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2011年11月27日 - 2011年12月3日

2011年11月30日 (水)

姜信子『棄郷ノート』

姜信子『棄郷ノート』(作品社、2000年)

 「棄郷」という表現は両義的だ。言葉のニュアンスとしては能動的・意図的に自分の「故郷」を棄てるという印象を受けるが、本書に登場するのはむしろ、自分の意図とは関係のない事情、もっと言うと現代史の政治的転変に翻弄されるまま異郷へと押し出された人々──ディアスポラが中心である。

 在日韓国人として生まれた著者がめぐるのは、自分のルーツ探しで一族の墓所を訪ねて行った韓国、さらには上海、旧満洲と、韓国人が足跡を残した東アジア一円に広がっていく。行く先々で出会い、身の上話を聞き取っていく著者自身、「在日韓国人」としての立場性から日本に「故郷」と言うほどの居心地の良さを感じられず、かと言って韓国も「故郷」ではない、そうしたアンビバレンスを抱えている。だからこそ、出会った一人ひとりのパーソナル・ヒストリーへの感じ方はセンシティヴ、それは安易に共感するというのではなく、違和感によって自身の内面で感じたズレをもこまかに捉え返していく。自分の生身の感受性や葛藤を率直に打ち出しながら書き綴った現代史ノンフィクションと言えるだろうか。

 安昌浩、金九、崔南善など近現代韓国史に多少とも馴染みがあるなら見覚えのある人物も時折顔をのぞかせる中、著者の旅路の導き手となるのは、李光洙──韓国近代文学の重要人物で、崔南善と同様に民族運動家としての履歴を持ちながらも「民族改造論」を発表、日本の植民地支配に協力した「親日派」として指弾された、あの人物である。

 朝鮮半島にとっては暗い時代であった20世紀前半、弱肉強食の「力」がものを言った世界、そのただ中で無力さを噛み締めるしかなかった植民地支配下の苦境。「力」への渇望と現実の無力さとのギャップを目の当たりにした李光洙による日本への同化の主張には、同時に実力養成をした後に民族独立を求めようという意図もあったと言われる。つまり、弱者生き残りのための戦術的な選択肢であった「親日行為」。ただし、それは彼の主観的意図の中では民族主義であっても、海外で活躍していた亡命独立運動家たちが日本の敗戦により帰国すると、彼の主張の正当性は当然ながら失われる。残るのは、「親日行為」をしたという事実による負い目ばかり──。

 現実政治の位相転換の中で指弾される側に陥った「親日派」。しかし、彼らだって好き好んで「親日派」になったわけではあるまい。彼らには彼らなりの意図があり、葛藤があり、そして絶望があった。政治的正統性を軸とした単純なロジックで裁断されると、人それぞれにやむを得ない立場の中で抱えていた葛藤は陳腐な悪意へと矮小化されてしまう。それでは見えてこない葛藤のドラマ、本書の筆致はそうしたところにも目配りされていくところに私は関心を持ったが、問題はそれだけではない。

 現実政治の位相転換の前後を通じて、「力」を求める「民族」という病は実は続いているのではないか? その具体例の一つの姿を李光洙に見出すのが本書の問いかけである。ディアスポラの足跡をたどり、李光洙が絡め取られた「民族」という病とその落とし穴を捉え返しながら、(今やありふれた言い回しではあるが)この越境の旅路そのものに「ナショナル・ヒストリー」の解きほぐしがほのめかされてくる。

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小島毅『近代日本の陽明学』

小島毅『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ、2006年)

・中国哲学における学的展開としての陽明学と、近代日本である種の政治的行動主義として現われた陽明学、両者が違うのはもちろんそうなのだが、近代日本というコンテクストの中で見えてくるものは何か? 中国哲学を専門とする研究者による近代日本思想史の読み直し。カギは、「こちたき理屈」に我慢ならない「善意の人々」の暴走という悲劇。
・例えば、大塩中斎(平八郎)の考えでは、倫理的規範を外界に求めるのではなく、自身の内なる自然の働き=「良知」に気づき、それを十全に発揮させるところに学問の意義。
・江戸時代における公式の学問としての朱子学→理屈ばった教義に疑問を感ずる→煩悶しながら自分独自の考え方を模索→そんな折に陽明学と出会って「これだ!」と感激→学問として学んだから陽明学に向かったのではなく、むしろ自分自身の「陽明学」的心性に反応する形で陽明学の教説を受容していく、というパターンが繰り返された。理屈ではなくメンタリティーの問題なので、極論すると動機さえ純粋であれば何でもあり。
・後世になると、「体制派=朱子学、反体制改革派=陽明学」という図式でレッテル貼り。
・水戸学と陽明学との気質的同質性。戦後の靖国問題などにもつながるある種の「語り」は、水戸学の大義名分論と日本陽明学の純粋動機主義とが結合した産物。
・内村鑑三や新渡戸稲造など明治期キリスト者の王陽明への関心→天理を外的規範に求めるのではなく内心にある良知に従って生きる教えとしてイエスの人格への共感、キリスト教を受容。この点で彼らにも朱子学→陽明学への転換と同質の傾向。
・幸徳秋水の「志士仁人の社会主義」だって陽明学的→大逆事件にあたり、陽明学も危険思想だと言われかねない中、井上哲次郎は「自分の頭で考えた末の国体護持主義」として陽明学を位置づけ→こうした「白い陽明学」に対して、革命の理想に燃える人々の「赤い陽明学」。
・志士仁人が「ディオニュソス的」な陽明学だとするなら、三島由紀夫は実は「アポロン的」だったのではないか、と指摘。

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2011年11月27日 (日)

速水融『江戸の農民生活史──宗門改帳にみる濃尾の一農村』『歴史人口学で見た日本』『歴史人口学の世界』、速見融・小嶋美代子『大正デモグラフィ──歴史人口学で見た狭間の時代』

 速水融『江戸の農民生活史──宗門改帳にみる濃尾の一農村』(NHKブックス、1988年)は、江戸時代のある農村(濃尾平野の西条村)における宗門改帳を史料として人口統計を作成、歴史人口学的な研究の進め方を具体的に紹介しながら、単に人口の増減というレベルではなく、人々のライフサイクル、通婚や労働移動など江戸時代における様々な庶民生活のライフヒストリーを描き出す。トップダウンではなく、ボトムアップの視点で歴史を描く試み。ただし、宗門改帳は地域によって整備のされ方が異なるので、全国的な比較は難しいなど史料を扱う上での難点も多いので、そうした点を考慮して近似値を求める形で研究を進める。流行病、飢饉などによる人口的災厄はもちろん大きかった一方で、空間的な移動範囲は広く、場合によっては身分的移動もあったことが示され、農村に閉じ込められた「暗い」農民像とは違った姿が示される。
・都市部の人口減少率が目立つ。経済発展→人口集中があったが、他方で人口密集地は流行病などの災厄への抵抗力が弱く、また流入人口には独身者が多かった→死亡率>出生率→著者は「アリ地獄」と表現(ヨーロッパでは「都市墓場説」)。農村における人口増加→西条村の場合には出稼で村の外へ出ることによって人口抑制。つまり、農村で増えた人口が都市で死んでいって、トータルで相殺されるという仕組みになっていた。
・地主からの分家は小作農になるという形で下層への階層移動。他方で、小作農は他所へ出稼奉公に行ったり、跡継ぎがいなくなったりして家系が途絶えたケースが目立つ。階層間移動と地理的移動の組み合わせで農村人口数の安定などの作用。
・江戸時代後期、西日本では人口増大が限界を超えたが、出稼に行く大都市が近くにないため吸収先がないことによる社会不安→明治維新を動かした一因であった可能性。
・濃尾平野は綿織物業が発達した地域→人口増加、遠距離出稼の減少などによる労働供給が背景にあった可能性→「プロト工業化」の議論へつなげる。

速水融『歴史人口学で見た日本』(文春新書、2001年)は、著者自身の歴史人口学との出会いから説き起こし、宗門改帳による江戸時代の研究ばかりでなく、明治以降の事情、さらには今後の課題まで含め、これまでの研究蓄積を概観的に示す。方法論的な解説をしながら研究成果の紹介をした入門書としては、速水融『歴史人口学の世界』(岩波書店、1997年)]もあり、前者は一般読者を対象とする一方、方法論上の概念解説は後者の方が詳しい。
・ハッテライト集団:アメリカの近代技術を拒否して生活している人々で、いかなる出生制限もしない→自然出生率を知る際の指標となっている。
・興味を持ったのは、江戸時代における「勤勉革命」の指摘。江戸時代の農民は年貢や小作料を一定料以上は取られないシステム→生産力上昇による余剰分は自分のものになる→一生懸命働けばその分、生活水準も上がるため、勤勉の美徳が普及→ヨーロッパの「産業革命」(industrial revolution)ではなく、日本の「勤勉革命」(industrious revolution)。
・それから、宗門改帳からうかがえる人口・家族構成における東北日本(アイヌ・縄文時代人)、中央日本(渡来人・弥生文化)、西南日本(海洋民)の相違。
・台湾で後藤新平が実施した「臨時台湾戸口調査」を実質的に担ったのは、日本で初めて人口統計を確立した杉享二の弟子たち(共立統計学校の卒業生)で、これは中国人社会を相手にした世界初の国勢調査であったことはメモしておく。

速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ──歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書、2004年)は、大正期には人口上の重大な問題があり、史料的にも豊富であるにもかかわらず研究が少ないという問題意識。人口統計上の状態・変動に加えて、民衆の生活や意識の状況・変革も合わせてトータルな変化を描き出そうという意味でデモグラフィー=民衆誌の試み。
・第一次世界大戦後の不景気にさらされた紡績業→これまでのような「女工哀史」を続けるのか、それとも人件費の安い中国に工場を進出させるのか(在華紡)という二者択一→後者を選び、日本国内では女工の失業、中国においては利害衝突。
・結核の全国的な蔓延。
・大正7年、スペイン・インフルエンザ。
・大正3~12年にかけて高死亡率期(大正死亡危機、mortality crisis)。大正末年以降は死亡率の長期的な低下。
・江戸時代の都市は「アリ地獄」→大正期になって公衆衛生、医療設備をはじめ社会インフラの整備→都市と農村との死亡率は大正期に逆転。他方で、出生率低下の徴候→産児制限運動の広がり。
・人口転換:死亡率の低下に続いて出生率の低下が始まることで、高出生率+高死亡率の状態から低出生率+低死亡率の状態へ移行する過程。ただし、長期的な変動であり、地域差もあるので明確に把握するのは難しい。強いて言うなら、明治末期から昭和初期にかけての四半世紀の期間に起こったと言える。

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