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2012年3月11日 (日)

村田奈々子『物語 近現代ギリシャの歴史──独立戦争からユーロ危機まで』

村田奈々子『物語 近現代ギリシャの歴史──独立戦争からユーロ危機まで』(中公新書、2012年)

 現在の我々が「国家」や「民族」として自明視しがちなものは近代の産物であるということはもはや常識に属するだろうが、その形成過程には地域ごとに複雑な力学が絡まりあっており、一般論として語ることはなかなか難しい。本書はギリシャを中心軸に叙述されたリーダブルな近現代ヨーロッパ史であると同時に、前近代的社会の中で近代的な「国民国家」が形成されていく過程の具体的な有り様を描き出している。ギリシャ近現代史というと昨今話題のユーロ危機への関心から手に取る人もいるだろうが、むしろ歴史的観点によるナショナリズム論として良書だと思う。

 本書によると、ギリシャ人意識は18世紀後半以降の政治、社会、文化の大きなうねりの中で生み出されたものだという。かつてビザンツ帝国においては「ヘレネス」(ギリシャ人)ではなく、「ロミイ」(ローマ人)という意識が持たれていた。すなわち政治社会における皇帝とキリスト教世界の教皇とが一体化した体制の中でのローマ帝国臣民かつ正教キリスト教徒という意識が中心であり、古代ギリシャ世界のことは知りつつもそこには距離を感じていた。こうした意識はオスマン帝国のミッレトによる宗教的コミュニティーの分立が許容された体制において維持された。つまり、ギリシャ人のアイデンティティはキリスト教徒としての宗教意識に基盤を置くものであった。

 18世紀以降、オスマン帝国とロシア帝国との抗争が激しくなるにつれてギリシャ人たちも自分たちの新たな運命を切り開く可能性に思いをはせるようになったが、それは民族的独立という近代的な性格を帯びたものではなく、むしろ正教キリスト教世界の復活への願望であった。彼らが「古代ギリシャ」を見出したのは啓蒙思想がきっかけだったという。オスマン帝国支配を肯定してきた正教会組織(これはビザンツ帝国に由来する)の後進性への批判がビザンツ時代軽視につながり、それに替わるものとして古代ギリシャ世界との絆が新たなアイデンティティの中核となった。

 そうした中で歴史学者のパパリゴプロスが著した『ギリシャ民族の歴史』は、古代ギリシャ─中世ビザンツ帝国─近代ギリシャという万古不易のギリシャ民族という国民の物語を生み出していく。ただし、それがただちに国民国家の誕生につながったわけではない。19世紀初頭のギリシャ独立戦争は①キリスト教対イスラーム教の宗教戦争、②列強諸国の復古体制としてのウィーン体制への不満という側面が強く、また、オスマン帝国の体制で既得権益を享受していたギリシャ人エリート層もいて、ギリシャ人内部も決してまとまっていたわけではなかった。ヨーロッパ列強の駆け引きの中で偶然的にギリシャは独立を果たしたに過ぎず、「ギリシャ国民」なるものの創造はむしろ国家建設後の課題となった。

 地続きの大地に様々な人々が広がって暮らしている中、宗教、言語、国境が完全に一致するなどということはあり得ない。ギリシャという国民国家の誕生にあたり、当然ながらまず言語をめぐるアイデンティティの相克が問題となった。

 例えば、コイネーで記された福音書の口語ギリシャ語への翻訳はギリシャ国内で大騒動となったという。古代語が読めないという事実の認識は、言い換えると古代から近代まで一貫して継続してきたギリシャ民族の一体性という「神話」のタブーに触れてしまうからだ。当時のギリシャの言語状況はダイグロシアと言われ、文章語として用いられる古代ギリシャ語を基本とするカサレヴサと都市部の口語を基にした民衆語ディモティキの並存を指す。カサレヴサはエリートの社会的地位保持の根拠となっていたが、これによって古代との一体性を重視するか、民衆的基盤を重視するか、いずれにせよギリシャ・ナショナリズムの二つの側面が表れていた。

 歴史意識に基づく言語問題以上に、国境をめぐる言語的同化も深刻な問題となる。国境を画定する上では当然ながら周辺との係争地域で軋轢が生じることになるが、例えばマケドニアの住民にとって民族的アイデンティティは外来の概念に過ぎなかった。ギリシャ人、セルビア人、ブルガリア人といった母語に基づくエスニックな自覚よりも正教徒としてのアイデンティティの方がもともとは普通であった。ところが、ギリシャ王国の民族主義者たちは彼らにギリシャ人意識を植え付けるための言語教育に着手、こうしたプロパガンダに対抗するためブルガリア王国でも同様のことが実施された。

 また、「メガリ・イデア」(大きな理想)による領土拡張を動機として第一次世界大戦にあたりギリシャ軍はスミルナを占領したが、こうした動向はトルコ人のギリシャ人への敵対感情を生み出し、さらにはトルコ共和国を生み出すことになるトルコ側のナショナリズムの原動力として作用することにもなった(なお、ギリシャ・トルコ双方の領土確定の際に強制的住民交換協定が結ばれたが、民族籍は宗教を基準に決められ、ギリシャ王国側に移住せざるを得なくなった人々の中にはトルコ語話者の正教徒も含まれていた)。いずれにせよ、一方のナショナリズム意識が、近隣においてもう一方のナショナリズムを触発していく連鎖関係がうかがえる。

 民族的アイデンティティをめぐる複雑な問題の絡まり方は、他にも第6章で説明されるポンドス(黒海沿岸)のギリシャ人とソ連との関係やキプロス問題でもうかがえ、問題の根の深さを感じさせる。キプロスはギリシャ・トルコの対立がNATOの結束を崩しかねない懸念から妥協の産物として独立を果たしたが、ギリシャ系住民の代表として大統領に就任したマカリオス大主教は共和国の独立維持を優先課題としたため、ギリシャの軍事政権から暗殺されそうにもなったらしい。

 第一次世界大戦後、ヨーロッパ列強の支持が得られなくなった状況下、領土の現状維持を図るしかなくなったヴェニゼロス(後述)は周辺諸国との協調関係を模索、これに呼応したのがトルコのムスタファ・ケマルだったというのが興味深い(ヴェニゼロスはケマルをノーベル平和賞の候補に推薦までしたそうだ)。トルコもまた内政に専念するため対外的安定を意図していたからだが、裏を返せば両国とも確定した領域内部での国民的均質化の段階に入ったと考えることもできるだろうか。ただし、このヴェニゼロスの方針は同時にトルコ領域内から移住してきた難民から帰郷の希望を奪うことでもあり、ヴェニゼロスは彼らの支持を失うことになる。なお、オスマン帝国の時代から繁栄していた大都市テッサロニキ(サロニカ)はギリシャ編入後はアテネに次ぐ第二の都市となった。しかし、ここはもともとユダヤ人が多数派を占めており、反ユダヤ主義的だったヴェニゼロスは「ギリシャ化」するためギリシャ人難民をここに集中的に住まわせる政策をとった。(※この都市をめぐる歴史については、Mark Mazower, Salonica, City of Ghosts: Christians, Muslims and Jews 1430-1950で描かれている。手元にあるのだが、まだ通読しておらず、邦訳を刊行してくれる版元があったら嬉しい)

 独立当初から分裂抗争を繰り返してきたギリシャにおいては軍事クーデターも頻発した(こうした中、日露戦争に刺激されて改革を志したディミトリオス・グナリスなど7人の政治家が「日本人党」と呼ばれたのが興味深い)。そこでカリスマ的な指導者として頭角を示したのが、クレタ蜂起の活躍で名声の轟いたヴェニゼロスであった。彼は一連の近代化政策で大きな実績をあげたが、第一次世界大戦にあたり中立の態度を取ろうとした国王に対し彼は連合国側に立っての参戦を主張、結果としてヴェニゼロスの判断が正しかったにせよ、国王支持派との対立は再び国内を分裂させることになってしまった(ヴェニゼロスは1936年に亡命先のパリで死去)。

 国内の分裂抗争はギリシャ政治の習い性になってしまったものか、第二次世界大戦後になると今度は左翼・共産主義勢力との内戦が激化、共産主義者はギリシャ民族とは異質な存在と位置づけられて次々と殺害されていく。ところが、軍事政権の強硬姿勢に耐え切れなくなった国王コンスタンディノス2世はローマに亡命。パパドプロスは王制を廃止して自ら大統領に就任、強圧的かつ時代錯誤な政策を断行した。反体制運動が盛り上がる中、これまで対立してきた左右両翼の政治家や知識人たちはようやく結束、1974年の民主化へとつながっていく。これ以降、カラマンリスが結成した新民主主義党(ND)とアンドレアス・パパンドレウ(最近辞任したパパンドレウ首相の父親)率いる全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が交互に政権交代を行う政党政治が確立する。

 しかしながら、PASOKは特権なき者への政治をスローガンにしつつも、実際には借金に依存したバラマキであった。対抗勢力たるNDもこれに追随してチェック機能を果たすことができず、財政は悪化する一方、結果として現在のユーロ危機につながっていく。

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