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2012年6月22日 (金)

龍應台『台湾海峡 一九四九』

龍應台(天野健太郎訳)『台湾海峡 一九四九』(白水社、2012年)

 龍應台の「台」は台湾の「台」である。しかし、これにはある種の「よそ者」感覚がまとわりついていると自身で記している。なぜ親はこのような名前を付けたのか? 一時滞在のつもりで来たこの土地でたまたま彼女が生まれたのを記念するため、ということらしい。ある世代には同様の意味合いを帯びた名前の人が多々見られるという。例えば、ジャッキー・チェン。彼の本名は陳港生。「港」は香港の「港」である。彼の親もまた流浪の果てに香港へたどり着いたという背景が息子の名前からうかがえる。

 著者は台湾南部、高雄の近郊に生まれた。しかし、小学校に通い始めて気付く──クラスの中で自分はただ一人の「よそ者っ子=外省人」であることに。自分が住んでいるのはいつ引っ越すか分からない公務員住宅。でも、台湾人には祖先代々の家があり、清明節にお参りするお墓もちゃんとある──そうした家が自分の母の生まれ育った大陸にあるなんて、その頃は知らなかった。他のみんなとは違うこの孤独感は何だろう? 美術の時間、みんなは自分の家、赤レンガの閩南式家屋を描くのに、彼女が描くのはだいたい船ばかり。そう、漂泊という不安定な感覚。そして大人としても成熟した現在、さらに思い巡らすのは、同様の、いや、場合によってははるかに苛酷な漂泊の人生を強いられた数多の人々があの時代に生きていたということ──。

 龍應台は華語圏では著名なベストセラー作家で、台湾の書店に行くと何がしかの著作がいつも平積みされている(ちなみに今年、彼女は馬英九政権の文化部長に就任した)。オビを見ると、原書の《大江大海 一九四九》(天下雑誌、2009年)は台湾・香港あわせて42万部も出たらしい。原書が刊行されたばかりのとき、私もたまたま台北の書店で見かけて購入した。一読して、これは日本人にとっても他人事ではないし、実に興味深い内容だと思っていた(→こちら)。ただ、私自身の中国語能力に不安があってどこまで本書の意義を理解し得ていたのか心もとなかったので、邦訳がようやく出たのを機に改めて読み直した。

 1945年、日本の降伏によって東アジアにもようやく平和が訪れるはずだった。ところが、中国では国共内戦が激化、中華人民共和国が成立して蒋介石率いる国民党が台湾に撤退する1949年に至るまで、戦火に追い立てられるように故郷から引き離された、実におびただしい人々がそれぞれに過酷な運命の変転を体験することになる。そうした流亡の果てに台湾へとたどり着いた人々の中には著者自身の両親の姿もあった。本書は、両親が暮らしていた大陸の故郷を著者が訪問したのをきっかけに、1940年代後半という時代に何が起こっていたのか、史料を読み直し、当時を知る人々へのインタビューを重ねながら、一つの作品として再構成している。

 また会えるはずと思って生き別れになった親子の姿。自らの意思とは何の関係もなく、唐突に降りかかった家族との別離。例えば、兵力不足に陥った国民党軍は行き当たった若者を手当たり次第に拉致し、兵力として編入していた。別れの挨拶の暇すらも与えずに。日本の敗戦後、台湾接収で上陸した国民党軍兵士のみすぼらしさは嘲笑の的となったが、そうした事情で何も知らないまま台湾へ送り込まれてきた者も数多く含まれていた(なお、本書では特に触れられていないが、家族を大陸に残したまま身寄りのない外省人の老後は大きな社会問題になっている)。また、金門島の女性は、行商でアモイに行ったところ、その間に海上封鎖されて戻れなくなってしまった。半世紀経ってようやく里帰りできたときには、夫はすでに亡くなり、息子たちの行方も杳として知れない。

 国民党も共産党も、それぞれの公定史観が謳い上げるような輝かしい解放者などではない。例えば、国共内戦の一つのクライマックスをなした長春包囲戦。城内に立て篭もった国民党軍を林彪率いる共産党軍が包囲し、戦術として兵糧攻めが採用された。城内にいた一般庶民は町の外に出ようとするが、共産党軍は敵方の食糧を減らすため無理やり押し戻し、他方で国民党軍は自分たちの食糧を確保するため城内に入れない。両軍が対峙する空間に放置された数十万もの一般庶民が飢え死にし、その正確な数は分かっていない(なお、『卡子』の著者の遠藤誉さんはこの過酷な状況から生き残った人である)。彼らの喧伝する「勝利」の美名の下には無辜の庶民の実におびただしい犠牲があった。「人民の味方」中国共産党の公的な歴史にそうした事実は一切記されておらず、著者が長春を訪ねてもほとんどの人がこの惨事を知らないことに驚く。

 台湾の原住民プユマ族の二人は国民党の徴兵係に騙されて大陸へ送られ、国共内戦の渦中に投げ込まれた(なお、一人の兄は日本軍に取られていたらしい)。捕虜となって後は共産党軍に編入され、さらに朝鮮戦争にまで従軍した。長い旅路であったが、そればかりでなく台湾に戻るまでには半世紀近くもの年月を要することになった。台湾の温暖な気候に慣れた彼らにとって北方の寒さは厳しい。

 日本軍に徴用された多くの台湾人軍属や志願兵が直面した苛酷な運命。日本軍による残酷な捕虜虐待。南方の島々や南京の捕虜収容所で看守として否応なく不本意な残虐行為に加担させてしまったことは、やはり日本人として見落とすわけにはいかない。そうした中でも、戦後の戦犯裁判で自らは死刑判決を受けたにもかかわらず台湾人の部下に書を与えて励ます日本人将官についても触れられているのは、いくぶんか気持ちが和らぐ思いがした。田村義一という文学肌の一兵士が残した日記も取り上げている。それから、汪兆銘政権への帰順をあくまで拒み続けて強制労働の中に亡くなった卓還来(ボルネオ・サンダカン総領事)の潔さも印象に残る。

 二・二八事件に関する記述は全体的な分量に比して少なめだが、それでもいくつかのエピソードは紹介されている。例えば、国民党の上陸を歓迎したものの、その“返礼”が仲間の銃殺であったことに幻滅し、公的活動を一切退いた彭清靠(彭明敏の父親)。それから、行政院長や副総統を歴任した蕭萬長は、命の恩人であった潘木枝というお医者さんが二・二八事件で公開銃殺されるのをじかに目撃したことを回想している(嘉義での出来事らしいから、画家の陳澄波が銃殺されたのと同じ時だったのだろう)。蕭萬長は国民党の実務的テクノクラートとして有名な政治家だが、そうした記憶をずっと心の内に秘めていたというのが印象的だった。

 本書は単なる歴史ノンフィクションではない。著者自身の「私語り」が基本スタイルだが、それは同時に、インタビューを受けて当時を回想する人々の「私語り」にもまたそれぞれにかけがえのない痛切な想いがこもっていることを当然ながら知らしめる。そうした機微を描き出すところに著者の文学的感性が生きてくる。(なお、最初に原書を読んだとき、実は龍應台という人のプロフィールをよく知らず、なぜ文中にドイツの話が出てくるのか分かっていなかった。ドイツ人の夫との間に生まれ、ドイツで暮らす息子に向けて語るという形式だからである。)

 中国東北地方(旧満洲国)から南方の島々に到る広大な空間を舞台に、壮大と言えばあまりに壮大なドラマが繰り広げられていた。たぎり立つ歴史の巨大な奔流に否応なく巻き込まれ、一人一人の存在は流れに抗することができないほどに小さくとも、しかし確固として息づいていた肉声を丹念に聞き取り、一連なりの物語へと紡ぎ上げていく。敵か味方かを画然と分けてしまう公定史観は歴史を均質で無機的なものに貶めてしまい、場合によっては抑圧的な作用すら示す(実際、本書は中国大陸では刊行の機会を得られないままだ)。だが、様々な想いがポリフォニックに響き合う時空において捉え返していくことによって、大文字の「歴史」ではなかなか見えてこない、場合によっては覆い隠されてきた心情的なもの、癒しがたい傷、その傷に向き合う勇気、様々な想いが、立場の相違には関係なく、くっきりと浮かび上がってくる。そこが本書の魅力である。

 訳文も洗練されているのは感心した。本書の味わいを特徴付けている「私語り」のスタイルを自然な日本語に移し変えており、とても読みやすい。

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