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2012年1月22日 (日)

【映画】「マイウェイ──12,000キロの真実」

「マイウェイ──12,000キロの真実」

 戦争に翻弄された二人の青年の数奇な運命を描いた映画。オダギリ・ジョー、チャン・ドンゴン、范冰冰の共演。なお、范冰冰はゲリラの女スナイパーという設定で、チャン・ドンゴンを助けたらすぐ死んでしまう。出番は少ないし、ずっと泥だらけで、あの美貌をちゃんと拝めなかったのが残念…。

 ノルマンディー上陸作戦で投降したドイツ軍捕虜の中に一人の韓国人兵士がいた。その事実を監督が知ったことからアイデアがふくらまされ、映画製作にまでこぎつけたという。だいぶ脚色されているし、粗探しをすれば時代考証の難点も色々見つかるかもしれないが、映画として観る分にはそれほど違和感はない。何よりも、物語のスケールが壮大だ。主人公二人がソウルでマラソン対決→ノモンハン戦争の戦場で因縁の再会→ソ連軍の捕虜となり、収容所で過酷な生活→独ソ戦の勃発でソ連軍に編入されて戦うが、ドイツ軍に投降→ノルマンディー上陸作戦…当時の街並や戦場の光景が一つ一つ再現されており、膨大な製作費をつぎこんだことがうかがえる。私のような現代史マニアにとってはとても面白い。

 日本の植民地支配下にあったソウル(京城)──日本人の長谷川辰雄(オダギリ・ジョー)と朝鮮人のキム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)、二人のマラソンランナーの波乱含みの出会いから物語は始まる。孫基禎(映画中にも登場する)がベルリン・オリンピックで金メダルをとったことは朝鮮の人々にとって大きな誇りとなったが、それは日の丸を背負ったものであらねばならなかった屈辱と表裏一体となった複雑さをはらんでいた。この映画でマラソンというモチーフが選ばれているのはこうした事情を意識したのだろう。他方、民族差別によって二人の青年の間にわだかまった侮蔑と反感とがやがて友情へと変わっていくという筋立ては、日本での公開も見越しての配慮であろうか。

 ソ連の収容所でキムが長谷川から「お前はそれでも皇軍の兵士か!」となじられ、「自分はマラソンランナーのキム・ジュンシクだ!」と言い返すシーンがあった。いつも冷静で公平な彼は、ある意味、優等生的でカッコよすぎる。このような態度があの時代にあり得たのかどうか何とも言えないが、この際、問題ではない。民族や国家といった帰属ではなく、あくまでもマラソンランナーという自らに固有の属性にこだわることで確保された「個」としての視点、それが作中人物を通して映画の中に仮構されたことが積極的な効果を生み出している。

 そうした眼差しは何を見ていたのか。日本の軍隊で「一視同仁」を標榜するにもかかわらず民族差別を受けた矛盾。他方、ソ連の収容所で有力者となった朝鮮人の親友が権力をかさにきて日本人を殴り、そればかりか保身のため朝鮮人の仲間まで陥れた醜さ。「そういう悪い奴なんだ」と言って終わらせてしまっては話にならない。一人ひとりの主観的な悪意や差別感情というばかりでなく、軍隊にせよ、収容所にせよ、こうしたものを成立させた制度的枠組みが人間の行動パターンを左右してしまう側面が往々にしてある。個人的に付き合う分には善意の人間であっても、こうした制度的な網の目に絡め取られたとき──それこそ、ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン』の副題にある「悪の陳腐さ」という表現通りに──必ずしも自由にはなれない難しさ、それが複数の政治体制をくぐり抜けた彼らの軌跡を通して図らずも浮かび上がってきているところに興味を持った。キム・ジュンシクの本来ならあり得ない“人の良さ”は、こうした問題を捉え返す相対化の視点を映画の中に仕込む役割を果たしていると考えることができる。複数の国にまたがって現代史のナーバスなテーマを取り上げるとどうしても特定の悪役を仕立て上げて、見ようによってはギスギスした後味の悪さを残しかねない。そうしたあたりがクリアされている点で映画としてなかなかよく出来ていると思った。

【データ】
監督・脚本:カン・ジェギュ
2011年/韓国/145分

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