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2012年4月 1日 (日)

【映画】「父の初七日」

「父の初七日」

 父危篤の知らせを受けて台北から故郷・彰化に駆けつけた阿梅。病院で父を看取ったのも束の間、父の死を実感する間もなく、そのまま葬式という慌しい行事に巻き込まれていった火葬までの七日間。

 葬式もの映画で比較すると、例えば韓国のイム・グォンテク監督「祝祭」のようにギスギスした騒動を通して人間観察するというタイプではなく、また伊丹十三監督「お葬式」のようなシニカルな毒気もない。葬式の厳粛さを茶化したコメディー・テイストでほんのり味付けをしつつ、基本は人情ドラマ。さり気ない仕草から微妙な感情的な機微がきちんと描きこまれている。道教や仏教の混淆した伝統的しきたりに田舎の人間関係も絡まった葬儀のプロセスが見えてくるのが興味深い。

 阿梅は台北を拠点に英語も駆使してバリバリ働くキャリア・ウーマンだが、故郷に戻り、勝手の分からぬ葬儀の渦中ではどうしたら良いのか分からず、采配をふるってくれる道士の指示に従うしかないというギャップが面白い。来客やトラブルで考える間もなく慌しい中、肝心の死者のことなど忘れがちになってしまうが、それでもふとしたきっかけで父の面影を想起する。例えば、父から誕生日プレゼントだと貰った肉ちまきを食べた橋の上。父とデュエットした夜市の露店。場所と結びついた父にまつわる思い出の数々──。

 葬儀には家族関係の諸々をつなぎとめてきた伝統的感性が凝縮されているはずだ。しかし、まさにその葬儀を一つのカルチャー・ギャップとして客観視しながら描き出す視点は、それがすでに自分の感性から半ば離れたものになっていることの表れでもある。この映画を観ながら、ある種のノスタルジーすら感じられてくるのは、単に村の風景の穏やかさだけではあるまい。知らぬ間に近代的都市生活に馴染んでしまった感性が、葬儀をきっかけとして伝統的習俗になつかしく邂逅するという側面も見逃せないだろう。父の面影はすなわち故郷の思い出なのである。

 葬儀を手伝うためにやはり台北から戻った従兄弟の大学生・小荘が、道士に憧れの眼差しを向けるのも話の伏線としてつながっている。道士は、実は彼の母の元カレである。そして、母は海外で仕事をしており、今回も故郷には戻ってこない。つまり、阿梅と同様な母の海外志向に対して、小荘は道士から色々なことを学ぼうとする。道士は詩人を自称しており、自ら書いた詩を小荘に披露した。標準中国語で格調高く読み上げる一方、台湾語を使って粗野とも言える言葉遣いながら本音を叫ぶ詩を謳い上げる。小荘も台湾語で復唱して言う、「リズムが良いね!」英語=海外志向or都市生活/標準中国語/台湾語=土着性、こうした台湾における重層的アイデンティティのあり方が垣間見られるシーンだ、と言ったら深読みに過ぎるだろうか。台湾語で「疲れた」は「父のために嘆く」と書く、というセリフもあった。

 蛇足ながら、夜市で阿梅が父と一緒に歌っていたのは中国語の歌詞だが、メロディーは日本の演歌の「なみだ酒」ではないか? 他にも私の知らない日本語の演歌が流れるシーンもあった。それから、お供え物としてポルノ雑誌を遺体の上に置いたとき、表紙に日本語があったのも見逃さなかった(笑)

【データ】
原題:父後七日
製作・監督:王育麟
原作・脚本・監督:劉梓潔
2009年/台湾/92分
(2012年3月30日、東京都写真美術館ホールにて)

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