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2012年3月27日 (火)

ドミートリー・トレーニン『ロシア新戦略──ユーラシアの大変動を読み解く』

ドミートリー・トレーニン(河東哲夫・湯浅剛・小泉悠訳)『ロシア新戦略──ユーラシアの大変動を読み解く』(作品社、2012年)

 ソ連解体から10年ほど経った頃、上海の空港に着いた著者がその時もまだ持っていたソ連時代のパスポートを提示したところ、航空会社の女性職員が戸惑っていたという冒頭のエピソードが示唆的だ。彼女の上司が出てきて曰く「失礼しました。この頃の若い女性はソ連のことを知らないのですよ」──ソ連は遠くなりにけり、といったところだろうか。著者は別にノスタルジーを語りたいわけではない。むしろ本書で示される著者の最終的な見解は、ソ連解体後の状況が既定事実となっている中、この現実を認めるところからロシアは今後の歩みを始めなければならないという点にある。

 著者はカーネギー国際平和財団モスクワ・センター所長として欧米にもよく知られた国際政治学者である。トレーニンの単著の邦訳は本書が最初であろうか。旧ソ連諸国をめぐる現在の地政学的環境の中、ポスト帝国時代のロシアが直面している問題群について安全保障、エネルギー、人口動態と移民、イデオロギーなどのテーマに沿って網羅的に整理する構成となっている。内容の詳細をここで逐一紹介することはできないが、現在におけるロシアの政治外交について概説的な知識を得るには有益な書物である。

 ソ連解体は各民族が独立闘争の末に独立していったのではなく、モスクワの政権内部の決定で進められた点で、比較的に平和な過程をたどったと指摘される。ソ連解体後、ロシアとある程度でも同質性があり得るのはウクライナとベラルーシくらいのもので、それ以外の国々が独立した状態は既定事実となった。中央アジアやコーカサスを舞台に米ロがパワー・ゲームを展開しているという捉え方は間違っていると著者は言う。米ロばかりでなく中国、日本、インド、イラン、トルコなどの地域大国やEUが影響力を及ぼす中で、中央アジア諸国家も自らの意思を持った多角的な戦略行動を取り得るため、どこか一方の勢力に依存しようとは考えていない。そもそもロシア自身の国際政治経済における比重は低下し、ソ連時代とは異なって複数の極の一つに過ぎない。旧ソ連の空間は世界に開かれており、ロシアにはすでに経済的支配力はない。

 それでもロシアが敢えて周辺国を自らの勢力圏内に引き寄せていくには経済的恩恵でつなぎとめるしかないが、現在のロシアにはそのための財政的余裕も意思もない。それにもかかわらず、再び統合を求める言説も表れてはきたが、逆に自国中心の勢力圏の確立によってロシア自身の利益を引き出そうという意図を露にする結果となっている。その点では、かつてのソ連体制がイデオロギー的な理由から勢力圏=帝国を維持するために非効率でも衛星国への援助を行ってきたのとは異なり、現在のプーチン政権は自らの国力的な優位を利用するプラグマティックな大国主義に変化しているという。プラグマティックというのは、つまり名(イデオロギー的な大義名分)よりも実(国益志向がいっそう露骨になった)を取るということだろうが、同時にそれは、国益を効果的に増進させるため、利害関係が複雑に錯綜する中、個々のケースに合わせてデリケートな政策を組み合わせていかねばならないということでもある。そのような繊細なタクティクスはロシアには苦手だから、面倒くさくなって力で恫喝するのだろうか?

 いずれにせよ、現実的な条件にはそぐわないにもかかわらず、ロシアの指導層における自己認識においてはかつてのソ連帝国時代へのノスタルジーから地域大国レベルでは満足できず、あくまでもグローバル・プレイヤーを自任する傾向がある。「帝国は時として強制的な行為をとらざるを得ない局面に立ち、特別な使命という名のもとに、ある種の公共財を作り出す。大国はいずこも、粗野であるのと同じように抑圧的であり、本質的に利己的な生き物である。」(348ページ)

 もはや帝国ではないが、国民国家未満の状態にあり、近代化の遅れも目立つロシア。本当に必要なのは、過去の栄光の復活を求めるのではなく、現在の条件を見据えながら変革していくための新しい世界観を打ち出すことであるとして、国内体制の近代化や周辺諸国との協調を促すリベラルな提言で最後はしめくくられる。

 本書でとりわけ特徴的なのは、ロシアはユーラシア国家というよりも、ヨーロッパ・太平洋国家であるという見取り図の提起だろう。「ロシアの最重要地点、二一世紀のフロンティアは東方にある。そこには、目前にある太平洋の隣国たち、すなわち中国、日本、韓国に追いつくための必要と機会の双方をロシアは持っている。北京、東京、ソウルはこぞって太平洋を見据えている。地球規模で進む太平洋へのパワーシフトは、ロシア対外政策における新たな注目点を必然的に生み出しているのである。もしもピョートル大帝がいま生きていたとしたら、彼は再びモスクワから遷都するだろう──ただし、今回はバルト海ではなく日本海に向けて」(395ページ)。

 なお、ここに引用したフレーズは著者の決め台詞なのだろうか、以前に読んだ“Russia Reborn”(Foreign Affairs, vol.88 no.6,Nov/Dec 2009)という論文で見かけたのをよく覚えている(→こちらで取り上げた)。また、Dmitri V. Trenin, Getting Russia Right(Carnegie Endowment for International Peace, 2007)では、ロシアは地理的・文化的アイデンティティとしてヨーロッパにはなれないが、近代化・民主化は可能であるとして、それを「新しい西洋」(the New West)と呼んでいた(→こちらで取り上げた)。

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