【映画】「先生を流産させる会」
「先生を流産させる会」
やかましく響き渡る蝉の声は夏の開放感を思い起こさせる。なつかしい風情の校舎、青々とした田んぼが広がるのどかな風景。しかし、そこにかぶさるノイズ系の音楽は、一見平穏そうに見える退屈の中に鬱積した暗いルサンチマンをあぶりだすかのようだ。
妊娠した女性教師の給食に生徒が毒物を入れた、という実際にあった事件を基にストーリーをふくらませているらしい。
女性教師のお腹がふくらんでいくのを見た中学校の女生徒5人組。妊娠から「性」の淫靡なイメージを嗅ぎ取り、「気持ち悪い」と感じる思春期の女の子らしい潔癖さ、そこに子供っぽい残酷さも絡まっていたずらを画策する。「先生を流産させる会」を結成するのが廃墟となったラブホテルというのは象徴的な設定である。
いたずらがエスカレートしていく女生徒たちと女教師とのバトルロワイヤル的な展開になるのかと思っていたら、意外と真摯な問いかけにつながっていく。先生への嫌がらせとしてその子供を攻撃する生徒たち、モンスター・ペアレントといったモチーフでは湊かなえのベストセラーを中島哲也監督が映画化した「告白」とも共通するが、単なる復讐劇に終わらないところが違ってくる。
5人組の中でもリーダー的な少女には複雑な事情がありそうだ。顔立ちは日本人とはちょっと違う。保護者呼び出しの時、彼女の親だけ来なかった。連絡を取ろうとしても不通。ブラジル系の人々が集まるお店でかっぱらいをするシーンもあった。おそらく彼女は出生にまつわるトラウマを抱えているであろうことが暗黙のうちにほのめかされている。「気持ち悪い」と言うのも、本当は妊娠した女教師に対してではなく、この世に存在することを肯定できない自分自身に対する苛立ちなのだろう。しかし、それは誰のせいだと言うこともできない。まさに自分の問題なのだから。そうした自己否定感情が、生まれてくるであろう胎児に投影され、攻撃衝動として表出したと捉えられる。
胎児ならまだ「人間」じゃないのだから殺したって罪にならない、「最初からいなかったことにすればいい」と彼女は言う。映画のラスト(ネタバレだな)、女教師が自身の水子供養の際、彼女を見つめながら「いなかったことにはできないの」と言うシーンには、二重の意味が込められている。生まれることのなかった自らの胎児と、その胎児を殺した他ならぬ彼女と。彼女はお腹の中の子供を殺した憎い仇のはずだが、同時に彼女自身が見捨てられた孤独感からこの世界に憎しみを抱いている事情をも見通しながら。
自己肯定できずに不適応を起こした中学生に「あなたはここにいてもいいのよ」と呼びかけるのは、何かエヴァンゲリオンの最終話とかぶる気もするが、子供たちの自己肯定感の欠如は社会学的に大きなテーマだから決して変な話ではない。
自主制作映画のレイトショーで上映だが、満員どころか立ち見までいた。私が観に行ったとき(6月1日)は映画の日で千円均一ということもあったろうが、意外と話題になっているのかな?
【データ】
監督・脚本:内藤瑛亮
2011年/62分
(2012年6月1日、渋谷・ユーロスペースにてレイトショー)
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