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2012年2月 5日 (日)

永田圭介『厳復──富国強兵に挑んだ清末思想家』、ベンジャミン・I・シュウォルツ『中国の近代化と知識人──厳復と西洋』、區建英『自由と国民──厳復の模索』

 清朝末期、西欧の学術文献について独自の解釈を施しながら翻訳・紹介に努めた啓蒙思想家・厳復。19~20世紀という時代状況の中ではキーパーソンの一人だと思うが、彼のことは中国近代史や比較思想史の論文で取り上げられることはしばしばあっても、一般的知名度はそれほど高くない。永田圭介『厳復──富国強兵に挑んだ清末思想家』(東方書店、2011年)は時系列に沿って彼の生涯を描き出した評伝。とりあえずどんな人物なのか知りたいという向きには本書が最適だろう。

 厳復は1854年、福州に生まれた。早くに父が死んだため一家は困窮。ところが、ちょうど左宗棠や沈葆楨によって船政学堂が設立され、ここは給金も支払われるため受験して入学する。1876年、24歳のときにアメリカのポーツマス海軍学校、イギリスの王立グリニッジ海軍大学へ留学、語学や自然科学だけでなく西欧の社会思想にも目を向けることになった。79年に帰国してからは母校の船政学堂の教官となり、80年には李鴻章が天津に設立した北洋水師学堂総教習(教頭)として招かれた。北洋水師学堂に勤務しながら98年には『天演論』(ハックスリー『進化と倫理』が原本)を刊行、また『国聞報』の創刊にも関わる。戊戌の変法では光緒帝に拝謁、建策もしようとしたが果たせないまま政変が起こり、彼は目立った政治的関与もなく、また専門知識が評価されたのであろうか、職には留まったものの、『国聞報』は弾圧を受ける。1900年、天津も義和団の乱に巻き込まれたため脱出、上海へ移り、翻訳・執筆に打ち込む。教育関係の役職に招かれて北京へ行き、1910年には資政院議員に任命されたが、間もなく辛亥革命で消滅。1912年には京師大学堂総監督となり、これが北京大学校と改称されて初代校長となるが、軋轢に悩んで間もなく辞職。その後は袁世凱の大総統府顧問。この頃、革命は起こっても民度が低い→共和制は無理→専制政治もやむを得ないとして立憲君主制を支持するようにはなっていた。必ずしも袁世凱が良いと思っていたわけではないのだが、楊度の画策によって帝政推進の籌安会に無理やり入れられてしまった。第一次世界大戦を目の当たりにして西欧を模範とした「富強」の路線に疑問を感じ、晩年は荘子を読みふけったらしい。翻訳は、 スペンサー『群学肄言』(社会学原理)、アダム・スミス『原富』(諸国民の富)、J・S・ミル『群己権界論』(自由論)、『穆勒名学』(論理学)、ジェヴォンズ『名学浅説』(論理学入門)、モンテスキュー『法意』(法の精神)、ジェんクス『社会通詮』など。

 ベンジャミン・I・シュウォルツ(平野健一郎訳)『中国の近代化と知識人──厳復と西洋』(東京大学出版会、1978年)は、中国が西洋と出会ったときの文化接触を厳復という一人の知識人を通して考察した古典的な著作。西欧の文献を翻訳した際に彼自身がどのような考えを持って読み込んでいったのかが検討される。
・西洋や新興国日本を力を目の当たりにして中国も富国強兵を目指すにしても、単に軍事的・経済的力に目を奪われるのではなく、その背景をなす思想や価値観のレベルまで見通す洞察が必要という問題意識を彼は抱いた。特に注目したのがスペンサーの社会進化論。ただし、スペンサー自身は私心なき神々のように超然たる立場から人間世界を観察し、社会進化の非人格的過程に局外から介入すべきではないと考えていたのに対し、厳復はここにイギリスがすでに達成した富強という目標へ向けての科学的原理、世界変革のためのプログラムがあると考え、中国自身が世界の生存競争を生き残っていく処方箋を求めた。
・社会有機体としての国民国家。その中の構成要素たる個人のうちにひそむエネルギー(進取の気象)が自己利益の追求をしていく環境を整備→そうした環境としての自由、平等、民主主義。人間の自由を、個人の「能力(ファカルティー)のエネルギー」の解放と捉える自由概念→このエネルギーを組織化、一体化→社会有機体の富強に奉仕→社会有機体同士の生存闘争を勝ち残る、と厳復は捉えた。ただし、これはスペンサーが個人の自由を重視したのとは全く異なるイメージ。彼自身は国民国家は過去の遺物と考えていた。→しかし、それはあくまでもスペンサー自身の無政府主義的な個人主義にひきつけた結論であって、厳復の歪曲に過ぎないと単純に言い切れるだろうか? スペンサーの社会進化論的モデルから導かれる結論として妥当かどうかはまた別問題で、厳復は中国の生き残りという自身の問題意識にひきつけた結論を出したと理解することも可能と指摘される。
・ミルの『自由論』を『群己権界論』というタイトルで翻訳→個人の自由に対する制限と社会の権利を強調。
・厳復は立憲君主制を支持したことを思想的後退と捉えてよいか?→社会進化論をモデルとした発展段階からみて、中国の現状は遅れているという認識、未開の段階なら専制政治も妥当という考え方。人類の進化には段階を飛び越す奇跡はないと彼は考えており、あくまでも発展段階を基にした議論であって、思想的後退、伝統への回帰というわけではない。現在の状況の中で進歩の条件を創出することから始めなければならない。ロンドンで孫文と会ったときにも、革命を急ぐ孫文に対して、厳復は革命に批判的。
・スペンサーの宇宙観は、形而上学的なレベルで中国伝統のそれと一致していると彼は考えた。「無」の深奥から「万物」が生成するという自然観。スペンサーの綜合哲学の厳格な帰納的論理→一元論的・汎神論的に理解。その究極にあるもの、万物の根源は不可知。中国的な「道」=西欧哲学における第一原因と考える。雑多な世界の相対性、森羅万象はすべて相対的という理解。スペンサーの「不可知」、老子の「道」、仏教の「涅槃」、ヴェーダンタの「不二一元」、朱子学の「太極」をみな同様に捉えた。
・中国自身の「富強」のため西洋文明を範とした模索をしてきたが、他方で第一次世界大戦で明らかとなった西洋文明の問題点→西洋文明のファウスト的、プロメテウス的性格に厳復は直面したと本書は考える。

 區建英『自由と国民──厳復の模索』(東京大学出版会、2009年)は、国民国家形成における中国にとって未完の課題としての自由と国民というテーマに照準を合わせて厳復の思想を論じていく。伝統と近代、中国と西欧といった二元対立ではなく、また晩年における彼の立場の転換を後退と捉えるのでもなく、歴史的現実の葛藤における思想構造の動態的把握が意図されている。
・ロンドンで孫文は厳復に会見を求めた。孫文は集団全体に立脚→排満革命と共和国建設を優先→自らを実行家と称する。対して、厳復は民の個体に着目→民の智、徳、力の向上が先決で段階を踏む必要がある→保守的、反「革命」的とみなされた。
・『天演論』→なぜハックスリーを翻訳に選んだのか、スペンサーを引き立てるためではないのか?というシュウォルツや日本の学者は解する→厳復は一元的宇宙論の中で「天行」と「人治」を捉え、ハックスリーが説いた「人治」の倫理的契機を重視した。
・「合群」をどのように考えるか→近代国家形成の方向性。孫文をはじめ革命派は戦術的な思惑もあって排満革命の「種族」論、民族主義による団結を意図した。対して、厳復は種族ではなく個人の自主性に立脚した統合国家を意図して種族的傾向を批判→国民主義。
・「仁政」の再定義。民本思想と民権思想との区別に注意を払った。覇道政治は暴虐だが、民が専制権力と戦うという発想から民権思想につながる。対して、王道的パターナリズムは尊卑の区別が固定化されてしまう。
・ミルの『自由論』をなぜ『群己権界論』として訳したのか。自由という表現を避けたのは思想的後退?→厳復は政治的自由と倫理的自由とを区別。大衆社会における多数の専制というミルの問題意識をきちんと理解しており、一人ひとりの個性の発揮を重視するからこそ、個人に対する社会の専制という点に注意を払っていた。
・老荘思想の解釈→認識論というレベルで科学的思考と接合させようとした。「道」の多次元性と双方向性、「不可知」と「可知」との相関性→二元的認識論。つまり、究極への知を徹底するのは不可能→帰納法を基礎とする現象界への主体的な実証研究は可能となる。
・西洋思想と中国思想との「互注」→双方を相対化。
・厳復は因習からの解放に努め、異文化接触における自由な精神による「会通」を試みた。東西の異なる「俗」を通して共通する「事理」を見抜こうとした。新来の文化要素として「自由」を導入→従来の倫理体系が崩れる一方、新しい倫理体系は確立せず、「いもづる式現象」で様々な問題や不適合があらわとなる。→西洋文化、伝統文化の相互破壊の危険性、さらにこの現象を通して西洋文化それ自体にはらまれている問題をも透視できる。「西学」受容と同時に、補完するものとしての中国伝統における受け皿の整備が必要→老荘「評点」という仕事

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