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2012年6月 6日 (水)

見田宗介『まなざしの地獄──尽きなく生きることの社会学』

 苅部直『ヒューマニティーズ 政治学』(岩波書店、2012年)を読んでいたら、日常生活において直面する「権力」のあり様を描き出した作品として見田宗介『まなざしの地獄──尽きなく生きることの社会学』(河出書房新社、2008年)が取り上げられていた。以前から気になっていた論文なので、この機会に読んでみた。

 私が読んだのは新装版だが、初出は1973年。永山則夫(本書中では匿名でN・N)の生い立ちをたどりながら、当時の日本が抱え込んだ社会構造的な問題点に見通しをつける内容である。解説を執筆した弟子の大澤真幸は、統計調査では一般的傾向は把握できてもヴィヴィッドな実感がない、他方でライフヒストリーに着目しようとするならどんなサンプルに代表させるかが難しい、そうした中、見田のこの論文は両者の手法を見事に架橋させている、と評価している。社会構造的な連鎖の中に絡みとられたときの自己疎外の問題点を完結に表現し得ている点では今の時代にも通用しそうな印象も私は受ける。しかし、大澤の解説では、西鉄バスジャック事件や秋葉原事件を例に取り、むしろ「まなざしの不在」が現代の問題であり、それを時代的に対照させていく上でこの論文は有効だという視点を示している。

 近代資本制の原理によって故郷が解体され、東京という都会に出てきた人々。根無し草的感覚を抱いている彼らは「都市のまなざし」にさらされる。そうした状況下で自らのアイデンティティ的な安定を確保しようとするなら、表面的な記号を通して自分を主張する、つまり演技するしかなくなる。それは言い換えると自身の内面の否定に他ならない。自分の存在感を主張しようとすればするほど都会的ロジックに自らを合わせていかなければならなくなるという矛盾。そこにおいて、地方出身で家庭環境も貧困であったという階級の実存構造の否定的自覚がますます強まってしまう。そうしたあたりを一つの技術と割り切って乗り切る、あるいは敢えて拒否ことも可能ではある。しかし、残念ながら自らが抱え込んだギャップにルサンチマンを鬱積させていくこともあり得る。永山則夫がまさにそうであった。外から強制される基準に翻弄されながら、自分自身を見失って自己否定を繰り返さざるを得ないしんどさ、それが「まなざしの地獄」と表現されている。

(メモ書き)
・転職理由の「理由のなさ」
「一方において彼らがこのように〈ささいな理由〉で生活を変えてしまうということは、都会における彼らのその時どきの生活の、必然性の意識の稀薄、存在の偶然性の感覚、関係の不確実性、社会的アイデンティティの不安定、要するに社会的存在感の稀薄を暗示する。」その一方で、大人たちがただ不可解な〈理由なき理由〉しか見出さないというギャップ。

・都市のまなざしの表相性
服装、容姿、持ち物、出生(の事情)、学歴、肩書…様々な表相性が、その人の存在を規定してしまう都市のまなざし。他方で、自由な存在であろうとすればするほど、こうしたまなざしにがんじがらめになっていく。「都市が人間を表相によって差別する以上、彼もまた次第に表相によって勝負する。一方は具象化された表相性の演技。他方は抽象化された表相性の演技。おしゃれと肩書。まなざしの地獄を逆手にとったのりこえの試み」でもがく。

・〈演技の陥穽〉
「自己をその表相性において規定してしまうまなざしのまえで、人はみずからの表相性をすすんで演技することをとおして、他者たちの視線を逆に操作しようと試みる。…ところが、この〈演技〉こそはまさしく、自由な意思そのものをとおして、都会がひとりの人間を、その好みの型に仕立てあげ、成形してしまうメカニズムである。人の存在は、その具体的な他者とのかかわりのうちにしか存在しないのだから、彼はまさしくそのようにして、その嫌悪する都市の姿に似せておのれを整容してしまう。他者たちの視線を逆に操作しようとする主体性の企図をとおして、いつしかみずからを、都市の要求する様々な衣裳をごてごてと身にまとった、奇妙なピエロとして成形する。」(59~60ページ)

・精神の内部に外部から異物として挿入されてくる憂鬱
「自己の内なる他者でありながら、どうしようなく自己自身である自己としての憂鬱。自己・疎外の構造としての関係の絶対性」(64ページ)→否定の実存のみがむきだしとなる。

・「われわれはこの社会の中に涯もなくはりめぐらされた関係の鎖の中で、それぞれの時、それぞれの事態のもとで、「こうするよりほかに仕方なかった」「面倒をみきれない」事情のゆえに、どれほど多くの人びとにとって、「許されざる者」であることか。われわれの存在の原罪性とは、なにかある超越的な神を前提とするものではなく、われわれがこの歴史的社会の中で、それぞれの生活の必要の中で、見すててきたものすべてのまなざしの現在性として、われわれの生きる社会の構造そのものに内在する地獄である。」(73ページ)

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