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2012年6月 3日 (日)

【映画】「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」

「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」

 三島作品に思い入れはないし、若松映画もそんなに観ていない私としては、結局、自己陶酔したコスプレ集団の気恥ずかしさしか印象に残らなかった。そんな私は所詮、愛国心も情念も純粋さも失った悪しき近代人なんでしょうね。ニーチェ風に言えば「末人」か。

 この映画では、三島由紀夫と森田必勝の関係を軸に、楯の会結成から自衛隊市谷駐屯地立てこもり事件までの軌跡が描かれる。

 東大全共闘との討論会で「君たちの熱情は認める。ただ天皇の一言さえあれば私は君たちに合流した」という三島の有名な発言。よど号ハイジャック事件を見て「先を越された」。こうしたシーンの描写からは、純粋な情熱に根ざした直接行動主義への渇求という点で、左右両翼の政治的立場を超えたメンタリティーに注目する視点が見出される。ただし、これを裏返すと、「動機さえ純粋であれば何でもやり放題」の無責任主義に過ぎないのだが。詳細は、小島毅『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ)を参照のこと。

 左右両翼を問わず、利害打算を超えた純粋なパッションへの礼賛は若松監督の好みのようだ。それにしても、楯の会幹部が脱退のあいさつに三島のもとを訪れた際、「就職先が内定したんです…」「君はサラリーマンになるつもりか!」って、文字に起こすとあまりにベタな会話で笑ってしまった。もちろんこうした発想は、「軍人は公務員じゃない」と自衛隊員に向かってアジ演説をする論理にもつながっているのだが。

 一人ひとりの人間が機械的システムの歯車になりおおせてしまった時代、その中にあって人間はただその日その日を生き延びることだけに専念するよう迫られる。「やむにやまれぬ」というピュアな心性は抑圧されてしまい、自分がいまここに存在することの意義が確証できなくなってしまった近代社会の矛盾。三島が指弾した、自主防衛の意志を放棄した平和憲法や戦後民主主義は、自分自身の内発的なパッションを見失い、外から押し付けられた状況へ制度的に適応したニヒリスティックな欺瞞に過ぎない、ということになろう。三島が伝統やら天皇やらとアジり、まなこキラキラの森田が三島についていくという行動には普通に考えられる意味での合理性はないが、そうした飛躍した超論理に則った滅びの美学にこそ、人間に平準化を強いるシステムに対する叛逆としての実存的回復が意図されている。

 …小難しく言えばそんなあたりがテーマとして読み取れるとは思うのだが、それでもやっぱりアホにしか見えないな、私には。左翼でも右翼でもどうでもいいが、彼らの思い込みがどうしてこんなに独りよがりというか、独善的なのかはいつも気になってしまう。ところが、心情の純粋さ、ひたむきさを称揚する言説に組み込まれると、さも気高く美しいものであるかのように演出されていく。それを真に受けて感動するのか、或いははた迷惑だと感じるかは人それぞれだろう。私のようなひねくれ者には、単に滑稽なファルスとしか思えないわけだが。

 堕落した仲間や自衛隊員、自分たちの危機感を理解しようともしない大衆への絶望感を募らせて三島や森田らは暴走していく。しかし、自分たちの直観的なパッションを理解しないからと言って他者を拒絶・非難していく彼らの「思い込みの共同体」のあり方が私にはひっかかる。他者との共感可能性を最初から閉ざしてしまっている点で、島宇宙的に閉じこもったいまどきの若者が生理感覚に根ざした「むかつく」という感情を基に「キレル」のと(彼らも彼らなりにピュアである)、本質的なメンタリティーの構造には意外と大差ないのではあるまいか。たとえ天下国家のためとレトリックが凝らされてはいても、表面的な行動に相違はあるにしても。少なくともどのように違うのかが私にはいまいち分からないのだ。

 三島由紀夫役・井浦新のさわやかさには好感を持ったのだが、優しすぎる感じもする。ちなみに、旧名のARATAから本名の井浦新に変えたのは、映画のエンドクレジットに三島役で横文字が流れるのは申し訳ないからだそうな。からごころを排する国学を気取ってるんですか? こういう安直な発想も好きじゃない。是枝裕和映画、例えば「ワンダフル・ライフ」「ディスタンス」「空気人形」に出ていたときのARATAは結構好きだったんだがな。

【データ】
監督:若松孝二
2011年/119分
(2012年6月2日、テアトル新宿のレイトショーにて)

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コメント

(私にとって三島は気になる存在なのですが)この記事を拝読したら、もう本編は見なくていいのかも、と納得させられました。

ピュアとかパッションとかを媒介しないと世界を信じられない、というマインド、理解はできますが、世界は多面的で複雑なのにその実態を知らないという意味で、なんとも拙い。
また、作ってる側に対象との距離感がなくて視野が狭窄してるなら、見た側の思考も飛躍させられず、「作品」として成立していない。

井浦新はなんだか引っかかるところがあったのですが、アサンジに似ているのではないでしょうか。

投稿: akiko | 2012年6月 5日 (火) 06時17分

コメントいただきまして、ありがとうございます。私の書き方が批判的すぎたので「営業妨害」になってますね(笑) 

政治的立場の如何を問わず、ピュアな心性を賞賛する人は結構いるので、その気持ち悪さはよく見えてきたような気はします。それを作品として投げかけてきている点では、好き嫌いは別として、(私のように批判的ではあっても)建設的な観方をする余地はあるように思います。

井浦新の三島は優しそうな感じで、これ自体には私は好感を持っています。それが三島を表現しているかどうかは別ですが。

投稿: トゥルバドゥール | 2012年6月 5日 (火) 10時22分

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