内海愛子・村井吉敬『シネアスト許泳の「昭和」──植民地下で映画づくりに奔走した一朝鮮人の軌跡』『赤道下の朝鮮人叛乱』
「大東亜共栄圏」という名目で日本が対外的侵略を活発にしていたあの時代、歴史のうねりに翻弄されるかのように異郷へたどり着き、複数の「人生」を生きた多くの人々がいた。内海愛子・村井吉敬『シネアスト許泳の「昭和」──植民地下で映画づくりに奔走した一朝鮮人の軌跡』(凱風社、1987年)が描き出すドクトル・フユンこと許泳もそうした一人である。
朝鮮半島に生まれた彼は日本へ渡り、日夏英太郎と名乗る(詩人の日夏耿之介にあこがれていたようだが、由来はよく分からない)。無声映画からトーキーへの移行期にあった映画界に飛び込み、実力勝負の業界で彼は脚本を書きながらチャンスを待つが、ある事件が運命を変えた。姫路城のロケで爆発事故を起こして起訴され、朝鮮人であることが公にされてしまったのである。映画製作現場には比較的リベラルな考え方を持っている人たちが多かったので映画への情熱さえあれば彼が朝鮮人だからと言ってそれほどの差別を受けることはなかったかもしれない。そもそも何人かは彼が朝鮮人であることに気づいていたが、彼が隠し通そうとしている気配を感じて何も言わなかったという。いずれにせよ、そうした差別される側にあった者の心情的な機微については軽々なことは言えない。
1941年、彼は京城(ソウル)へ行く。「内鮮一体」が叫ばれる時代状況の中、映画作りのチャンスをつかもうと朝鮮総督府や朝鮮軍司令部に働きかけ、国策映画「君と僕」の製作に漕ぎ着けた。李香蘭をはじめ有名映画人を動員した大掛かりな作品であったが、まだ無名の許泳では製作過程のコントロールが難しく、また国策映画である以上、興行的にも評判は良くなかったらしい。だが、政府や軍の意向に沿う大作映画を作ったという実績は残った。時あたかも太平洋戦争が始まり、1942年3月には日本軍がジャワに上陸するというあわただしい政治情勢に突入しつつあった。彼は次なる映画づくりのチャンスを求めて軍の宣伝班所属としてインドネシアへ赴き、軍の謀略映画「豪州への呼び声」を製作する。
1945年8月、日本の敗戦。インドネシアは独立への気運に沸き立ち、許泳自身の祖国もまた独立が決まった。彼は在ジャワ朝鮮人民会の結成に向けて日本軍側と交渉し、政治犯として捕まっていた高麗独立青年党の8人の釈放にも尽力した。ようやく朝鮮人として堂々と生きていけるはずだった。しかし、彼は国策映画を積極的に作ってきた「対日協力者」という負い目があるし、日本語に比べて朝鮮語があまり上手ではなかったらしく、結局、1945年12月頃には朝鮮人民会を離脱、インドネシアで生きていく決意を固めた。その後は映画や演劇の仕事を通してインドネシア独立戦争に参加することになる。1952年9月9日、ドクトル・フユンとしてジャカルタで死去。44年の短い生涯であった。
インドネシア独立戦争に身を投じた日本人のことは比較的よく知られている。「アジア解放」という大義に殉じた者もいれば、戦中の残虐行為への負い目から戦犯裁判にかけられるのを恐れた者もいたり、思惑は様々であった。ところで、日本軍としてインドネシアへ上陸したのは日本人ばかりではない。俘虜収容所監視要員として植民地支配下にあった朝鮮半島や台湾からも軍属が連れて来られていた。日本人と現地人や捕虜との間に立った彼らの立場は複雑で、それぞれに理不尽な運命に引きずり回されることになった。
このあたりについては、内海愛子・村井吉敬『赤道下の朝鮮人叛乱』(勁草書房、1980年)が戦争末期、日本軍政下ジャワで独立を求めた朝鮮人軍属たちの足跡を掘り起こす調査として労作である。朝鮮独立を目指した青年たちはひそかに高麗独立青年党を結成、1945年1月には叛乱を起こして失敗、自決するという事件も起きている。他方で、捕虜虐待の容疑をかけれらて戦犯裁判で処刑された人もいた。
本書では梁七星(日本名:梁川七星、インドネシア名:コマルディン)という人物の名前を聞いたことが調査のきっかけになっている。彼はオランダ軍再上陸に抵抗するインドネシアの人々のゲリラ戦に身を投じた一人で、戦死した後、独立英雄として丁重に埋葬された。ただし、それは「元日本兵」としてであった。彼が朝鮮人であったことをインドネシア側は知らなかった。こうした形で行方の分からなくなった朝鮮人や台湾人が他にもいたであろうことは想像に難くない。
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