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2012年1月 8日 (日)

下斗米伸夫『アジア冷戦史』『日本冷戦史──帝国の崩壊から55年体制へ』

下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書、2004年)

・冷戦の起源を第二次世界大戦後のヨーロッパにおける米ソの対立に求める一般的認識とは違う観点から、東アジアにおける冷戦構造の動態を捉えなおしていく。当初は米国と中ソという二極構造から始まったものの、スターリン批判等を契機に共産圏内部で多極化。東欧では、例えばハンガリーの“小スターリン”ラーコシを排除できたのとは異なってアジアに対しては打つ手がなく、中国、北朝鮮、ベトナムの動向はソ連にとっても想定外だった。
・北朝鮮は当初、ソ連をモデルとして国家形成、つまり事実上の傀儡国家として出発(ソ連から来たホガイの役割については、アンドレイ・ランコフ(下斗米伸夫・石井知章訳)『スターリンから金日成へ──北朝鮮国家の形成 1945~1960年』[法政大学出版局、2011年]を参照のこと→こちら)。スターリン批判後、中ソは北朝鮮内部の情勢を把握できていなかったため、思惑を超えて金日成はソ連派や中国派を粛清、独裁体制を樹立。なお、人民義勇軍司令官として朝鮮戦争に参戦した彭徳懐が対北朝鮮関係を担当していたが、彼の金日成評価は低かったらしい。
・日中国交回復にあたり、中国は反覇権(=反ソ)条項にこだわった。これに対して、ソ連側も反覇権条項の中立化するため日本との関係を仕切りなおそうと模索したが、アフガン侵攻でつぶれた。
・西側との対抗上、ソ連は核兵器という最新テクノロジーの開発を急ぎ、貧しい経済を軍事化したため、国民に多くの人的犠牲を強いることになった。同様のことが中国、北朝鮮でも続いており、核開発連鎖のプロセスを示唆。

下斗米伸夫『日本冷戦史──帝国の崩壊から55年体制へ』(岩波書店、2011年)

・上掲書の観点を踏まえて、日本を軸として冷戦構造のプロセスを検証。日本は敗戦によって帝国から国民国家へと縮小、1945年8月からの帝国解体に伴う空間的処理をめぐる過程にアジア冷戦の起源を求めるのが基本的認識。英米ソの関与が対立へとつながり、これが日本の内政へも還流していったという構図。
・冷戦構造を形成した要因としての核の地政学:広島・長崎への原爆投下の衝撃→ソ連は核兵器製造の意図を持つ→当時はまだソ連領内においてウランが見つかっておらず、いかにウランを確保するかが外交課題として浮上→東欧、とりわけブルガリアに埋蔵されたウランに着目(ブルガリアのトップにはコミンテルン執行書記だったディミトロフを据えた)→東欧におけるソ連の覇権を認めさせる代償として、日本占領における米国主導を容認。
・東アジアにおける共産主義運動の中心は北京とされ、ミコヤンと劉少奇を中心として構想された中ソ同盟による共産主義運動の連帯→中ソ対立の激化→これが日本共産党内部の分裂にも波及していった→1950年代、日本共産党の内部抗争の様子も後半で取り上げられる。

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