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2012年6月24日 (日)

市川寛『検事失格』

市川寛『検事失格』(毎日新聞社、2012年)

 法の運用は必ずしも根拠とロジックとによってのみ基づいて行われているわけではない。複雑な現実の機微にはグレーゾーンが多く、法の一律的な適用はかえって不公正をもたらす可能性もある。ただし、運用をするのはやはり人間であって、その裁量的判断には別の思惑が混入してくることもまた当然ながらあり得る。一個人の恣意であったりするのはもちろん論外であるが、それ以上に、法とは別次元で作用する構造的な問題であるとするなら深刻である。

 著者は元検事である。佐賀地検に勤務していたときに担当した佐賀市農協背任事件で、否認する被疑者に暴言を浴びせかけながら無理やり調書をでっち上げた。転勤して担当から離れた後、法廷に喚問された際に、暴言で被疑者に圧迫を加えたことを正直に証言、やがて「暴言検事」として辞職することになる。本書は強引な取調べで冤罪をでっち上げてしまったことへの自省であり、それはすなわち、彼自身がそのような立場へ追い込まれていった原因は一体何だったのかを考え直す作業である。

 職業観は、その人の置かれた職場の環境によって育まれる側面が強い。彼が「暴言検事」になってしまった事情を突き詰めると、検察内部の組織文化の問題に行き当たる。裁判を通して「真実」を明らかにするのではない。「無罪」判決は検事としての大失点であって、被疑者には必ず筋読み通りに犯罪事実を認めさせねばならず、否認し続ける場合には強引にでも起訴へ持ち込む(村木厚子さんの冤罪事件における資料データ改竄で大阪地検特捜部の敏腕検事が逮捕されたが、著者も一時期、大阪地検に勤務していた頃を回想しており、ここはとりわけ強引な立件に持ち込む気風が強いらしい)。佐賀の事件で自分が行った強引な取調べについて正直に証言しようと思っていたとき、上司や同僚からは「あの程度の暴言、みんなやってるじゃないか」と言われれ、実質的な偽証を勧められた。とにかく検察のメンツをつぶすことは決して許されないという暗黙の空気。そうした圧迫の中でストレスがたまり、正常な判断能力すら失われてしまう。冤罪にはめられた側としてはたまったものではない。

 著者自身はもともと「ダイバージョン」という制度に関心を持っていた。つまり、「検事や裁判官が判断に迷ったとき、犯罪者が世間からできるだけらく印を押されないような手続きを選ぶことで、その社会復帰を助け、再犯を防ごうという一連の制度」であり、これを実現できる仕事として検事を選んだ。ところが、現場に入ってみると、司法修習で聞いたのとは正反対の実務すら行われている現実に戸惑う。

 検察内部の組織的ロジックに絡め取られて、内心では疑問を感じつつも、それを正直には言えないまま不本意な仕事を迫られていく不条理。本書では一人の検事の成長過程を通して、検察の組織文化が具体的にどのようなものであるのかが赤裸々に語られている。著者自身が繰り返すように、所詮は言い訳に過ぎないのかもしれない。いずれにせよ、そうした検察の組織文化に最終的には適応できなかったこと、同時に自らが若い頃に理想としていた検事像に到達できなかったこと、二重の意味で著者は「検事失格」であった。

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