ジェローム・B・グリーダー『胡適と中国のルネサンス:中国革命におけるリベラリズム1917~1937年』
Jerome B. Grieder, Hu Shih and the Chinese Renaissance: Liberalism in the Chinese Revolution, 1917-1937, Harvard University Press, 1970
中国の近代化を進めるため伝統拘束的な思想状況からの脱却こそが必要だという問題意識から胡適は合理主義と個人主義とを武器に引っさげて1917年、中国の論壇に鮮やかなデビューをした。雑誌『新青年』や北京大学を舞台に彼が展開した議論は当時の思潮に大きな影響をもたらしたものの、逼塞する時代状況の中、彼はやがて孤立していく。20世紀前半の中国において彼の唱えたリベラリズムはどのような反応を受けたのかというテーマを軸に本書は彼の生涯をたどる。
彼の伝統批判が保守派から猛反発を受けたのは当然だが、他方で物事の変化は漸進的に進む、それを着実にするためにこそ教育が必要という彼の考え方は急進派をも苛立たせ、結局、彼は板ばさみになってしまう。(なお、余英時『中国近代思想史上的胡適』では現実の問題に対して即効性のある具体案を出せなかったところに彼への信頼が失われ、マルクス主義にその立場を奪われた原因があったと指摘していた。)
時代状況の変化の中にあっても、彼の理性と民主主義への信頼、上からの急激な革命ではなく人々のものの考え方そのものを変えていくことで下からの漸進的な革命を促すのでなければ何も変わらないという確信は一貫して変わっていなかったことが見て取れる。この点、例えば梁啓超や陳独秀が状況変化に応じて考え方をクルクル変えていったのとは対照的に思った。もちろん、どちらが正しいという話ではないが。
陳独秀はマルクス主義に基づく実践政治活動へと乗り出す頃、一部の知識人に見られる非政治的な「隠者」的退行を批判していた。これは「政治」概念を一元的に把握した立場だったとするなら、胡適の場合にはむしろ、権力闘争に巻き込まれてしまったら「公」を基準とした議論が出来なくなってしまう、従って無党派の形成による世論の主導を目指すためにこそ非政治的な知識人が必要だという点にあった。これは狭い意味での「政治」=執政と「公論」とを区別し、両方をひっくるめた広い意味での「政治」を目指していたと言える。ちなみに、胡適とは文明観で見解が異なっていた梁漱溟が戦後、毛沢東からポスト提供の打診を受けたとき辞退したのも同様の理由による。さらに言うと、福澤諭吉が在野の立場を一貫して守ったのもやはり同様だ。
なお、私見だが、プラグマティズムを基にした合理主義と個人主義を主張した胡適と、合理主義と個人主義の限界を指摘して儒教的共同体の再評価を主張した梁漱溟とではその文明観の根本的な相違が際立つ一方、いくつか共通点も見られるのが興味深い。①上記のように政権の座について権力闘争に関わると公のための議論ができなくなるから、知識人は無党派の立場に立って公論の形成に努めるべきという主張。②胡適は個人、梁漱溟は共同体に注目したという違いはあるが、二人ともトップダウンではなくボトムアップによる合意形成に政治の意義を求めていた。③教育を通した啓蒙により個人の自律的な思考が社会の基礎になると考えていた。胡適が教育を重んじていたことは有名だが、梁漱溟の郷村建設にも行政機関はすなわち学校であるという考え方があった。
(以下はメモ)
・胡適の若い頃の日記を見ると、基本的な考え方はアメリカ留学以前からすでに形成されていた。そこに確信を与えたのがジョン・デューイのプラグマティズム。
・1917年に帰国後、陳独秀が編集していた雑誌『新青年』や北京大学で言論活動を活発に開始。過去の伝統から脱却し、合理的な思考方法を広めるためにはまず教育が必要。人々の考え方を変えることで、一人ひとりの責任によって下から社会を変えていくという漸進主義。ここには歴史の飛躍はあり得ないという社会進化論的な考え方もあった→急進派とは考え方に距離が出てくるが、伝統回帰派に対しては共闘。
・中国が近代化を進めるにあたり西洋画モデルになるのは確かだが、他方でその西洋は帝国主義的侵略をしていたし、また第一次世界大戦後、西洋文明の技術文明こそが甚大な惨禍をもたらしたという思潮が現われた。こうした中で中国の伝統的価値を見直そうという主張→梁啓超(ヨーロッパを旅行したこうした風潮を実見、クロポトキンやオイケン、ベルグソンに関心)や梁漱溟はかつての反動的な復古派とは異なり、近代的価値にも理解を示していた人々→伝統回帰の動向とみて胡適は論戦。梁漱溟が示した文明論的段階説には理解を示しつつも、梁が発展段階における環境への順応という側面を強調しているのに対して、胡適は知識による精神の自由や真実へ向けた探求を強調。
・中国哲学史の講義:中国の過去の知的発展の読み直し→西欧的とは言わないまでもモダンなものに近いものもあることへ注意喚起→中国にとっても馴染みがあるはず、という論法。
・中国の恥辱の歴史は重々承知の上だが、かと言って反帝国主義のスローガンを掲げて気炎を上げるだけではかつて伝統中国を支配していた「言葉の魔術」への信仰と大同小異で、単純な「革命」志向では実質的な解決にはつながらない。「革命」とは意識的に「進化」を促進させるものではあるが、ただし暴力的な革命とは区別→教育、法制化、制度的な政治過程を通して目的達成を図るものと胡適は考えていた。民主的な教育制度を通した改革を主張→権威主義的な独裁政治には反対。
・国民党などの過激なナショナリズム志向(反満主義以来)に内在する伝統回帰的な側面は近代化の促進を阻害、一般人の政治参加能力に大きな疑問を投げかけていた点で孫文の責任も大きいと指摘。民主主義は将来の問題ではなく、現在の必要。
・日本の侵略に直面してジレンマ。もちろん日本の侵略に対しては抵抗しなければならないが、他方でその抵抗の手段そのものが数十年にわたって中国が獲得してきた知的達成をダメにしてしまうかもしれないという不安。
・戦後も状況は悪化。1930年代ですら難しかった無党派的立場は、戦後になると不可能になった。北京大学総長に復帰後、思想の自由を抱負として述べた。学生たちのデモに対する蒋介石の弾圧には抗議する一方、学生たちの動機には理解を示すものの方法は支持せず。
・アメリカは胡適を国民党政権の職位につけるよう求めたが、これは逆に彼の評判を落とすことにつながってしまった。共産党は彼をアメリカ帝国主義の手先とみなす。
・1958年、蒋介石政権の下で中央研究院長に任命された→五四世代の栄誉あるつながりの象徴とはなったが、もはや台湾で若い世代の知識人に影響を与えることはできず。
・胡適のリベラリズムは五四世代の急進派にも支持されたが、他方で蒋介石『中国の運命』でも指弾されたように伝統文化の破壊者として批判を受けた。この批判は戦後の台湾でも再び現われたが、国民党とはイデオロギーが違うはずの共産党からも1950年代に同様の批判を受ける。国民党は儒教的価値に力点が置かれたのに対し、共産党は民衆文化に力点。
・胡適はデューイと同様に、政治的・社会的制度の価値が試される肝心な点は、どの個人も自らの可能性を全面的に成長していくよう促していく範囲にあると考え、政府がこうした可能性を制限してしまうような主張には反対。個人が自らの可能性を追求していくのに役立つよう制度を整えるのが政府の仕事であって、逆に価値判断などの基準を決めてはいけない。
・胡適の思想や漸進的で穏健な社会改革プログラムには、すべての人には本来的に理性があるはず、偏見を取り除いて考え方が変われば合意の方法はあり得るという前提→リベラルな価値や方法論への過信から中国の現状を見誤った。
・中国はいかに生き残るかという問題意識→解決法を模索するには問題はどこから生じているのかを理解する必要→現在の危機に関わる歴史的要因をすべて考えていく必要→「民族的遺産の体系化」という学問的仕事。もちろん、自分の学問の限界は弁えていたが、自分の出来ることをやるという「分業」の自覚を持っていた。
・胡適や彼のリベラルな友人たちは民衆の福利のために語ったが、それは彼ら自身に対して語るよりも彼らに代わって語る、政治的なオルターナティヴを形成できなかった→結局のところ儒教的な意味での「賢者」のままではなかったか?
| 固定リンク
「近現代史」カテゴリの記事
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】 中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』(2020.05.28)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:六日目】 安彦良和『虹色のトロツキー』(2020.05.27)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:五日目】 上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』(2020.05.26)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】 寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』(2020.05.25)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:二日目】 橋川文三『昭和維新試論』(2020.05.23)
「哲学・思想」カテゴリの記事
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:三日目】 井筒俊彦『ロシア的人間』(2020.05.24)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:二日目】 橋川文三『昭和維新試論』(2020.05.23)
- 末木文美士『思想としての近代仏教』(2018.02.23)
- 星野靖二『近代日本の宗教概念──宗教者の言葉と近代』(2018.02.21)
- 松村介石について(2018.02.15)
「人物」カテゴリの記事
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】 中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』(2020.05.28)
- 石光真人編著『ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書』(2020.04.19)
- 大嶋えり子『ピエ・ノワール列伝──人物で知るフランス領北アフリカ引揚者たちの歴史』(2018.02.22)
- 松村介石について(2018.02.15)
- 佐古忠彦『「米軍が恐れた不屈の男」──瀬長亀次郎の生涯』(2018.02.14)
「中国」カテゴリの記事
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】 中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』(2020.05.28)
- 王明珂《華夏邊緣:歷史記憶與族群認同》(2016.03.20)
- 野嶋剛『ラスト・バタリオン──蒋介石と日本軍人たち』(2014.06.02)
- 楊海英『植民地としてのモンゴル──中国の官制ナショナリズムと革命思想』(2013.07.05)
- 広中一成『ニセチャイナ──中国傀儡政権 満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京』(2013.07.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント