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2012年2月23日 (木)

プラセンジット・ドゥアラ『ネイションから歴史を救い出す:近代中国の語り(narratives)を疑う』

Prasenjit Duara, Rescuing History from the Nation: Questioning Narratives of Modern China, The University of Chicago Press, 1995

 西欧側が研究対象たる「東洋」に対して向ける眼差しそのものにある種の偏見が内在的に構造化されているとき、いくら客観的な研究を標榜してはいても、その結果として生み出された言説には問題があるという指摘はエドワード・サイード『オリエンタリズム』以来もはや周知のことだろう。同様の問題意識でアメリカの中国研究についてはポール・コーエン『知の帝国主義』も知られている。「見る」側の視点そのものが権力性を帯びている場合、「見られる」側の主体的な自己認識をないがしろにはできない。だが、それでは「見られる」側であるはずの中国史が自らを語る言説をそのまま鵜呑みにしてもいいのだろうか?というのが本書の問題提起となる。
 近代中国においては、とりわけ社会進化論やマルクス主義の大きな影響の中、国民国家の形成、生き残りという目的意識による一元的・直線的な発展史観が生まれ、都合の悪い要素は排除もしくは再構成される形で単一の「語り(narrative)」へと収斂されてきた。ナショナル・アイデンティティーの形成と内実は、想起される歴史的な「語り」と現代の国民国家システムとのせめぎ合いによって生み出されている。歴史のアポリアや抑圧を覆い隠すレトリカルな戦略をさらけ出すことで、フォーマルな「語り」から無視されてきた分岐する(bifurcated)歴史のあり方、複数のアイデンティティーが相克する姿をそのままに直視し、目的論的な抑圧から歴史の意義を取り戻そうと本書は試みる。国民国家論の解体を意図している点でポストコロニアル的な議論である。

(以下はメモ)
・傅斯年や顧結剛たちの歴史研究に表わされたナショナリズムを分析。対して魯迅は、ナショナリズムに反対したからというのではなく、ナショナリスト的な語り口に疑問を投げかけていた点で他の学者とは異なる。
・前近代・近代両方の社会においても複数の表象、語り、アイデンティティーが並存しながら持続しており、近代ナショナリズム以前のプロセスが、近代以降になっても拠り所となる→中国とインドを比較。
・新国家建設に向けて会党の協力を取り付けるため反満主義・伝統的な血族主義などを取り込んだ一方、そうした文化的イデオロギーは近代国家のものではない。孫文は辛亥革命後、会党の役割を否定。
・社会進化論は先進と後進の区別→ヒエラルキーの中での上昇志向を促した。1910年代以降、社会進化論はアピールしなくなり、反帝国主義・共産主義の影響が強まる。しかし、人種(race)的言説が消えたわけではない。

・封建主義という言説の検討
・中国には伝統的に市民社会に相当するものは成立しなかったとされているが、封建的伝統における自律的な知識人の系譜や宗教に基づく公共空間があった点を見直す必要。
・啓蒙思想の系譜を見るとき、例えば康有為のように、封建的思想が近代的言説を取り込んだのか、それとも近代的言説を成立たせるために封建的思想を用いたのか、どちらなのか判別は難しい。
・地方自治の失敗:袁世凱政権が徴税や警察など近代的な行政改革に着手→民間宗教の制度的基盤が解体され、これは民国期を通じて行われた。軍閥の時代に政府が権力を拡張し、地方のリソースを引き出そうと模索(例えば、閻錫山の山東モデル)→地域住民ばかりでなく地域のエリートも疎外。中国北部の地方レベルにおける全面的な国家建設が行われるのは日本支配下になってから。しかし、これによって地域の力を動員したり地域的エリートをリクルートできたのではなく、政府は地域の低位官僚層を監視できなかったので別種の暴君が現われた。⇒1930年代、こうした暴君による搾取は封建思想に由来するのではなく、清朝末期の新政やナショナリストの「自治政府」などの国家建設失敗の空隙に生じていたことを、すでに梁漱溟が指摘していた。
・弱い国家→強い権力が必要という言説。梁啓超は、啓蒙を軸とした進歩の歴史を描き出し、そこに国民国家を結びつけた。中国における新旧の公民社会的なものは封建主義の名の下で葬り去られていく。(本書で言う封建主義とは、伝統思想に基づく身分秩序+地域分権で、そこには中央集権に対する批判の可能性が含意されていたが、これが革命家たちの言説を通して近代にとっての異質物としてネガティヴな意味合いが背負わされていく。)

・中央集権と地方分権との葛藤
・地方分権を求める連邦主義者の代替案は封建主義とみなされ、中央集権志向の国民国家的イデオロギーによって中国近代史の早い段階で葬り去られた。しかし、国家主義と地方主義は共存し得たはずと指摘。歴史をみると、地方主義を成り立たせる伝統や人的ネットワークは確かに存在していた。
・1895年、下関条約で台湾割譲→束の間だが台湾民主国という独立の動き→これに触発され、内憂外患への対処や反満主義による地域自立の主張(Provincialism)が現われた→欧築甲(Ou Qujia)の『新広東』、楊守仁(毓麟、Yang Shouren)の『新湖南』など。
・社会進化論の受容の二つのパターン:上記の地域自立の運動は、郷土への愛→競争力のある独立した地域としての発展を目指す→こうして独立した地域の連邦が中国独立の基礎となるという考え方。対して、汪精衛たちは中国の生き残りのため中央集権的な国民国家を主張。
・地方主義は辛亥革命後、連邦主義という西欧的な政治理論で自治を承認させようと模索。しかし、中央集権が中国の伝統であるという言説から、これに反する動きは反中国的として批判を受ける。五四運動期のTang Dezhangは人民主権という理論で地域主義を主張→歴史に結びつける言説から切り離した。
・分権主義の主張には自治と民主的改革という二つの要素があったことは注目される→自治は軍閥が支持、民主的改革には知識人や急進派が関心を持った。
・広東軍政府で陳炯明の裏切り?→彼は国づくりの基盤としての自治を支持していた一方、孫文は建前としては連邦主義の方向を取ってはいても真剣ではなかった→方針の違いから陳は引退。ところが、軍人たちの孫文追放クーデターで呼び戻された。背景には、孫文が北伐を強硬に主張するのに対して、地盤固めが先決という異論があったため。孫文をけなすわけにはいかないので陳炯明は裏切り者とみなされた。

・「進歩」という観念に対する懐疑について中国とインドとの比較を通して論じる(著者のDuaraはインド出身)
・「近代」批判の二つのタイプ→①東西文化の対立(章炳麟、劉師培など)、②精神的な疑問(康有為、梁漱溟など)
・梁漱溟(Duara自身の読みではなく、Alittoの梁漱溟伝に基づくようだ)→儒教的な考えに基づき、郷村建設→指導者は先生、政府は学校。進化論的な見通しを持ってはいたが、それは価値的なヒエラルキーが取り払われていた。近代化と伝統との両方を重視、政治と文化は決して離れていはいないと考えた思想家としてインドのバンキム・チャンドラ(Bankim Chandra)と比較。ガンディーと同様の役割を果たし得ただろう人物として梁漱溟、Jimmy Yan(晏陽初)、陶行知などを挙げ、彼らが中国の歴史の語りにおいて周縁化されていることに言及。(※ただし、梁漱溟をガンディーと比較しようにも、影響力が格段に違ったと言うが、思想の内在的構造の比較はなされていないことに不満。)
・ネルーは近代を軸とした歴史観の範囲内で民族文化の独特さとして考えた→文化と政治を分離して把握→どちらかと言うと、中国のマルクス主義者に近い。
・中国でも反帝国主義の運動は盛り上がったが、大部分は植民地化されたわけではないので植民地的イデオロギーが刻み込まれなかった点がインドと異なる。

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