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2011年11月6日 - 2011年11月12日

2011年11月 7日 (月)

山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる──地の底の人生記録』

山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる──地の底の人生記録』(講談社、新装版、2011年)

 山本作兵衛翁といったら知る人ぞ知る人物だろうか。青年期からずっと炭鉱で働き続けていたが、年を取り仕事をやめた後になって、子供の頃に好きだった絵筆を五十数年ぶりに再び取り、エネルギー需要の変化から閉山が相次ぐ中、忘却のかなたへ追いやられかねない炭鉱の人々のありし日の生活の姿をつづり始めた。本書はもともと1967年に世に出ていたが、今年(2011年)の5月、彼の残した絵やノートが「世界記憶遺産」に指定されたことから新装版として刊行されたようだ。上野英信や森崎和江などの本で山本翁のことは知っていたし、絵も色々と目にしてはいたが、まとめて見たのはこれが初めてかもしれない。

 炭鉱における作業の具体的な手順や生活上のしきたりがヴィジュアル的に分かりやすく、社会史や民俗学の資料として貴重だということが第一に言える。ただ、そんな当たり前のことを今さら言っても仕方がない。この絵を一目見てそのまま見入ってしまう不思議な力は何なのだろうか。

 炭鉱は町から離れている上、炭鉱会社から厳しい管理を受けており、ある意味で外界から全く隔絶された生活世界を持っていた。余所者にはなかなかうかがい知れぬ独特な呼吸、貧困から逃げ出すことのできない絶望感、そして実際にヤマにもぐっていつ事故で死ぬか分からない運命感、こういったものは当事者でなければ分からない。極端な話、山本翁という画文の才質を持った人が現れたからこそこの世界を垣間見ることができたわけで、ひょっとしたらそのまま世に知られぬことがないまま消え去ってしまったかもしれない生活史。そこには割り切りがたい様々な想いがあったし、このまま忘れ去られてしまわないよう記録しておきたいという切迫感が山本翁にはあった。その画文を通して見えてくるものは、異なる時代に生きる自分にとって全く未知な異界を覗き見るような感じに不思議な興奮を感じさせることだ。同時に記録が残されることなく忘れ去られていったあまたの生活史があったであろうことに想到し、我々が「歴史」として知っているつもりのものの矮小さに改めて驚きを感じる。

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2011年11月 6日 (日)

松本三之助『近代日本の中国認識──徳川期儒学から東亜協同体論まで』

松本三之助『近代日本の中国認識──徳川期儒学から東亜共同体論まで』(以文社、2011年)

 欧米列強からのインパクトを受けてやむを得ず西洋文明を範とした近代化へと邁進せざるを得なくなった日本は、同時に従来の儒学的教養の中で「聖賢の国」と崇めていた中国への見方を切り替えることになる。アヘン戦争以降、欧米列強によって蚕食されつつあるにもかかわらず自己変革をできない中国の姿は、(福沢諭吉『文明論之概略』等で示された構想どおりに)西洋文明というグローバル・スタンダードを踏まえて追いつき追い越せの勢いで順調に西洋化を推し進めているという自信を高めつつある日本からは「固陋の国」として蔑視の対象となった。

 西洋文明の先進性に学びながらいかに近代化を推し進めるのか。あるいは、欧米列強の暴虐な侵略に対していかにして「東洋」は手を組んで対抗すべきなのか。いずれの問題意識を抱くにせよ、「西洋」といかに向き合うかが喫緊の課題となった日本にとって、それはまた隣国の中国をはじめとした「東洋」をいかに捉えるかという問題と密接に結びついていた。言い換えると、日本における中国認識の変遷は、西洋文明を標準としつつ中国を鏡としてその中に日本自身の姿も映し出されていたと言えるであろうか。他者認識は同時に自己認識の問題でもある。そうした意味で、日本の様々な思想家たちの中国認識が時代的条件の中でどのようなヴァリエーションを示してきたかを時系列に沿って論じた本書は、単に日本と中国との関わり方をテーマとしているだけでなく、他ならぬ日本自身の近代思想史における核心的なところにまで食い込んだ叙述構成となっている。

 私自身としては日本の近代思想史におけるアジア主義の動向に関心を持っているが、岡倉天心が「不二元論」(アドヴァイタ)によって唱えた「アジアは一つ」という言説にせよ、昭和期に入って盛んになった「東亜協同体」論にせよ、「西洋」に対する反措定として現れた「東洋」なる概念の虚構性は常々問題とされてきたところだ。そもそも「東洋」なるものを統一的に把握する上で基盤となる文化的共通性がないし、「東亜協同体」論では「抗日」という問題がネックとなった。なお、この「東亜協同体」論についても、日本自身の逼塞した国内状況を打開したいという鬱屈感や、日本が推し進めてきた帝国主義的態度への見直しを図る議論があった点で、日本側における自己認識をめぐる問題がまとわりついていたと言えるだろう。

 三木清の「東亜協同体」論では、「民族性の超克」による新たな「東亜の統一」の実現を期すると同時に、西欧近代由来の個人主義がある種の抽象性に陥っているという問題意識から、そこにはない生々しい具体性を帯びた有機的な結合のあり方を民族に求めていた。こうした発想から「東亜協同体」という形での統一を目指す一方で中国の民族主義も重視、これは同時に日本自身の偏狭な民族主義を相対化して批判する視点も内包されていた点が本書では「謙虚さ」として評価されている。ただし、国策として「東亜共栄圏」構想に進展していくにつれてこうした感覚は換骨奪胎されていくわけであるが。

 こうした話題の延長線上で考えてみると、本書では取り上げられていないが、例えば中国革命に参加した北一輝が『支那革命外史』で民族意識に覚醒して抗日に向かったならむしろそれこそ維新の精神を継承したあかしだという趣旨のことを述べていたり、石原莞爾らの東亜連盟にも日本以外の諸民族の自律性を認めようとする発想があったこと(この点で東亜連盟には朝鮮人などの参加者が多かった)などを考え合わせせると、右派とひとくくりにされる思想動向についても三木清の「東亜協同体」論と結びつけてみていくことはできないか、という関心を持っている。また、日本の急速な西洋化に対して国粋主義の立場から批判していた陸羯南が清朝における「中体西用」論を評価していたという指摘にも興味を感じた。

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