スカルノについて何冊か
後藤乾一・山﨑功『スカルノ──インドネシア「建国の父」と日本』(吉川弘文館、2001年)はインドネシアの独立闘争を中心にスカルノの生涯が描かれている。日本が軍政を敷いていた時期に彼は対日協力を行ったという事情があるため、戦中・戦後を通じた日本人との関係にもページの多くが割かれている。独立に際して西欧型民主主義を目指したハッタ、オランダとの協調の中で独立を模索したシャフリルとは異なり、スカルノは「民主主義と軍国主義のどちらを選ぶかと尋ねられれば民主主義を選ぶ。しかしながら、もしオランダ民主主義を選ぶか日本軍国主義を選ぶかと問われれば、日本軍国主義を選ぶ」(68ページ)と語っていたほど日本の近代化やアジア主義に好意的であった。他方で、彼が独立闘争に向けてアジアの連帯を説くとき、日本は連携すべき「アジアの仲間」ではなく帝国主義の一員とみなしてもおり、こうしたジレンマは孫文の晩年における「大アジア主義」講演の「覇道か、王道か」という問題提起と相通ずるものだったのだろう。
なお、土屋健治『インドネシア──思想の系譜』(勁草書房、1994年)ではインドネシアにおける植民地の成立から独立に至るまでのナショナリズム思想をめぐる言説が検討されている。1920~30年代の独立闘争において、オランダ留学経験があり西欧型民主主義を目指すハッタやシャフリルと土着的な民族主義を目指すスカルノとの論争がまとめられている。また、スカルノはトルコのケマルによる政教分離に関心を示していたようだ。
白石隆『スカルノとスハルト──偉大なるインドネシアをめざして』(岩波書店、1997年)はインドネシア独立後の政治システムにおいてスカルノとスハルトが果たした役割を中心に叙述。スカルノの政治はロマンティックな理想主義による「革命の政治」であったと規定される。彼が掲げたナサコム(NAS=ナショナリズム、A=アガマ[宗教、主にイスラム]、KOM=コミュニズム)というスローガンは、ナショナリズム・イスラム・コミュニズムなど立場の相違があってもオランダ植民地支配からの独立・革命という目的に向かって一致団結しようという大義名分になっていた。しかし、独立後の体制が一応出来上がり、国内勢力の対立が顕在化してくると、今度は国軍と共産党とのバランスの中でスカルノが自らの権力を維持するためのシンボルとして機能した。また、西イリアン併合後は植民地主義という目に見える敵がいなくなり、外に敵を見出すためマレーシア対決政策が打ち出された。1965年9月30日事件をきっかけとしたクーデターでスカルノの影響力は失墜し、スハルトが全権を掌握。彼が国軍・内務省機構・ゴルカルの三本柱によって確立させたシステムは「安定の政治」「開発の政治」であったと規定される。
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