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2012年1月26日 (木)

粕谷一希『内藤湖南への旅』

粕谷一希『内藤湖南への旅』(藤原書店、2011年)

 京都帝国大学の東洋史講座を創設した一人として日本における歴史学研究に大きな足跡を残した内藤湖南。ジャーナリスト出身で正規の学歴を持たない彼の登用は、官学的な東京帝国大学とは違った学風をつくり出していこうという狩野直喜の熱意による(なお、国史担当として招聘された幸田露伴は窮屈な大学生活に嫌気がさして一年でやめてしまった)。本書ではもう一点、湖南のアカデミズム入りが、夏目漱石が学者をやめて文士になったのとほぼ同時期であったことに注意を促す。ジャーナリズムとアカデミズムとの垣根が低かった明治の草創期、そうした時代だからこそ独特な個性を持った学究たちの織り成す群像劇があり得た。

 本書のテーマは内藤湖南ではある。しかし、彼その人よりも、むしろ彼にまつわる話題をきっかけに、彼と接点のあった広い意味での「京都学派」(狭義だと西田哲学の影響を受けて「近代の超克」論に関わった人々に限定されるが、本書では東洋史学も含め京大を中心とした人脈的広がりを指している)や後世の歴史学者たちにまで筆が及ぶのが特徴だ。研究内容の要約ではなく、当時のアカデミズムにおける自由闊達な雰囲気が見えてくる。脱線とは言いつつも、その脱線こそが実は面白いのだ。名前だけは知りながら図書館でほこりをかぶった学術書でしか見たことのないような大学者たちも、人となりが分かってくると見方、読み方もまた違ってくる。例えば、日本中世史の原勝郎は普段の生活では東北弁丸出しで、子供が京都弁をしゃべると殴ったそうだ。彼は『東山時代に於ける一縉紳の生活』を書いているだけに、この矛盾が可笑しい。そうしたところまでサラッと描いてしまうのは、アカデミズムの論客を次々と発掘してきた『中央公論』往年の名編集長ならではの眼力と見聞による。とりわけ小島祐馬、鈴木成高、宮崎市定などに思い入れがあるようだ。

 なお、湖南の議論を通して現代中国論にも言及しようとしているが、そこは表層的な印象論で特に見るべきものはない。

 湖南の中国史論で有名なのは、時代区分としての「近世」を宋代に求めたことだろう。最近では中国思想史の小島毅さんが再評価し、昨年話題となった輿那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋)もこの観点に触発されているなど、ちょっと面白い状況ではある。

 中国の「近世」において中央レベルでは皇帝独裁政治が目につく一方、地方レベルにおいては「郷団」という形で自治的な共同体が形成されていたと湖南は指摘、これを「平民主義」の台頭として把握した。皇帝独裁と平民主義という二面性が「近世」中国の特徴だが、辛亥革命によって皇帝独裁は消えた。残る「平民主義」に中国のこれからの共和政治のカギがあると湖南は考えたが、実際には軍閥割拠の様相を呈して、その見通しには悲観的となる。中国人が自分たちで国づくりできないなら、日本が積極的に内政干渉すべし──現代の我々から見ると非常な暴論を彼は吐いてしまうが、彼の中国研究が当時の政治論と結びついたときの難しさについてはジョシュア・A・フォーゲル『内藤湖南 ポリティックスとシノロジー』(井上裕正訳、平凡社、1989年)で論じられている。

 弟子の歴史学者、三田村泰助は師匠の伝記『内藤湖南』(中公新書、1972年)を書いているが、アカデミズムに入る前のジャーナリストとしての部分が大半を占めるのは、やはりそちらの方が波瀾万丈で面白いからだろうか。

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