« 木村汎・袴田茂樹・山内聡彦『現代ロシアを見る眼──「プーチンの十年」の衝撃』 | トップページ | 松戸清裕『ソ連史』、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家 1917─1991』 »

2012年1月 3日 (火)

安田敏朗『かれらの日本語──台湾「残留」日本語論』

安田敏朗『かれらの日本語──台湾「残留」日本語論』(人文書院、2011年)

 私が初めて台湾へ行ったとき、台北の二二八紀念館でガイドをしてくれた日本語世代のおじいさんと話をする機会があった。その後、同行した友人が「台湾で由緒正しい日本人に出会った!」とやたら興奮していたので、「彼は日本への親しみだけではなく、差別を受けてイヤな思いもした、とも語っていたじゃないか」と言ったところ、「お前は自虐史観だ!」と非難された。本書を読みながら、このときの違和感を思い出していた。

 日本が植民地支配を行った台湾において「国語教育」を担った教員たちはどのような考えを持っていたのか。また、敗戦によって日本が台湾を放棄した後、観光目的の台湾渡航が自由化された1964年以降、訪れた日本人たちは台湾における日本語をどのように「再発見」していったのか。そうした台湾の日本語をめぐる言説の系譜をたどっていくのが本書の趣旨である。

 植民地統治下における日本語教育は、単に言語としての日本語を文法的に教えようとしたのではなく、生活習慣や感性といったレベルまですべてをひっくるめて「日本人らしい自然な日本人」になること、すなわち日本人への同化が期待されていた。その点で「国語教育」は「外国語(としての日本語)教育」とは異なる。他方で、日本語を教える日本人教員は出身地によって方言的なアクセントがまちまちで(台湾では九州出身者が多かった)、教師自身が教科書に書かれているような「正しい国語」を話していたわけではない。もちろん生徒の母語である台湾語の影響もあるし、学校外での様々なコミュニケーション場面に応じてピジン言語的な日本語の使用状況も現われていた。そうした多様な言語接触状況は、「正しい国語」普及という目的のためではあるが、当時から観察されていたようである。

 また、戦後になっても原住民社会では言語の異なる他部族とのコミュニケーション手段として日本語が用いられたケースがある。本書では真田信治・簡月真「台湾の日本語クレオール」で紹介された、宜蘭県大同郷寒渓村の「宜蘭クレオール」が取り上げられている。語順は日本語だが、語彙はアタヤル語という言語である。「話者の言語権」の問題に注意を喚起する一方、これを正式に言語認定するかどうかは学問的課題というよりも政治的問題になってしまう困難を著者は指摘、日本の植民地支配によって生じた現象であるという意味で歴史認識の問題と関わってくる点を強調している(ただし、この件で批判された側にも言い分はありそうだな、という気もする)。

 「言語」なのか「方言」なのか、こうした区別の立て方そのものに何がしかの政治的意図が絡まってくる問題は社会言語学のイロハであるが、かつて日本が植民地支配を行った地域における言語状況を考える上で、こうした問題はより注意深さを必要とする。眼差しの投げかけ方によっては、そこにバイアスのかかったフィルターを通して、見る者の側が望む恣意的な姿を浮かび上がらせるだけということにもなりかねない。

 本書のタイトル「かれらの日本語」とは、台湾における日本語話者の言葉を指している。「残留日本語」などの表現を用いた際に感じられる「残っているものを発見する高揚感」は歴史的経緯が軽視されているのではないかという問題意識が本書の出発点であり、それに代わってこの表現が選ばれている。台湾の日本語世代老人にノスタルジーを見出して消費する風潮に対する批判は当然にしても、他の研究者(主に言語学)に対する批判までかなり手厳しいという印象も受ける。ただ、眼差しの向け方が時としてはらむ問題を自覚したとき、注意してし過ぎるということはない。むしろ「かれら」自身の必要に応じて日本語を使わざるを得なかった、そのあるがままの生活的体験を、「こちら」の思惑によって切り刻むようなことはしたくないという著者の模索のもどかしさに目を向けるべきだろう。

|

« 木村汎・袴田茂樹・山内聡彦『現代ロシアを見る眼──「プーチンの十年」の衝撃』 | トップページ | 松戸清裕『ソ連史』、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家 1917─1991』 »

台湾」カテゴリの記事

近現代史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/53644804

この記事へのトラックバック一覧です: 安田敏朗『かれらの日本語──台湾「残留」日本語論』:

« 木村汎・袴田茂樹・山内聡彦『現代ロシアを見る眼──「プーチンの十年」の衝撃』 | トップページ | 松戸清裕『ソ連史』、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家 1917─1991』 »