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2011年12月4日 - 2011年12月10日

2011年12月 8日 (木)

子安宣邦『「宣長問題」とは何か』、菅野覚明『本居宣長──言葉と雅び』

 本居宣長の極めて緻密で実証的な文献学的方法と、他方で狂信的な古代主義・日本主義とが並存していることの不可解が宣長論における一番の問題点のようだ。例えば、『古事記』を注解するとき、文献学的方法を厳格に推し進めていった結果として分からないところに直面する、そこを一転して信ずるしかないと飛躍してしまう彼の態度をどのように考えたらいいのか。
 子安宣邦はそうした矛盾を捉えて、神の国は尊いから尊いのだといった類いのトートロジカルな自己言及的言説を宣長の語り口に見出す。そして、「漢意」批判に見られる宣長の排他的言説も合わせて、日本精神なるナショナル・アイデンティティーをめぐる〈正しい言説〉が神話として再生産されていくメカニズムの契機を指摘し、それが近代においてもイデオロギー的に作用する「宣長問題」として把握していく(子安宣邦『「宣長問題」とは何か』[ちくま学芸文庫、2000年]など)。
・「近代において〈正しい言説〉としての神話を構成し、そのことを通じていっそう自己(日本)の同一性をめぐる言説を近代において再生させる、そのようなものとして宣長における国学的言説の成立をとらえることである。…いいかえれば近代において絶えず再生される自己言及的な、あるいは自己同一性をめぐる言説、すなわち「宣長問題」を生じさせる言説の宣長における原初的な成立を闡明することである。」(51ページ)
・「国学は「異国」を措定し、その反照としての自己(日本)へと向かう。国学はその自己への言及的な言説として、まさしく自己正当化しながら、しかしその自己のありようを文節化する言語は、「異国」のさまではないという否定の言語なのである。くりかえしていえば、国学は異質な他者の反照として自己に向かう。しかしその自己のありようは否定的にのみ語られる。この自己のありようを文節化する言語の欠如が、新たに自己の同一性を形成することを要求する。」(66ページ)

 しかし、宣長における上述の二面性は、単純に飛躍による信仰と考えてしまっていいのだろうか。菅野覚明『本居宣長──言葉と雅び』(新装版、ぺりかん社、2004年)はむしろ、宣長の文献学的な態度が一貫していると捉えている。つまり、テクストそのものに向き合う宣長にとって、厳格な考証を進めた結果として分からないところに直面したとしても、そのテクストが厳然として存在する以上、そこから離れるわけにはいかない。不合理なテクストであっても、そのテクストのあるがままを受け止めるしかない。そうでなければ、読み手の勝手な解釈をテクストの中に持ち込むことになってしまう。
・「宣長は、あくまでも記述されていることがらのその記述に即して、ことがらの意味を考えようとする立場を保持しつづける。宣長の実証性は、そういうところにあらわれているのである。それに対して、記されてあることがらを、記述内部の微証を無視して、いきなり神はこれこれであるはずだという外在的・主観的推測をもって記述自体を批判するのが八五(引用者注:『石上私淑言』八五)の問いにあるような(即ち「漢意」)考え方なのである。八五条における宣長の批判的言説は、まさのそうした記述無視の非実証的言説に対する批判なのである。宣長の考えているのは、客観的な文言に即さない議論は無意味だということである。文言に即すというのが宣長の基本的方法であり、もし文言を批判する場合でも、それが文言に即した客観的な根拠に基づかないのであれば、どんなに道理にかなっているように見えても、結局のところ信ずるに足らぬ空論・臆説に過ぎないというのである。こうした宣長の考えが攻撃的に働くときには、文言の存在をくつがえせない以上は、それがどんなに不合理に見えても、そのまま受けとめ従うほかはないという論になる。後年の古道論にしばしばみられるこうした論法は、しかし単に人間の知の無効を言うだけの消極的な論なのではない。『古事記』の記述に対する、一見すると盲目的な宣長の信仰も、実は、ただ書かれていることを信ずる態度なのではない。そこにはその記述の正しさを判定する客観的基準が、はっきりとしかも実証的に把握されているのである。」(166~167ページ)

※以下は「もののあわれ」論についてメモ。
・「宣長があわれという語にこだわったのは、それが元来は歎息であり、思惟内容ではなく情の動き・振幅をあらわすニュアンスを持った語だったからである。そして、歌の発生を語るために、情の振幅をあらわす語を宣長が必要としたわけは、思いの内容を語る普通の言葉と区別された領域において歌を基礎づけようとする狙いを宣長が持っていたからなのである。言い換えれば、あわれという概念は、歌を、心の内容を説明的に語る普通の言葉とは別の、心の深さ・動き・振幅を語る言葉として位置づけるために抽出されてきた概念なのである。」(184~185ページ)
・「「あはれあはれといひて歎じたればとて、何の益もあらねども」(石上私淑言・一二)とか、「無用の詞のあや」(同・一四)といわれるように、政道教誡的な観点から見れば全くの冗語・無駄に過ぎない世界、いわば効用的言語からはみ出した間投詞の世界を、宣長はまさに自立した一つの世界として発見したのである。その限りにおいて、宣長は、政道教誡とは全くかかわりのない独自の領域を確保しえたといってよい。」(186ページ)
・「宣長が発見したあわれの領域とは、一言でいえば歎息の世界である。それは、心に即していえば、道理や意味とは別の、感情の動きそのもの、深さそのものに対応する領域である。この領域は、効用論の観点から見れば、何の意味も持たない無益・無用の世界である。それゆえ、その世界は、儒教的思考の枠組における近世の人間観の中では、正当な位置づけをあたえられないまま、無意味な世界として視界外に放置されていた。…宣長は心の動きそのものをあわれとして自立させることによって、それまでの歌論や儒教的詩歌論ではたかだか無用の飾りとしておとしめられてきた意味の間隙の世界を、詞の文という形で概念化し、そこに自立した意味や価値を探る足場を築いたのである。のみならずそれは、それまでの儒教的な人間観そのものをも逆に捉え返していく、新たな人間像構築の原点となりうる可能性を秘めたものでもある。儒教的人性論の中では、意味の陰影に過ぎなかった心の振幅・深浅が取り出され、独立したものとされたとき、それは儒教的人性論の不備を批判し捉え直していくものとなるのである。後年の古道論の中で展開される宣長の「真心」論が、物のあわれ論の延長上にあることはこれまでたびたび指摘されてきたところである。このとき、宣長が人間の真心として、儒教的な心の捉え方に対置したものは、まさに、動くことを本性とする心であった。」(188~190ページ)
・「宣長のいうのは、あわれの領域は、決断や意味づけとは本質的に無縁なのだということなのである。本当の心、つまり直接にものごとと触れる心のあり方は、決断や次につづく行為の契機を本質的に含んでいない。それ自身ただはかなく無意味に揺れ動くだけのものである。」(209~210ページ)
・「物のあわれを知る心は、儒教的な心のように実体化して考えられた心ではない。それは、物事に触れてあることそのものとして捉えられた心である。したがってそれは、効用的意味の文脈においては概念化できない、いわば物事そのものへの感心として見られた心である。宣長が問題にしているのは、意味として把握され直す以前の、直接触れてある物事の感触である。」(229ページ)
※一文字一文字の漢字において自立的意味をあらわす語の羅列として漢文を理解する当時の日本人の漢文的素養→文脈的あわいを分節的に切断して、名詞的意味を重視しながら解釈していく読み方が、日本語古典の読みにまで浸透していることを宣長は指摘。彼によれば、漢籍は名詞的意味を重視して要素的意味の集合によって表現、対して日本の雅語は文脈を重視という問題意識。
・「宣長の漢意批判の本質は、例証に基づかない推論の否定ということに尽きるのである。」(326ページ)
・「宣長は、『古事記』は純粋な日本語そのものであり、世界との第一次的な触れ合いのさまそのものの客体化されたものと考えたのである。『古事記』は道理によって捉え直したものではなく、世界のありように触れてある形そのもの、即ち捉え直す以前の、世界のありのままにそのまま従い、受けとめた形であると考えたのである。」(331ページ)
・「宣長にとっての『古事記』の原典性は、少なくともその正しさを言葉の定格性という形で客観的に提示することを介して主張されている」(346ページ)

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2011年12月 6日 (火)

丸山眞男『日本政治思想史研究』

丸山眞男『日本政治思想史研究』(新装版、東京大学出版会、1983年)

・言わずと知れた、戦後のアカデミズムで日本思想史研究のたたき台となった古典的研究。近世初頭、幕藩体制を支えるイデオロギーとして正統的地位を占めた朱子学、その教義の思想圏内部における自己分解過程として伊藤仁斎や荻生徂徠、さらには逆説的反転としての本居宣長の国学へと至る展開を軸として江戸期政治思想史をスケッチ。

・政治的=社会的秩序が天地自然に存在していると考える普遍的教義としての朱子学的思惟(ゲマインシャフト的思惟)に対して、「自然」と「作為」との弁別によってそうした社会全体を覆う道徳的規範の拘束から自由意志の主体としての人間を析出した徂徠学的思惟(ゲゼルシャフト的思惟)への転換、そこに主体的人間によって担われる「政治」の契機を見出していくのが丸山の議論のポイント。

・たまたま子安宣邦『「事件」としての徂徠学』(ちくま学芸文庫、2000年)を読んでいたら、この本は、丸山眞男『日本政治思想史研究』が荻生徂徠を軸に描き出した「思想史」は恣意的な虚構だ、という問題意識から出発しており、再確認のため改めて手に取ってみた次第。確かに、江戸思想史研究が進んだ現在において丸山の議論は鵜呑みにはできない。むしろ丸山が江戸期思想に仮託しながら「近代」なるものを語りたかったその意味や動機を彼が生きた時代状況の中で考えていくという読み方になる、つまり江戸思想史というよりも丸山眞男論というコンテクストの中で本書は読まれることになるのだろう(本書の元となった論文は戦時中に書かれた)。

・新装版に収録された「英語版への著者の序文」を見ると、(a)戦時中にやかましかった「近代の超克」論への反感、(b)伝統主義者が強調するほど維新前の日本は「近代」とは無縁な「東洋精神」ばかりではなかった、徳川時代の思想にも「近代」へと続く発展が底流していたことを指摘したかった、という趣旨のことを述べている(398ページ)。丸山は発禁本が読めない中、福沢諭吉のテクストに新鮮な軍国主義批判を読み取って一人溜飲を下げていたらしいが、それと同様の精神状態で本書に収録された論文を書いていたのだろう。

・第2章では次のように問題意識を明示している。「いはゆる開化思想が直接的な思想的系譜に於て「外来」のものであるにせよ、外のものが入り込みえたのは、既に在来の「内のもの」が外のものをさしたる障害なく迎へうるだけに変質してゐたからにほかならない。…事実、もし吾々が表面に現はれた結論だけに眼を奪はれずに、その結論に導いた体系的構成に立ち入つて見るならば、徳川期思想の思想的展開過程のうちに、一見それと深淵を以て隔てられてゐるかの如き維新後の「近代」思想の論理的鉱脈を多々探り当てることが出来る。」(196~197ページ)

・蛇足ながら、伝統拘束的で停滞した前近代社会の中にも「近代」へと接合される素地としての内的発展があった、その意味でアジアにおける「近代」は外発的なものとばかりは言えない、という上記のロジックは、姜在彦による一連の朝鮮近代思想史研究にも共通していることを思い浮かべた。ただし、丸山の場合には戦時下に荒れ狂った反「近代」的言説に対する嫌悪感が動機であったが、姜在彦の場合には、朝鮮王朝時代の停滞性→外からの圧力(すなわち、日本による植民地支配)による外発的近代しかあり得なかったという言説に内包された植民地肯定論への反論が動機であった点が異なる。

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