした映画製作の話を持ちかけられ、監督の小杉勇や女優の霧立のぼる、俳優の大日方伝、藤田進などと一緒にブラジルへ渡る。いざ現地に着いてみると、どうも様子がおかしい。招聘元となった会社の実体が分からないし、いつまで待っても映画製作が始まる気配もない。地元新聞社を訪ねて事情を聞いてみると、自分たちを呼び寄せたのは名うての山師で、どうやら「勝ち組」の重要人物でもあったらしい。結局、映画製作は取りやめとなり、スタッフは帰国したのだが、「勝ち組」のことが気にかかった高木自身はしばらく残って調査を続けた。「日本は勝った」と主張する人物が次々と現われるので彼らから話を聞き取り、資料も集め、「勝ち組」の精神構造はどうなっているのか何とか見当をつけようと努める。不思議な異世界にさまよいこんでしまった中で謎解きをしていくようなスリリングな面白さがあって、この作品はノンフィクションの埋もれた名作だと思う。
1945年の時点でブラジル日系人社会の9割以上が「勝ち組」に近い考え方を持っていたらしい。その多くは素朴に信じ込んでいたようだが、中には高木をだました山師のように胡散臭い輩も暗躍していた。「マスコミは日本が負けたと言っているが、すべて米国の謀略だ。本当は日本が勝ったんだ」ということをもっともらしく話すとみんな喜んでお金を出したので、一つの稼ぎ口となっていた(それを「お賽銭」と表現する人もいた)。彼らの語る時事解説は微妙に現実の出来事を散りばめながら解釈を正反対に持っていくという巧妙なもので、敗北という現実を知りながら確信犯的にやっていたであろうことも推測される。軍人や特務機関員と自称する者が「お国のため」と称して金を巻き上げ、日本から特別使節としてやって来た賀陽宮だと詐称する者までいた。血と汗を以て開拓した土地を、帰国運動にかこつけて巻き上げられてしまった人も少なくない。それでも被害者は「お国のためにやっている」と思い込んでいるので、詐欺罪で訴えようともしない。日本と直接の連絡が難しい時期だったので、そうした有象無象が白昼堂々と動き回っていたあたり、妙にカオティックな印象を受ける。日本の軍艦がやって来るという噂が流れて、奥地に入植していた多数の日系人が港まで出て来て待っているところなど、いかにも新興宗教にありそうなシーンだ。
当時のラテンアメリカには、例えばアルゼンチンのペロン大佐のようにファシズムに共鳴する政権がいくつか成立していたが、ブラジルのヴァルガス政権もそうした一つであった(ただし、経済関係はアメリカに依存していたため、第二次世界大戦では連合国側に立つ)。国土は広大でエスニシティも多様、言い換えるとバラバラな状態にあったブラジルを一つの同質的な国民国家へまとめ上げようとする意図からヴァルガス大統領はナショナリズムを高揚させる政策を取り、移民には同化を求め、やがて日本語新聞は禁じられる(考え方によっては、国民国家形成を意図してマイノリティーの同化を目指すブラジルのナショナリズムと、同化を拒否し続けた日本人の遠隔地ナショナリズム、二つのタイプのナショナリズムのぶつかり合いという側面も指摘できる)。ポルトガル語の分からない日本人移民たちは情報からシャットアウトされ、これがある種の迷信をはびこらせる一因ともなった。
簡単に言ってしまうと、「日本は勝った」と信じたい日本人移民たちの願望と、それを利用して金儲けをたくらんだ詐欺師の思惑とが一致してしまったということになる。出所不明の虚報が「事実」と受け止められ、詐欺師たちは商売のカラクリがばれないように虚報をさらに煽り立てる。こうしたマッチ・ポンプが繰り返される中で「負け組」に対する憎悪がふくらんでいき、やがて「勝ち組」による「負け組」暗殺が誘発された。問題はそればかりではない。暗殺事件があまりに多発したためブラジル社会内で日系人に対する感情が悪化し、些細ないざこざがきっかけでブラジル人と日系人との衝突事件まで発生している。
もちろん、詐欺師が悪い。しかし、詐欺師の言葉を簡単に受け容れてしまうだけの理由が、移民たちの精神構造上の問題としてあったのも確かである。そもそも詐欺師たち自身も半ば本気で信じ込んでいたようにも思われる。報道が「間違っている」のだから、自分たちが「正しく」修正しているだけだという意識だったのかもしれない。「勝ったか負けたかは関係ない。日本が負けたと考えるのは精神的堕落だ」という趣旨の発言があり、当初から現実認識の発想そのものがなかったことが分かる。ここには昭和維新を呼号した人々に見られる「動機オーライ主義」の純粋培養された心性を見出すこともできよう。それこそ、「負け組」のリーダーを射殺する際、五・一五事件で犬養首相を殺害した青年将校のように「問答無用!」と叫んだらしい。
前山隆『移民の日本回帰運動』(NHKブックス、1982年)はそうした彼ら自身の主観的な受け止め方に注目し、文化人類学者としての視点からアイデンティティー構造の変容過程として日本人移民たちのメンタリティーについて分析を進めている。高木書は読み物として面白かったが、こちらの前山書は高木書の記述も検討事例に含めながら説得的な分析を展開している。
日本のブラジル移民の多くは、しっかり稼いだ後は帰国して故郷に錦を飾るという考え方だったため、永住するつもりなど全くなかった。そうした客人意識があるため、ポルトガル語を覚えようとはせず、むしろ日本語を忘れてしまうことを恐れていた。ただ、実際には生活は苦しく、故郷に錦を飾るどころではない。帰る目途がたたず無力感に苛まされていると、かえって帰国願望が高まっていく。そうした中から帰国運動が現われ、日本の対外侵略が活発になると「大東亜共栄圏」に共鳴する形で日本の占領地域への再移住を目指す運動も起こった(例えば、海南島へ)。日本敗戦後のいわゆる「勝ち組」もこうした一連の「回帰運動」の延長線上にあり、本書では社会的ストレスを感じたマイノリティー集団に特徴的な「千年王国運動」として捉えている。
なお、前山書によると、ブラジルの日本人移民は当初、神社を建てなかったそうだ(台湾、朝鮮半島、旧満州、南洋へ進出した日本人が必ず神社を建立したのと対照的である)。それは、自分たちはいずれ日本へ帰る身の上なのでブラジルの流儀を尊重する、という客人意識によるもので、裏返すとまさに日本人意識が強固に残っていた証左である。帰国を諦めて永住を考え始めた頃から神社を作り始め、「勝ち組」の指導層は神職のような立場にすり替わっていく。こうした形での新興宗教の動向もまた移民のアイデンティティー変容という観点から把握することができる。
彼らの的外れな言動を単なる社会的不適応と嗤うだけでは何の意味もない。挫折感に打ちひしがれても、それでもなおかつ生きていくためには新たなアイデンティティーを形成し直さねばならず、自己の置かれた立場を解釈し直す模索において、傍目には不可解な行動を取ってしまうことがあったとしても不思議ではないだろう。
強烈な願望があるとき、手持ちの情報を一定のフレームワークに従って都合よく再解釈したくなる心性は一般的によく見られる。「勝ち組」について考えるにしても、彼らの頭の中にかかったフィルターがどのような構造で成り立っているのかを理解することが肝心である。
第一に、彼らがブラジルへ移住する前に日本で受けていた軍国主義教育が挙げられる。遠く離れた故郷が灰燼に帰したのを目の当たりにすることがなかったため、実体験に基づいた懐疑を持ち得ず、観念のみが温存された。
第二に、移民としての生活環境上の苦難が大きい。移住の当初は低賃金で苛酷な労働に駆り立てられ、異国の荒涼たる大地を開拓するのは生易しいことではなかった。その過程では多くの近親者や仲間の死を目の当たりにしてきた。また、当時のヴァルガス政権が積極的に推進していた移民の同化政策によってアイデンティティー・クライシスを抱かざるを得なかったであろうし、人種差別的な偏見にもさらされていた。様々に苦しい立場にあった中、日本が法的にブラジルと交戦状態に入ったことは、物理的にも精神的にも孤立感をいやが上にも深めたはずだ。日本が戦争に勝ちさえすれば、自分たちを苛む苦難も終わるはず──そうした願望は単なる空想というレベルを超えて、まさに彼らが生きていく支えとなっていた。見方によっては宗教的な救済願望すら感じられるが、「千年王国運動」との類似という前山書の指摘はまさにそうしたあたりを汲み取ったものである。
また、「負け組」の人々は、日本の敗戦という事態を正確に認識できるだけのインテリジェンスがあったことから分かるように、ブラジル社会の中でも一定の地位を築いた成功者が中心であった(ブラジル社会で地位を得るにはやはりポルトガル語能力が必須であった)。他方、「勝ち組」には経済的・社会的に不遇をかこつ人々が多かったらしい。
いずれにせよ、自分たちの置かれた困難な立場を肯定的なものへと反転させたい、そうした願望が「現実」認識を再構成したくなる動機として作用していたことは十分に考えられる。
日系移民たちが抱いた日本勝利という「信念」は現代の我々からすれば荒唐無稽以外の何物でもない。しかし、以上のことを考え合わせてみると、彼らの心理構造はグローバル化の進んだ現代においても決して過去の問題とは言い切れないのではないか。情報速度が格段に高まったとしても、それを受け止める側の心理的フィルターは、どんな情報であっても自身の納得したい方向で取捨選択しながら再構成を図ろうとするのだから、情報の量や正確さは本質的な問題とはならない。そして、自分が不遇な立場にあるという自覚が強ければ強いほど、自尊心を傷つけるような現実を拒否しようという動機が働き、トートロジカルな根拠に自らの優位性を求めるという罠にはまりやすくなる。そこから生じたコミュニケーション不全の状態は周囲からの拒否感に遇うと態度を硬化させ、いっそうの自縄自縛に陥ってしまう可能性がある。
そうした意味で、例えばヨーロッパ社会におけるある種のイスラム系コミュニティーなどと比較してみるという論点もあり得るのではないかと感じた。あるいは、問題のレベルはだいぶ違ってくるが、現代日本でもネット上を眺めれば色々とサンプルが見つかるのかもしれない。
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