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2012年4月18日 (水)

和泉司『日本統治期台湾と帝国の〈文壇〉──〈文学懸賞〉がつくる〈日本語文学〉』

和泉司『日本統治期台湾と帝国の〈文壇〉──〈文学懸賞〉がつくる〈日本語文学〉』(ひつじ書房、2012年)

 現代の我々にはなかなか実感のわかないことではあるが、1945年以前の日本は複数の民族を抱えた多元的な〈帝国〉として成り立っていた。しかし、民族的分布として多元的ではあっても、公的使用言語が国語=日本語にほぼ限定されていたことは、植民地化された地域の人々に多大な負担を強いる結果を当然ながらもたらしていた。そして、東京を軸として〈中央文壇〉が確立された状況下、植民地化された地域で文学を志す者たちは地域的文壇サークルに集いつつも、そこから中央をはるかに望めるだけで、乗りこえるべき壁は極めて高い。

 文学は自己表現の手段でもあり、あけすけに言えば作家として認められたいという欲求と表裏一体である。どうすれば〈中央文壇〉に打って出られるか? 一つの経路として注目されたのが〈文学懸賞〉である。しかし、〈文学懸賞〉には主催する側(つまり、出版社や選考委員となる既存文壇の作家たち)の思惑によって恣意的な選別が行われる側面もあった。さらに戦時統制が厳しくなると、総督府が推奨する〈皇民文学〉なるスローガンには逆らえないという難しい局面も現われてくる。本書は〈台湾文壇〉をテーマとして、そうした帝国の〈文壇〉が帯びた重層的構造の中で翻弄された作家たちの姿を描き出している。

 私は二つの点に関心を持った。第一に、『文藝台湾』と『台湾文学』の評価をめぐって。『文藝台湾』は実質的な主宰者であった西川満の個人雑誌のような色彩が強く、西川に反発した張文環たちが『台湾文学』を立ち上げた。当時、『台湾文学』側に立っていた黄得時「台湾文壇建設論」によって、『文藝台湾』:エキゾチシズム、〈中央文壇〉志向/『台湾文学』:リアリズム、〈台湾文壇〉志向という対比が定式化された。しかしながら、実際には『台湾文学』派の人々は西川のエキゾチシズムは批判しても〈中央文壇〉志向にはほとんど触れていなかったこと、西川自身も台湾に根ざした作家という自覚を持っていたことを考え合わせると、必ずしも正確な規定とは言えない。黄得時の発言には党派性が濃厚だが、他方で彼の評論によって二誌競合の緊張感が生まれ、台湾文壇が活性化したことは評価される。だが、戦後/光復後の国民党統治期に入り、彼は台湾大学教授というポストにあって『台湾文学』の正統性を守るため当時から〈抗日意識〉があったとろ理論的な整形を行い、その見解が定着していった。こうしたあたりは注意深く再考されなければならないという指摘は、私自身、黄得時史観(?)をそのまま鵜呑みにしていたので教えられた。

 第二に、当時における〈皇民文学〉というスローガンは実際には空転しており、文学的にはあまり機能していなかったのではないかという指摘が興味深い。総督府からの政治的要請により台湾の作家たちは〈皇民文学〉に動員された。政治体制から逃れる術はない以上、やむを得ない。しかし、〈皇民文学〉なるものも実に曖昧な概念で、結局のところ「他人から「〈皇民文学〉ではない」と言われないテクストのことだ」(360ページ)と指摘される。しばしば周金波「志願兵」という作品が〈皇民文学〉の代表例として取り上げられ、それゆえに彼は対日協力者として指弾されることになった。ところが、彼のテクストを注意深く読んでみると、実は彼にとってあまり馴染みある題材ではなかったと指摘される。周金波は新人作家だったので、要請されたテーマで書くしかなかったのだ。

 作品を書いて発表しなければ作家としての名声は確保されず、新人であればなおのことそうした重圧からは逃れがたかったはずだ。その点、うまく立ち回った作家がいた。龍瑛宗──本書のテーマの背骨をなすキーパーソンだ。彼は「傾向と対策」に沿って作品を書き分けることができた。彼の作品「パパイヤのある街」は『改造』懸賞創作に佳作推薦という形で通り、従って〈中央文壇〉に知名度を上げることができた。ただし、背景として、その以前に朝鮮半島出身の作家・張赫宙の作品が文学懸賞に入選したとき物珍しさから興行的に受けて、同様の作家を台湾から見つけ出そうという意図が『改造』編集サイドにあった。だからこそ、〈中央文壇〉の望む形で台湾を描くという龍瑛宗「傾向と対策」は当ったのである(なお、楊逵「新聞配達夫」についても、プロレタリア文学という流行に受けたという側面は否定できない)。こうした龍瑛宗のスタイルは、『文藝台湾』から『台湾文学』へ移動したときのテクスト上の転換、あるいは、戦後/光復後において多くの〈日本語作家〉たちが筆を折る中、中国語による創作活動を彼は旺盛に行っていたあたりにも見受けられる。ここには、何が何でも作家としての名声を維持していきたいという強い意志を認めることができる。

 作家として自己実現をめざす欲求は俗っぽいかもしれないが、作家として生きていこうとする一つの動機であり、それはまた強烈な個性でもある。しかしながら、そうした個性をそのままに見つめていくのが難しい状況があった。日本統治期の皇民意識、それへの批判として国民党の中華意識、さらにそれへの批判として台湾意識──台湾はわずか100年の間にもたびたび統治者が代わるという経験をしており、そのたびに文学に関してもスタンダードな解釈基準から逃れられないという困難を抱え込まざるを得なかった。政治意識という枠組みからいかに自由なテクストの読み方を確保するか、それが一つの課題になっていると言えるだろう。その点で、作家自身の名声を求める欲求に注目することで、まとわりついてくる拘束的枠組みの解体を図り、テクストそのものの読みを開かれたものにしようとする本書の試みは、〈台湾文壇〉に限らずもっと応用できる視点なのかもしれない。

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