【映画】「少年と自転車」
「少年と自転車」
孤児院に入れられた少年、シリル。父と一緒に住んでいた団地に押しかけるが、すでに引越し済みで部屋はもぬけの殻。大事にしていた自転車もない。連れ戻された孤児院で悲嘆にくれていたところ、訪問者が来たと告げられる。団地で孤児院の職員ともみ合って診療所に逃げ込んだときにたまたま居合わせた美容師のサマンサが、シリルの自転車を持ってきてくれたのだ。しかし、それは父が売り払ったものだった。シリルはサマンサに週末だけの里親になってくれるよう頼み、一緒に父に会いに行くが、「もう会いに来るな」と言われてしまう。サマンサはシリルを自分の手に引き受けていこうと徐々に心を決め始めるが、その矢先、彼は不良少年に誘われて事件に巻き込まれてしまった──。
ダルデンヌ兄弟の作品では、カンヌでパルムドールを受賞した「ある子供」(2003年)を観たことがある。だらしない生き方をして自分の子供まで売ってしまおうとした青年を演じていたジェレミー・レニエが今回も父親役で出演しており、「少年と自転車」は「ある子供」のその後という設定なのかもしれない。以前に「息子のまなざし」のプロモーションで来日した折のシンポジウムで聞いた孤児の話が本作「少年と自転車」のアイデアとなっているらしい。
自転車に乗っているとき、シリルの身のこなしは軽やかだ。自転車は彼の分身そのものであるが、金に困ったお父さんは他人に売り払ってしまった。それをわざわざ買い戻してくれたのがサマンサだった。大げさな言い方をすると、大人の思惑で翻弄されてばかりのシリルの人生を彼女が取り戻してくれたということになる。最初は気軽な気持ちだったのかもしれない。しかし、シリルの扱いをめぐって恋人とも別れてしまうほど本気になっていったのはなぜなのか、本人にすら分からないし、また分かる必要もないだろう。この子を自分の問題として引き受けることが自然だと彼女が感じた、その事実が重要であって、血縁関係があるかどうかは本質的な問題ではない。血縁というのもそうした密接な関係性の決意を促す要因のあくまでも一つに過ぎず、他人とも同様の関係が構築できるという筋立てにこの映画の希望があると言ってもいいのかもしれない。
シリルが傷害事件を起こしたとき、サマンサは彼を連れて出頭し、損害賠償を引き受けた。その子のすべてを引き受けるという「親」の決意は、それはまた別様にもあり得る。シリルが木から落ちて死んだ(ように見えた)とき、きっかけを作った息子のためにその親が証拠隠滅するシーンがあったが、これもまた同じような決意の表れでもある。良い悪いの問題ではない。
シリルとサマンサが二人でサイクリングするシーンが印象的だ。サマンサの乗る大人用の自転車の方が早い。取り替えてもらって乗ったシリルの走り方はぎこちないが、表情は晴れやかだ。この子の将来を、ダルデンヌ兄弟がもし描くとしたらどのようになるだろうか。
サマンサ役がセシル・ドゥ・フランスだったとはエンドクレジットを見るまで気づかなかった。すっかりおばさんになっていたので驚いた。「モンテーニュ通りのカフェ」(2006年)の無邪気なかわいらしさが好きだったのだが、あの時点でもすでに30歳前後だったな。
【データ】
原題:Le Gamin au Vélo
監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
2011年/87分/ベルギー、フランス、イタリア
(2012年4月29日、渋谷、BUNKAMURAル・シネマにて)
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