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2012年2月15日 (水)

『章炳麟集──清末の民族革命思想』

章炳麟(西順蔵・近藤邦康編訳)『章炳麟集──清末の民族革命思想』(岩波文庫、1990年)

 孫文、黄興と「革命三尊」と並び称され、国学大師と呼ばれるほどの学識を持ちつつ血気盛んに革命運動に飛び込んでいったところは魯迅からも尊敬されていた章炳麟、彼は1869年、浙江省余杭県倉前鎮の地主知識人の家に生まれた。日清戦争敗北の衝撃で強学会に入会、1897年には上海の『時務報』記者となって変法運動に参加。変法には賛成だが、孔教には反対して時務報館を去る。戊戌の政変で台湾に逃れ、翌1899年には日本に渡って梁啓超の紹介で孫文に会った後、上海に戻る。1901年、「正仇満論」で梁啓超を批判、さらに排満を主張したので逮捕されそうになり、1902年、日本へ。再び帰国後、『蘇報』の筆禍で逮捕された。1906年に出獄、日本に渡って中国同盟会に参加。1907年7~8月には張継、劉師培らと社会主義講習会を開催、幸徳秋水・堺利彦・大杉栄らに講演を依頼、同年夏には亜州和親会を結成。辛亥革命が勃発して1911年11月に帰国。第二革命後、袁世凱によって三年間幽閉された。1917年には広州に行き、孫文の護法軍政府に参加。1919年の五四運動では国粋を守って新文化運動に対抗、国共合作には反対、国民革命にも反対。1931年の満州事変以降は愛国運動を支持。1936年6月14日、蘇州で逝去。

 章炳麟の議論では排満興漢の種族革命という主張がよく引き合いに出される。しかし私自身としては、次の三点で章炳麟と梁漱溟に共通点が見られることに興味を持っている。すなわち、①この世の無常を喝破する認識論として仏教の唯識を採用。②社会進化論の体裁を借りて段階説的な考え方を取り、遠い未来に仏教的な寂滅の世界を想定。③ただし、そこまで至ることのない現段階においては中国独自のもの(章炳麟は民族主義による種族革命、梁漱溟は儒学思想による共同体形成)を目指すという論法。章炳麟は民族革命論、梁漱溟は現代新儒家として中国における国粋の振興に大きな役割を果したと評価されることが多いが、むしろ仏教思想を経由した一種の寂滅主義への志向、それは言い換えると民族や伝統といったものは究極的には超克されていくことが理念的に前提となっているわけだが、こうした思想傾向が社会変動期に現われていたこと、そしてそのことが他の人々にはさほど注目されていなかったことの意味は何か、という興味。

◆「播種」
◆「独を明らかにする」
・「大独は必ず群する。群は必ず独から成る。」→知識人は隠遁するのではなく、大衆の中に入って指導。

◆「「客帝」のあやまりを正す」
◆「康有為を反駁して革命を論ずる書簡」
◆「獄中で新聞報記者に答える」

◆1906年7月15日、神田・錦輝館での留学生による歓迎会での演説。『民報』6号に掲載
・革命に必要なのは「感情」。感情がなければ一つの心をもって団結することはできない→「この感情を形成するには二つの事がもっとも重要である。第一は、宗教を用いて信心を発起し、国民の道徳を増進する。第二は、国粋を用いて種族性を激動し、愛国の熱腸を増進する。」(p.83)
・孔教は神秘的、不可解な説が混じっていないのは良いが、平民革命の契機がない。キリスト教は迷妄→仏教こそ用いるべき。ただし、夾雑物がまじって本来の教えから離れているから、華厳・法相(唯識)を以て改良すべき。華厳宗は衆生の済度を説くので道徳上有益。法相宗は万法唯心、一切の有形の色相、無形の法塵はすべて幻見幻想であって決して実在真有ではないと説く→カントやショーペンハウアーとも通ずる。
・仏教は一切衆生の平等を説くのだから民族思想はいけないのでは?という批判→清朝の漢人に対する態度はバラモン教が四姓の階層に分けて虐待したようなものだから、逐満復漢は正しい、と主張。
・国粋→中国の長所を自覚。朱子学・陽明学は重要ではないが、諸子百家や戴震を評価。古事古跡はすべて人の愛国の心を動かすことができる。

◆「倶分進化論」(『民報』7号、1906年9月)
・ヘーゲル、ダーウィン、スペンサー、ハックスリー、ショーペンハウアーなどを挙げた上で、西洋の進化論も必ずしも間違ってはいないが、不十分→「進化の進化たるゆえんは一方の直進によるのでなく、必ず双方の並進による、ということがかれらには分っていないのだ。もっぱら一方だけをあげるのは、ただ知識が進化するというだけならばよい。もし道徳についていえば、善も進化し悪も進化する。もし生計についていえば、楽も進化し苦も進化する。双方が並進するのは、影が形につきしたがい、罔両〔影の影〕が影を追うのと同様であり、それ以外にない。知識が高くなればなるほど、一方〔善・悪〕を取り一方〔悪・苦〕を捨てようとしても、それは不可能だ。昔の善悪は小さかったが、今の善悪は大きい。昔の苦楽は小さかったが、今の苦楽は大きい。とすると、善を求め楽を求めることを目的とする者は、はたして進化をもっとも幸福とするのか、それとももっと不幸とするのか。進化が実際にあることは否定できないが、進化のわれわれに対する効用には取るべきものがない。自らわが論に「倶分進化論」と題する。」(pp.102-103)
・厭世観念の二派:「その一派は、決然として身を引き、ただこの世界を超出することを幸福とし、そのほかに衆生を気にかける思いがない。これは仏教でいう鈍性〔遅鈍な素質〕の声聞〔仏の教えを聞き自己のさとりに専念する人〕であり、菩提〔さとりを求め衆生を救う〕の種子のない者である。他の一派は、世界が迷いのうちに沈んでいるとし、一つの清浄殊勝〔さとり〕の領域を求めて、衆生をそこへ導いていこうとする。ここにその所を得れば〔自分がさとれば〕、身をもってこの世界に入り衆生を導く活動をすることを恐れない。これは志は厭世にあるが、活動は必ずしももっぱら厭世だけではない。そうであれば、厭世があってはならないということはない。」(p.118)

◆「革命の道徳」

◆「建立宗教論」(『民報』9号、1906年11月→法相宗の「唯識無境」の教説により、世界と自身を自心の変現と見て根源的自我を絶対化し、かつその根源的自我を一己に局限されぬ、衆生と一体平等なものだとして、自身を犠牲にして衆生を救済する菩薩行に理論的根拠)
・「いま宗教を建立するのに、ただ自識を宗旨とする。識とは何か。真如こそ唯識の実性であり、いわゆる円成実である。だが、この円成実は大にして虚であり形象が無いから、そこへただちに入りたいと思うならば、依他に頼らざるをえない。円成をさとった時には、依他も自ら除去される。それ故、いま帰依敬礼する対象は円成実自性であり、依他起自性ではない。もし何かにしたがって円成実に入ることができるとすれば、それはただ依他を方便とする。一切の衆生はこの真如を同じくし、この阿頼耶識を同じくする。それ故、阿頼耶識は自体に局限されず、衆生に普遍であり、唯一不二である。もし自体に執着していうならば、唯識の数は〔サーンキャ=数論のいう〕神我〔純粋精神で個我。根本原質を観照し世界を開展〕と異らなくなる。衆生がこの阿頼耶識を同じくするが故に、大誓願を立て、ことごとく一切の衆生を度脱〔済度・解脱〕しようと欲し、未来永劫に無限につとめる。」(p.182)
・「仏教は世を厭わないのではないが、そのいう厭世はこの器世間を厭うのであり、有情世間を厭うのではない。有情世間が器世間の中に落ちこんでいるので、これを済度して三界の外に出そうと欲するのである。」…「衆生を度脱しようとする一念は、すなわち我執の一事である。ただ一人の自己に執着して我とするのでなく、衆生を我とするのである。」(pp.183-184)

◆「『民報』創刊一周年大会の演説」

◆「『社会通詮』論議」(『民報』12号、1907年3月)
・厳復が訳著『社会通詮』(ジェンクス)で民族主義に反対したのに対し、章は排満革命を擁護して反駁。「…西洋の事を中国の事にあてはめて、歴史の事跡が、西洋の公式に合うものは必ず真実で、それと異なるものは必ず虚妄だとし、将来の方略が、西洋の公式に合うものは必ず成功し、それと異なるものは必ず失敗するという。それは、公式というものが西洋人の体験・見聞から帰納したにすぎないこと、次第に東アジアのことを観察すれば公式にも変更する点が出てくることが、分っていないのである。」(p.203)
・「…新疆の部族長たちが満州に対して恨み骨髄に徹し、漢人に怨みをはらそうとして、自ら分離して突厥・ウィグルのあとを回復したいと強く望むとしても、やはり心をおさえてかれらに任せるべきだ。漢族の満州に対する関係を見れば、回族の漢族に対する関係も分る。やむをえなければ、敦煌以西の土地を全部回族に与えて、ロシア人の右腕を切断したい。回族と神聖同盟を結んでもよい。」(p.228)

◆「インド シヴァジー王記念会の事を記す」

◆「鉄錚に答える」(『民報』14号、1907年6月)
・中国の道徳・宗教が根源で一つに帰するのは「自により他によらず」。浄土宗は否定。
・近代の学術はだんだん「実事求是」に進み、清朝考証学は明儒よりはるかに緻密になった→緻密さという点で法相の学は近代に適している。

◆「五無論」(『民報』16号、1907年9月)
・当面は民族主義を掲げるが、さらに将来の方向→①無政府、②無聚落、③無人類、④無衆生〔無生物〕、⑤無世界→人類、さらには存在そのものの消滅へ。ただし、遠い将来の話。
・わが友北輝次郎の言として『国体論及び純正社会主義』(1906年)からの引用あり。

◆「復仇は是か非か」(『民報』16号、1907年9月)
・「…高尚なことは、人類と衆生〔生物〕とをあわせてすべて絶滅することであり、思想の輪郭はここにある。しかし、実行できる身近なことをあげれば、やはり退いて民族主義を取らざるをえない。民族主義はあまねく人類のために説法するのでなく、ただもっぱら漢人のために説法する。」…「かりに無限定の名詞を取って旗印とすれば、中国の事は後になり、先ず攻めようとする対象が他のものになる。今はただ一領域のために説法するので、一切を包括する名詞を取らず、ただ目前にある直接知覚するものを取る。」(pp.318-319)

◆「国家論」(『民報』17号、1907年10月)
・「一、国家の自性〔固有・不変の本体〕は仮有〔因縁により現象としてかりに存在〕であって、実有〔真実に存在〕ではない。」「二、国家の作用は勢いやむをえず設けたのであって、道理の当然として設けたのではない。」「三、国家の事業はもっとも卑賤なものであって、もっとも神聖なものではない。」(p.324)

◆「亜州和親会規約」
◆「インド人の国粋論」
◆「夢庵に答える」(夢庵=武田範之への反論)
◆「四惑論」
◆「祐民に答える」
◆「代議制は是か非か」
・中国はもともと地域的な相違が大きいので、連邦制にしたらバラバラになってしまう。
・総統の選挙では平凡無知の者が番狂わせで当選することはあり得ない、功績・才略のある者のみに被選挙資格を与えるべき。議員の当選は功績によらない、買収もあるだろうから不可。法律はすべて政府が制定するのではなく、法律と歴史に通暁し民間の利害を周知した者に制定させる。※一種のエリート政治か?

◆「中国の川喜多大尉袁樹勲」
・本論とは関係ないけど、ここで川喜多大尉は売国奴の例として引き合いに出されているのだが、川喜多長政のお父さんだ。当時は日本軍の機密を袁世凱政権に売り渡したとして処刑されたことになっているのだが、実際には軍事教官として勤務中に中国側にシンパシーを抱き、日本軍のやり方に疑問を抱いたため誅殺されたとも言われている。もちろん、同時代の章炳麟が知る由もないが。

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