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2012年2月19日 (日)

ヴェラ・シュウォルツ『中国の啓蒙思想:知識人たちと1919年五四運動の遺産』

Vera Schwarcz, The Chinese Enlightenment: Intellectuals and the Legacy of the May Fourth Movement of 1919, University of California Press, 1986

 1919年の五四運動前後の時期、列強から侵食され、国内的には伝統思想の束縛された内憂外患の状況の中、新文化運動で主張された個人の内面的な自己解放と批判精神とを求める啓蒙主義。その行方がどのような方向に進んでいったのか?という関心を軸として、中国近代における思想史の動向について考察を進めるのが本書の趣旨。
 第一に啓蒙と救国という二つの志向性の間での緊張関係に注目、第二に世代間の相違に注目しながら、その相互作用をたどりなおし、局面に応じて五四の啓蒙主義的な動きが退潮しては再浮上していく様子を捉えようとしていること、第三に後代において政治的必要から五四運動にまつわる記憶の再構築が行われてきた経緯の分析、以上が本書の特徴と言える。批判精神による発言を事とした知識人たちの宿命を見ていくと、いまだに現代的課題なのかもしれない。

(以下はメモ)
・洋務運動、変法運動から辛亥革命を経て五四運動に至るプロセスの概観。陳独秀の『新青年』、蔡元培が人材を集めた北京大学。
・伝統思想に反逆しようとする五四世代、雑誌『新潮』の学生たち→新文化運動で示された科学哲学と形式論理に注目。
・張莘夫が陳独秀に出した手紙:マルクス主義はある種の宗教だ→陳も、信念がなければ事は成就できないとして同意。科学的に因果関係や影響を把握→運命主義に陥らないように思考の自由→五四啓蒙主義の精神革命。
・旧世代が掲げた「科学」と「民主」は儒教的伝統への代替物として主張されたのに対し、新世代にとって「科学」は世界を解釈する方法、「民主」は個人を科学的探究へと向かわせる自信の態度。
・西欧思想の様々な潮流を精神的反逆、精神の独立として把握→ロシア革命も社会的コンテクストにおいて自己解放の兆候として歓迎。西洋の視点で中国を見る→保守派を批判。
・ヴェルサイユ会議等で示された西欧の欺瞞。他方で「彼ら」と「我ら」という二分法は望まなかった。
・1930年代に入り、日本による満洲国成立(溥儀は儒教的皇帝として即位)、蒋介石が発動した新生活運動で孔子崇拝の復権の動き→外敵への対処と内面的な自己解放とを結びつける問題意識が再確認され、そうした動向の中で五四運動期の啓蒙主義が再浮上→五四期のヴェテラン知識人たちと共産党理論家たちの両方がリーダーとなった。この頃、羅家倫が学長となった清華大学の方が北京大学よりもリベラル。羅家倫が大学の活性化に成功したやり方は、かつて北京大学で蔡元培が取ったのと同様で、気鋭の学者たちを招聘→馮友蘭、楊振声、兪平伯、張莘夫、朱自清など。同時期、上海では魯迅たちの左翼作家同盟が成立、また胡適、蔡元培、宋慶齢などの参加した上海市民権連盟?(Shanghai League for Civil Rights)も政治犯として捕まった人々の調査などで役割を果たした。いずれにせよ、白色テロの犠牲が知識人たちを結びつけ、五四知識人の絆を再建。
・上の世代は伝統的価値を疑うが、非歴史的。次の世代は歴史の再解釈によって知識人としての確信を得ようとした。
・大衆教育の必要と、大衆そのものが否定できない価値を持っているという考え方との相違をどうするか?→五四の白話運動は非中国的という批判。五四世代は白話の発見が目標だったが、1930年代以降、大衆語の創造という問題意識。
・1936~37年、新啓蒙運動→張莘夫と陳伯達→五四のヴェテランと共産主義の若者との間では、合理的な啓蒙主義を大衆にどのように広げられるか、封建主義の愛国的な批判はどのようにするか?という点で共通。
・抗日戦争→愛国主義を大衆に広めるのが最優先→個人と国家の独立を結びつけた五四の啓蒙の理念はフェイドアウト。啓蒙→救国。
・新しい世代は、自身の必要や願望に応じて五四運動のイメージを作り上げてきた。現在を批判する鏡として過去からイメージを作り上げてきたプロセス→寓意としての五四運動。現在における政治的主張に活用するために行われてきた記憶の再構築。
・孫文は国家生き残りのための「国粋」という文化保守的な考え方の影響を受けており、イコノクラスティックな啓蒙主義には関心なし。ただ、学生たちの愛国主義を賞賛。蒋介石は中国的倫理に付会する形で五四運動を新生活運動に結びつけた。
・毛沢東は自ら五四運動の支持者であったと考えていた一方、知識人の言う啓蒙主義が救国の条件になるかどうかについては懐疑的。
・海峡両岸での五四運動の周年ごとの記念のあり方を比較。五四運動生き残りの人々も、記念行事は彼ら自身とは関係ないにしても、繰り返されているうちに自らの記憶を政治的な必要による集合的記憶に合わせていく傾向。しかし、五四運動の動機の部分で自らの自律的な思考を捨てたくない人々→1957年、台湾で『自由中国』を創刊した雷震たちも五四の生き残り。同じ頃、大陸では百家争鳴で批判精神も現われようとしたが、こちらもつぶされた。

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