松島大輔『空洞化のウソ──日本企業の「現地化」戦略』、戸堂康之『日本経済の底力──臥龍が目覚めるとき』、他
高度成長期の日本企業は低廉な人件費を見込んで労働集約型の分野を中心にアジア展開を拡大させていたが、その限界は早くから指摘されていた(例えば、関満博『フルセット型産業構造を超えて──東アジア新時代のなかの日本産業』中公新書、1993年)。アジア展開を人件費などコスト削減の視点で考える時代は終わり、市場として捉えるのが現在では主流となりつつある。
そうした中、松島大輔『空洞化のウソ──日本企業の「現地化」戦略』(講談社現代新書、2012年)は、日本企業の海外(とりわけ「新興アジア」)進出は国内の雇用を減らしてしまう(=空洞化)のではなく、むしろ積極的な海外展開を通したイノべーティブな刺激が産業融合をもたらし、国内産業にとってもプラスになる、と主張している。なお、本書で言う「新興アジア」とは主にインドや内陸部インドシナ半島を指しており、中国やインドネシアへの言及は少ない。著者の主な活動舞台がインドやタイにあったというだけでなく、中国~アメリカのモジュラー型に対して、日本はインテグラル型(現場の「カイゼン」→「創発システム型))の点でASEANの方が親和的という論拠も挙げられている。
とりあえず本書で関心を持った論点は、
・新興アジア諸国への「現地化」とは、言い換えると現地のニーズを汲み取りながら生産態勢を仕切りなおすことである。それは日本国内への刺激としてイノベーションが創発される一方で、日本企業自身の再編を促し、さらには日本国内の構造改革にも直結する。(どうでもいいけど、アジア展開による刺激によって日本国内の構造改革を促すというロジックって、どっかで聞いたことあるよなあ。例えば、満州事変を起こした石原莞爾とか)
・今まで日本企業がFDIで展開してきた生産ネットワークの広がりが下からのデファクト・スタンダードとしてASEANにおける経済統合を促してきたという経緯がある→このようにルール作りを日本も率先に立って行っていく必要性。日本的なフォーマットへの標準化により、日本企業が稼げるルール作り。
・生産部門はアジア諸国で「現地化」する一方、日本では企画・調整のための部門を拡充する必要があり、ここに日本での雇用が生まれる。ただし、本書で言う雇用とは企画立案や調整を担うホワイトカラーが中心であり、コアとなる技術関連の生産や波及的な雇用には触れられてはいても、それ以外の雇用形態の人々にどのような恩恵があるのかまではよく分からない。産業構造の変化により「労働」の質がブルーカラーではなく知的労働を重視する方向で大きく変わっているという認識が前提になっており、議論の対象が異なるのかもしれない。その点では「空洞化のウソ」というタイトルは割り引いて読む必要があるだろう。
それから、戸堂康之『日本経済の底力──臥龍が目覚めるとき』(中公新書、2011年)、『途上国化する日本』(日本経済新聞出版社、2010年)を続けて読了。要点は以下の通り。
・日本には国際競争力の潜在力を持つ企業が多数あるが、情報アクセスの問題があって海外進出の意志なし(臥龍企業)→グローバル化を促す政策の必要。海外進出そのものによる稼ぎよりも、それによって得られる情報にイノべーティブな価値がある。
・研究開発した成果が流出すると、その企業にとってはマイナスだが、社会全体にとってはプラス→企業が研究開発への投資に及び腰にならないよう公的支援が必要。
・産業集積は、対面的なネットワークによって技術や知恵の切磋琢磨や情報交換が行われ、イノべーションが促進される→産業集積を政策的に促進する必要。
・以上を前提としてFTAの推進を主張。
松島大輔『空洞化のウソ──日本企業の「現地化」戦略』(講談社現代新書、2012年)も、基本的な主張については戸堂書をフォローしている。戸堂書の議論を見ても、企業のグローバル化で国内産業の空洞化は生じず、長期的にはむしろ雇用は安定すると主張しているが、やはり本社における企画立案・調整等のホワイトカラーが念頭に置かれていて、それ以外の雇用形態に関してはむしろ減少するという見立てと読み取れる。
ついでに関満博の上掲『フルセット型産業構造を超えて』の他、『地域経済と中小企業』(ちくま新書、1995年)、『アジア新時代の日本企業──中国に展開する雄飛型企業』(中公新書、1999年)、『空洞化を超えて──技術と地域の再構築』(日本経済新聞社、1997年)も通読したが、合わせて読むと、ここ20年間においてアジア展開する日本企業の動向が見えてくる。
関満博は大田区の工場など中小企業の現場を観察した研究成果を出しているが、①産業集積(大田区のように町工場が密集)による技術力向上、②労働集約型事業は人件費の安いアジア諸国に移転するので、日本では「プロトタイプ創出機能」を育成しておく必要がある、という議論を進めていた。
上記3人の議論から共通点を抽出すると、要するに中小企業の「ものづくり」の現場における技術的イノべーションを促すことで日本の国際競争力を向上させる、という点に収斂する。関書、戸堂書はとりわけ産業集積での創発によるイノベーションに注目している。3人ともアジア展開の必要性を論じる中で、関書(主に中国展開を取り上げる)は現地にも技術移転を進める必要性を指摘する一方、戸堂書における中小企業にもグローバル化を促す主張、松島書における「新興アジア」への「現地化」の主張は、知的創発のつながりを海外へと広げて捉えなおそうとしている。「ものづくり」というとベタな印象を受けるかもしれないが、産業集積における知的創発を重視しているところから考えると、リチャード・フロリダ(井口典夫訳)『クリエイティブ資本論──新たな経済階級(クリエイティブ・クラス)の台頭』(ダイヤモンド社、2008年)で示された、世界がフラット化する中でも都市における創発的な出会いが新たな経済価値を生み出すという議論と実は同様の方向性を持っていると言えるのかもしれない。
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コメント
歴史的=都市の政治について少しずつでも向き合うキッカケにできるのか。
相も変わらず、そこは先延ばしし続けることを可能にするだけなのか。
投稿: 山猫 | 2012年8月10日 (金) 13時22分