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2012年6月 6日 (水)

土井隆義『友だち地獄──「空気を読む」世代のサバイバル』

土井隆義『友だち地獄──「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書、2008年)

 子供たちの生きづらさの分析が本書のテーマであるが、そこを通して見えてくる現代日本社会論として重要なポイントをついた本だと思った。①現代の若者の問題点はコミュニケーション能力の未熟さではなく、むしろ過剰なほどの適応にある。それを裏返すと、自己肯定感の脆弱さが見出される。②また、社会的に公認された言説が力を失ったため、物事の判断基準が内発的な衝動や生理的な感覚へ求められる(社会的に公認された言説への反発ではない。反発なら、裏返すとそれだけの拘束力を感じているということだから。反発すれば対抗的な形で別の言説を自ら求めて、それを基準とした「自律」意識が芽生えるが、そうした自我とは別種の問題)。③新自由主義では本来、可能的な存在としての人間の主体的選択が前提とされる。ところが、近年の日本における新自由主義の浸透は、生得的な属性にウエイトを置く決定論的な人間観の広がりと密接に連動している。以上の論点に関心を持ったので、以下にメモ書き。

・現代の若者についてコミュニケーション能力の未熟さがよく指摘される→実際は逆で、むしろ過剰なほどに適応。「彼らは、複雑化した今日の人間関係をスムーズに営んでいくために、彼らなりのコミュニケーション能力を駆使して絶妙な対人距離をそこに作り出している。現代の若者たちは、互いに傷つく危険を避けるためにコミュニケーションへ没入しあい、その過同調にも似た相互協力によって、人間関係をいわば儀礼的に希薄な状態に保っているのである。」(47ページ)
・「自律したい私」から「承認されたい私」へ。
・「現代の若者たちは、自己肯定感が脆弱なために、身近な人間からつねに承認を得ることなくして、不安定な自己を支えきれないと感じている。しかし、「優しい関係」の下では、周囲の反応をわずかでも読みまちがってしまうと、その関係自体が容易に破綻の危機にさらされる。その結果、他者からの承認を失って、自己肯定感の基盤も揺らいでしまう。だから彼らは、この「優しい関係」の維持に躍起とならざるをえない。きわめて高度で繊細な気くばりが求められるこのような場の圧力が、彼らの感じる人間関係のキツさの源泉となっている。」(99~100ページ)
・コミュニケーションへの過剰な圧力。
・「善いこと」から「いい感じ」へ。判断基準の身体感覚化→「現代の若者たちは、自らのふるまいや態度に対して、言葉で根拠を与えることにさしたる意義を見出しにくくなっている。言葉以前の内発的な衝動や生理的な感覚こそが純粋な自分の根源であると感じ、言葉によって作り上げられた観念や信念に根ざすものとは考えにくくなっている。自らの身体的な感覚を重視し、心や感情の動きといったものも、それと同様のものとして捉える傾向を強めている」(115~116ページ)。「自分の意思でもコントロールできないような、内部からふつふつと湧き上がってくる抑えがたい感覚である」(116ページ)。「上から目線」でものを言うな、という反発。
・「「善いこと」の根拠は自分の内部にあるわけではなく、社会的に存在するものである。だから、社会と自己のあいだに葛藤も生じうるし、その葛藤をめぐって、反社会的な物語や非社会的な物語も成立してきた。しかし、「いい感じ」の基準は自分そのものである。結局は同義反復にすぎないから、葛藤の生まれる契機はそこにない。こうして、物語も脱社会的なものとなる。ベラーが説くように、「行為はそれ自身では正しいとも間違っているともいえない。ただ、行為のもたらした結果が、また行為が引き合いに出したあるいは表出した「いい感じ」が行為の善し悪しを決める」のである。」(118ページ)
・「言葉によって作り上げられた思想や信条が、時間をこえて安定的に持続しうるのに対して、自らの生理的な感覚や内発的な衝動は、いまのこの一瞬にしか成立しえず、まったく刹那的なものである。状況次第でいかようにも変化しうるものである。社会という土壌に根を下ろさない浮き草のようなものだから、風向き次第でどちらへも簡単に流され、一ヵ所に留まることがない。当然ながら、その直感に根拠づけられた純粋な自分は、一貫性を保ち続けることが難しくなる。その時々の気分に応じて、自分の根拠も揺れ動くからである。だから彼らは、その不安定さを少しでも解消し、不確かで脆弱な自己の基盤を補強するために、身近な人びとからの絶えざる承認を必要とするようになる。現代の若者たちに見られる人間関係への依存度の高さはここから生まれている。」(120~121ページ)
・「自分の純粋さを脱社会的に求める人間にとって、他者からの評価は絶対である」→ナルシシズム。それに対して、「かつての若者たちが人間関係の強い絆にからめとられているように見えながら、その一方で孤独にも強く、むしろ孤高にふるまうことすら可能だったのは、自分の判断に客観的な色彩を与えてくれる社会的な根拠を自己の内面に取り込んでいたからである。その根拠が、つねに一定方向を示しつづける羅針盤の役割を果たして、彼らの自律性を支えてくれていたからである。」「いわば一般的・抽象的な他者による承認を感じとることができていたので、具体的な他者からの承認を現在ほどには必要としなかったのである。」
・純粋な自己への憧れ→「むしろ理解不可能性を前提とした人間関係を築いていく必要性が高まっている。彼らは、じゅうぶんには分かりあえないかもしれないことを、じゅうぶんに分かりあっている。「優しい関係」とは、このようなアイロニカルな状況を乗り切るために、互いの対立の回避を最優先の課題として、彼らが身につけた人間関係のテクニックである。その意味において、この現代社会に適応するために編み出された工夫の産物である。」
・「本来のリバタリアニズムが決定論に否定的な立場をとっていたのに対して、我が国おける新自由主義の浸透は、生得的な属性にウエイトを置く決定論的な人間観の広がりと密接に連動している。」(230ページ)

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