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2012年5月10日 (木)

台湾旅行⑤(5月6日、美濃)

(承前)

 5月6日、幸いなことに、この日も晴れだった。高雄からバスで1時間半ほど行った山間にある客家の村、美濃へ行く。

 美濃と書いて、中国語ではメイノン(mei3 nong2)と発音する。もともとは瀰濃と書かれたらしいが、その発音が「ミノ」という日本語的な語感に近かったため日本統治期に美濃と改名され、そのまま定着したのだという。高雄市と高雄県とが合併したのを受けて、現在は高雄市美濃区となっている。

 美濃は山間の平地が開拓された村で、近づいていくときには青々とした田んぼの中をバスに揺られながら横切ることになる。バナナや椰子の木が点在し、そばまで山並みが迫っている。のどかな雰囲気だ。美濃は米どころである。中心街の観光案内所(美濃國小の建物に附設)にあった物産品陳列コーナーには高級米も置かれていた。写真はとうもろこし越しに撮った田んぼと山。

 客家の居住地は山間部が多い。大陸からの漢族系渡来民として泉州系、漳州系、客家系それぞれが来た順番に条件の良いところへと定着し、一番遅かった客家系が条件の悪い山地へ追いやられたという説明を以前に何かで読んだことがあった。しかし、最近の研究では、泉州系は商人が多いので港の近く、漳州系は農業民なので平野部、客家系はもともと大陸でも山地に暮らしていたので同様の環境の場所を敢えて選んだと考えられているらしい(王御風《圖解台灣史》[好讀出版、2010年]を参照)。

 美濃の中心街付近を散歩するだけなら2時間もかからない。観光地図で老街となっている通りを歩いてみたが、普通の民家が並んでいるだけだった。写真のような廟堂を見かけたくらいか。これといった何かがあるわけではないけど、観光地ではないから当然だ。台湾の田舎町の雰囲気を肌で感じながら歩くにはちょうど良いのかもしれない。中心部から離れた所に美濃客家文物館や鐘理和紀念館などがあるが、そこまでは足を伸ばさなかった。レンタサイクル等の手段で行くことは可能のようだ。

 客家の人たちの住居は写真のような感じ。コの字型に房屋が配置され、中央の堂宇には「三省堂」「河西堂」などと扁額がかかっている。割合と構えは大きい。集合住宅の場合でも玄関先には必ず紅い聯句が貼ってあった。学問を奨める内容が多く、客家の人たちにはそういう気風が伝わっているのか。そう言えば、街道沿いに美濃へと入る辺りに敬字塔というのが建立されていた(写真写真)。

 中心街の観光案内所に寄ってから、永安路を東へと歩いていった。写真は日本統治期にかけられた橋(写真)。真ん中の石像は猿か? 商店街なのか住宅街なのか微妙な通りだ。藍衫をつくっているお店があった。店先の人形が着ている青い服が藍衫(写真)。客家の人々に独特な衣服で、特産品になっている。古い家屋(写真)、それから廃屋(写真)。東門楼(写真写真)まで行って、同じ道をまた戻った。

 中心街の方に戻ると、写真は粄條(ばんてぃあお)街と名づけられた通り。ちょうどお昼時だった。お店を眺めながらブラブラ歩いていたら、店先で料理をしているおばさんが愛想よく微笑みかけてくれたのと目が合ったので、そのお店に入ってみた。ガラス戸を開けると、冷房がきいている。粄條と空心菜、それから汁物があった方が良いかと思って魚丸湯を注文した。

 写真が粄條という客家料理。美濃の名物らしい。食感はうどんみたいで、何の違和感もなくツルツルと食べてしまった。米でできているらしいから、太いビーフンと言った方がいいのかな。トッピングは鶏肉ともやし、ニラ、干した小エビ。醤油風味のおつゆが軽くかかっている。さっぱりしていて食べやすかった。お会計の際、私の中国語が不自由だったのですぐ日本人と分かったのか、金額は日本語で教えてくれた。親切な応対が本当にありがたい。

 美濃は早めに切り上げ、次は高雄に戻るバスに乗って旗山へ向かう。写真はバスターミナル近くの街並。

(続)

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