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2012年2月12日 (日)

丸山松幸『五四運動──中国革命の黎明』、野村浩一『近代中国の思想世界──『新青年』の群像』

丸山松幸『五四運動──中国革命の黎明』(紀伊国屋書店、1981年)

 西欧的啓蒙思想による中国社会変革への渇仰が、日本の21か条要求やヴェルサイユ会議での屈辱を経て民衆運動、社会主義への関心へと変化していく過程がたどられる。本書の初版が執筆された1969年の時点では同時代として熱かった学生運動や文化大革命と問題意識が重ねあわされている。伝統重視派やリベラル派との論争の経緯が知りたいというのが私自身の関心だが、当然ながら本書では悪役となっている。
・尊孔問題→人間解放を実現するか否かの集中的な対立点。
・二十一ヶ条反対の民衆運動→袁世凱政権の専制権力に許容された合法の枠内にとどめられることによって、そのエネルギーを権力側に吸収される結果となったが、政権側の意図にかかわらず、広範な国民の民族的自覚に火をつけた。
・帝政復活論:士大夫階層の没落→科挙の廃止によって唯一の存在理由たる儒学的教養が無意味、新しい支配体制にも順応できず、資本主義経済の浸透により中小地主としての生活基盤も崩されつつある→袁世凱の皇帝への道を清める点だけに許容されたにすぎない。
・陳独秀の「自覚」は、理想とする「西欧近代」の立場から、いわば外から、「暗黒の中国」を拒絶するものであったが、李大釗のそれは、自己の内部から「中国の暗黒」との戦いを要求するものであった。(p.99)
・『新青年』の論調:個人の独立、個性の解放、自我の確立。独立した個人は、みずからの理性の判断に従って中国を再造する。国家は、個人の自由と幸福を守るものにしなければならぬ。道徳は、個性を解放し、相互の人格を尊重するものでなければならぬ。思想は、迷信から解放され、科学的真理に従うものでなければならぬ。ひとくちに言えば、西欧近代をモデルとした新文明の創造が、個人の独立、個性の解放にかけられたのである。(104ページ)→儒教批判。家族制度の問題。婦人解放。
・1917年1月、北京大学総長に就任した蔡元培は『新青年』を一読して陳独秀を文科学長に招聘、『新青年』で改革を主張していた論客たちが北京大学に集まり、新文化運動の中心となる。
・胡適が白話運動を提唱、陳独秀の「文学革命論」→具体化されたのが魯迅「狂人日記」。
・第一次世界大戦、ロシア革命→李大釗は「民主」を実現する力はまさにプロレタリアートを中心とする民衆運動にあると考えた。しかし、彼の民衆至上主義にはアナーキズムの色彩が濃厚。
・1919年5月4日、五四運動のきっかけとなった曹汝霖宅への襲撃事件。
・五四運動を通じて、学生たちはまず民衆の一人であらねばならないと考えた→「工読互助運動」。全国各地で青年たちが結社、小雑誌を創刊、それらは社会主義思想が多くなった。ヴェルサイユ会議の欺瞞性は西欧的民主主義への幻滅→反帝国主義、民族解放の理論としての関心。ただし、様々な思潮が入り混じっていた。
・胡適と李大釗の間で「問題と主義」論争(1919年7、8月):胡適は主義の主張ではなく個々の具体的問題の解決から始めなければならないと主張。李大釗は民衆運動との結合を通した根本的変革を主張。社会問題の解決法の研究か、解決のための運動かという対立点。

野村浩一『近代中国の思想世界──『新青年』の群像』(岩波書店、1990年)

・陳独秀が、近代西洋文明の中に中国の進むべき範型を見出したこと、同時にまた、それに基づく恐るべく明快な二分法をもって、伝統的旧文明を批判、攻撃したこと→『新青年』の出発の固有の意味。単純な西洋賛美者ではあり得なかった(p.32)
・隠遁→「高潔の士の俗世離脱の行為」という「脱政治」的態度への批判。士大夫‐官人的な政治のあり方への批判。烈士の行動主義ではなく、持続的な愛国主義への要求。
・康有為が提唱した「孔子教」は古い伝統的規範の遵守というわけではなかった。むしろ彼独自の解釈を施した上で、彼の目に映った「風俗頽廃」の現象を防ぎ、国民の精神的紐帯を築き上げようという意図があったが、そうした換骨奪胎をするには、儒教にはあまりにも深い歴史的刻印が刻まれていた。その歴史的弱点を陳独秀は批判。
・リベラリズム→信教の自由という立場からの批判は、蔡元培。
・呉虞は専制主義批判の地点から儒教と対決、家族制度を批判。
・しかし、家族・宗族共同体の問題は、この国における一つの文明世界の解体と再生、再編の過程で重すぎる問題。
・李大釗「青春」→宇宙が「無始無終の自然的存在」という前提から「道徳は、宇宙現象の一つであり、したがってその発生と進化もまた、必ず自然進化の社会に対応する」。
・胡適→文明の方法的摂取。
・『新青年』を取り巻く二つの側面:中国民衆の日常世界、1910年代という国際環境→第一次世界大戦、ロシア革命の衝撃。
・李大釗:東西両洋の文明それぞれの長短。物質生活に過ぎた西洋文明が、東洋の精神生活を吸収する必要、他方で中国自身も「静」を主とする文明が瀕死の状態→「動の精神」「進歩の精神」を取り入れ、まさしく「復活」によって「世界文明に第二次の貢献」をなすべき。「現在の時点に立っていえば、東洋文明はすでに静止の中に衰頽し、西洋文明もまた物質の下に疲命している。世界の危機を救うためには、第三の新文明の崛起がなければ到底この危崖を渡ることはできない。」「ロシアの文明は、まことに東西を媒介するの任に当るに足り、また東西文明の真正の調和は、二種の文明の本身の覚醒のない限り、ついに功を奏することは不可能である。」(p.187)→東西文明論を背景にしてロシアへの期待。「歴史とは、普遍的な心理の表現の記録である。…」という発想(p.191)
・李大釗→革命、再生への熱情、沸き立つようなイメージ、「煉獄」を通じての「新しい世界」への期待。
・李大釗:「都市には罪悪がきわめて多く、郷村(むら)には幸福が甚だ多い。都市の生活には暗黒面が多く、郷村の生活には光明面が多い。都市での生活はほとんど幽霊の生活であり、郷村での生活はすべて人間の生活である。都市の空気は汚濁にみち、農村の空気は清潔である。」「青年たちよ!速やかに農村に行き給え!…」(p.197~198)、ナロードニキを参照。
・デューイ「アメリカにおける民治の発展」という講演が行われたのは五四運動が最高潮に達した6月8日。
・五四運動を通して『新青年』同人が直面した課題→大衆運動、教育‐啓蒙、強力ないし権力への抵抗→胡適と李大釗の間で「問題と主義」論争。胡適にとって、文明は漠然と創り上げられるものではなかった。それは、何よりも「批判的態度」を基礎に、「一歩一歩(一点一滴)」生み出されていくべきものであった。「進化は一夜のうちにぼんやりと進化する」ものではなかった。解放も改造も漠然としたものではなく、具体的なものからの解放であり、改造である(p.238)。胡適の場合、問題の設定─学理の輸入─国故の整理(旧来の学術の批判的検討)─文明の再造、というプロセス→アクチュアルな問題から一歩引いた立場。
・陳独秀はデューイ「アメリカにおける民治主義の基礎」に強く触発されながら、中国での民治実行の出発点を一村、一鎮における「自治」、また一地方、一業種の「同業聯合」に求めていた。極度の専制政府のもと、この大地に拡がる「放任」された民衆の間の無数の伝統的自治団体の存在によって裏づけ→アメリカにおける等価物の安易な模索かもしれないが、中国の伝統に対する、彼の初めての接近(p.252)。
・『新青年』7巻2号に陳独秀は「自殺論」→北京大学の一学生が厭世自殺をしたことを取り上げ、最近代思潮という時代思想把握。
・陳独秀:「中国は工業の急速な発達を求めてはいるが、しかし同時に、必ずや重要な工業は社会的であって私人的なものではないようにしなければならない。こうしてこそ、中国の改革は、西洋工業主義の長所を採り入れるとともに、彼らにおけるが如き資本主義によって造成された短所を免れることができるのである」(p.262)。
・陳独秀は1910年代「新文化運動」のを率いてきた一方、中国の現実に対する混沌たる模索の中で中国の伝統的自治団体に注目、さらに転身して1921年7月には共産党の初代書記。
・『新青年』で行われた社会調査。
・周作人が『新青年』誌上で武者小路実篤らの「新しき村」を紹介。家族、宗族の相互依存・相互依頼の泥沼から抜け出したい、「労働」「互助」を基軸とする「新生活」への期待→学生たちが、働きかつ学ぶ、という新しい生活形態を目指す→工讀互助団。
・陳独秀がマルクス・レーニン主義に転身した際、アナキズムへの批判→中国式の無政府主義なるものは老荘主義の復活と認定、虚無的個人主義、自然放任主義として批判(p.309~312)。
・李大釗は「解放」の大波としてボルシェヴィズムを受容したのに対して、陳独秀はマルクス・レーニン主義の理論の次元をめぐって旋回、そして「強権」という地点へ収斂。「開明専制」「労働専制」が必要という認識へ→陳独秀における1910年代の思想世界の構造的終焉。
・共産党機関誌として再出発した『新青年』→瞿秋白をはじめとした若手の共産党参加、これまでの議論とは異なって理論的に極めて洗練されている。しかし、それは新鮮ではあっても、思想的な葛藤を経た矛盾に満ちたエネルギーはない。

※例えば西欧文明全面摂取を批判、儒教の再評価を主張した梁漱溟は胡適や陳独秀、李大釗らを批判して議論が繰り広げられていたが(上掲2冊では取り上げられていない)、彼らの議論には部分的に重なる箇所もある(例えば、地方自治への関心や、そのために活用できる中国的なものとして農村の伝統的自治共同体に着目した発想は、梁漱溟の郷村建設理論と共通する)。私自身の関心としては、新文化運動・五四運動期における個々の議論の共通点に着目した上で、相違点をも照らし出していく、そのようにしてこの時期の思想的論争の多面性をトータルで把握できたら面白いと思っている。

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